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数痴と受験数学

「地理と地形でよみとく世界史の疑問55」 〜図が良い
昔の京大医学部受験生のブログ(1)
数学の能力に先天性要素はない? 〜信用できません(苦笑)
京都大学の数学科卒の人が「大学の数学は難し過ぎて全然意味がわかりません」と言っていたのですが、京大生でも難しいと感じるものなのですか?


 日経新聞(2023年1月9日)に石井志保子氏が「女性の才能もっと発揮をー数学五輪、今年は日本で」と題して寄稿されていました。内容として日本の女子高生の数理系への進学が他国と比べて少なく、怖じ気づかず数学五輪を含めてもっと積極的に進んで欲しいということを述べています。記事の中にある数学博士号取得者女性比率の各国比較グラフをみても、日本は断トツに少なく、お隣の韓国が40%超なのに日本はわずか5%程度となっております。欧米先進国でも30%前後なのに比べても劣ります。日本の場合、大学で理科系に進む女子がもともと少ないです。薬学、医学など医療系を除いて、工学などを筆頭に女子比率が少ないです。その原因のひとつが入試の数学でないかと思います。入試で数学の問題が難しかったり、配点比重が高い大学・学部ほど女子比率が低い傾向は否めないでしょう。


 数学の才能に性差や遺伝といった先天的な要因があるのかという疑問に関しては、はっきりした調査研究はありません。しかし石井氏も本稿で言及しているフィールズ賞受賞者で、女性は過去に1人しかいない事実は性差があることを厳然と物語っています。ノーベル賞の自然科学3分野でも男性優位な傾向ですが、フィールズ賞は突出しています。石井氏には申し訳ないですが、数学に関して男性脳・女性脳が存在することを暗に示しています。
それに対して、遺伝的な要因が数学の才能あるいは能力に関係するのかは示唆するデータもないです。ですが友人とか親戚をみると数学に強い家系はありそうだなと感じます。しかし、そういう家系はかなり少ない印象で、一般的には10に1つもないかなと勝手に推測しますが皆さんどう思うでしょうか。


 昔駿台予備校には数学科で有名な講師がきら星の如く並んでおりました。根岸先生、中田先生、野沢先生の3人のベテランがそれぞれ特徴ある授業をおこなって人気があり、我々はそれを3Nと通称していました。その3Nに新たなNとして登場したのが、長岡先生です。あとで長岡(亮)とつけられてましたが、実は兄弟で数学を教えており、兄の亮介先生です。ベテランの3Nもすばらしいですが、長岡師は若くて新鮮な印象でした。あまり予習しないで問題を解いており、時々間違えたりするご愛敬もありましたが、それでも初手でその場で解く力はすごいと感心しました。二日酔いの時もありましたね(本人が二日酔いで考えがまとまらんと言っていた)。当時の駿台の授業は共通一次後2週程度で終了で、ちょうど今の時期は終了間近です。最後の授業でそれぞれの先生が2月入試に向けて、最後の激励をおこなうのが通例でしたが、これは今も同じでしょう。長岡先生も最後のはなむけの言葉を述べましたが、いきなり「皆さん、音痴って知ってますよね?」と語り出しました。はあ?何話すの?と思ったら、続けて「僕はね、数痴というのもあると思うんですよ」と言いながら、「数痴」と黒板に書きます。聞いている学生たちは呆気にとられていたと思います。「数学の能力は我々のご先祖様がマンモスを狩っていた頃から、生き抜くのに必要な力でなかった。だから数学力で淘汰はなかったんです。」と仰る。「数学のセンスは先天的なもので、音感がない音痴と同じように数痴はある。しかも音痴と違って、数痴は大半のひとがそうでないか。だからといって皆さんが数学センスがないと嘆く必要はない。所詮大学入試の数学程度で数学力なんて関係ない。だから気楽な気分で入試に臨んでください」。確かそんな内容でした。励ましているんだか貶しているんだかさっぱりわからず、ただ如何にも長岡先生らしいなあと思って腹も立ちませんでしたね。
 かく申す私は、長岡説に従えば間違いなく数痴でしょう。入試数学こそ満点を叩き出しましたが、まあ僥倖の類いです。高校入試はそこそこの難関校でも数学以外の科目で結構挽回できますが、大学入試で理系は数学で失敗するともう勝ち目がないです。お陰様で苦労しました。大学に入ると数学ものすごく得意な同級生がいてやはりかなわんなと思いましたが、医学部だと全体の3割くらいでしょうか。そんなに多くなく、多数派は自分と同じ数痴なのかな。理学部ではこどもの様子から、医学部では絶対見ないような天才的な数学力を発揮する学生が一定数いるようです。しかし、それも決して多数派ではなさそうでした。数学力は生存には役立たない。もう一種の脳力の遊びの類いでしょうか。イタリアは音楽が盛んな国としてよく知られていますが、じゃあイタリアは音楽教育にものすごく熱心かというとそうでもないそうです。一般的に音楽をする能力は一種の天性の才能、すわちギフトであり、それがあるひとだけが教育を受けて才能を伸ばしていけばよいと考えられているそうです。12月の日経「私の履歴書」はリッカルド・ムーティでしたが、彼の自伝はまさにその路線の上を歩んでいます。


 ところで大学入試で試される高校数学は、基本的にガロア以前の18世紀までの数学です。理科では生物を初めとして21世紀の先端的な研究にも入試で触れることがあるのとは、対照的です。少なくとも言えることは、大学入試の数学力だけでは大学・大学院の数学専攻の力を測ることはできないことです。数痴もなにも大学受験でそのチカラが問われることはないというのは、長岡師が言う通りなのでしょう。ガラケイと同じで日本の入試数学は高度に手が込んでおり、しかしながら将来発展性を模索するようにもなってない点が気になります。ちょうど今の時期おこなわれる共通テストの数学では、2021年平均点が極端に下がって批判を浴び、社会的にも大きな話題となりました。しかしその新しい方向の模索が、石井氏が仰る数学敬遠派を少なくする原動力になればすばらしいことですが。2023年の出題(2023年度入試)はどういう内容か楽しみです。