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小野仁選手の逮捕 〜追い詰める親とクレプトマニア・蛙化現象

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野球にあまり明るくないので、小野仁という元巨人選手だったこの人物は記憶にありません。今回は窃盗犯の執行猶予中の身での再犯ということで、注目されています。


 経歴は1976年生まれ。秋田経法大付属高では2年で春夏連続で甲子園に出場、1994年の世界選手権で高校生としては史上初の代表入りを果たす。その後社会人野球の日本石油を経て1997年に読売ジャイアンツに在籍。2003年に大阪近鉄バファローズに移籍。1996年アトランタオリンピックに出場となっています。


 実は巨人選手時代も同僚選手からの窃盗が知られていたのですね。それも大金でなくほんの少し(といっても数万円)を抜くというやり方で、なかなか発覚しなかったようです。しかし常習だったようで次第に疑いの目を向けられるようになり、練習でもだれにも相手にされなくなります。近鉄への移籍はそういった事情もあったようです。しかしその2年後には戦力外通告で27歳で引退となり、その後色々な職業を転々としています。しかし、どこに行っても芽が出なかった。おそらく窃盗はその後も繰り返され、それが原因なのでしょう。


 クレプトマニア。読んですぐ思ったのは、病的な窃盗症(クレプトマニア)です。元女子マラソン日本代表の原裕美子もこれでした。必ずしも困窮しているわけでないのに、盗みを止められない。ただし小野の場合は経済的にもかなり困窮していたようで、盗んだ酒類を売りさばいていたようですが、彼の窃盗癖はそれよりずっと前からです。その原因はいろいろ言われていますが、「自己肯定感の低さ」が挙げられています。小野仁の場合、こんなことも言っております(以下引用)

小学6年の3学期に母親が「もうお父さんと暮らせない」と急に家を飛び出し、ただ母の背中を追いかけるように一緒に実家を後にしたそうです。やがて、これまで苦楽を共にした野球仲間の元に戻りたい気持ちが募り、中1になった4月に父親のいる実家へ帰って再び父と暮らしたそう。父親は”毎日怒られていた記憶だけが残るようなとても厳しい人だったそうで、2018年に父親が亡くなって喪主を務めた際に「後悔をひとつあげるなら父親に褒められたかった」と挨拶で伝えたそう。

そしてこんなことも言っています。

よく怒られてばかりだったので、私は親父に褒められようと一生懸命勉強にも力を入れて、野球も努力しました。ところがいくら良い成績を残しても褒められたことはありません。優勝しても試合の反省点をあげて、テングになった鼻をへし折るような言葉を投げ掛けられました。少年野球時代だけでなく、その厳しさは高校、社会人、プロ野球時代まで延々と続いたのです。甲子園出場を決めた試合では「四球が多い」、アトランタ五輪で銀メダルを獲得した際には「お前は何も貢献していない」、ジャイアンツでの初勝利をおさめたときも途中交代したことに触れて「最後まで投げ切れ」と頭をこづかれたりと、一度も「良くやった!」などと言われないまま野球人生を終えました。

小野仁が野球選手として相当な才能があったのは間違いないです。しかし読売でもこんな状況でした。

野球現役時代の小野容疑者は、一軍と二軍でまったく別人になってしまう。二軍では1試合20奪三振、ノーヒットノーランを達成するなど格の違いを見せつけた一方で、一軍では5連続四球で全くストライクが入らずに降板するなど、精神面の弱さを露呈。長嶋監督からも「小野はピリッとしないね」とのコメント。実力は十分にあったのに、いざという時に本領を発揮できなかったのは、厳しかった父親から一度も褒められることがなかったトラウマが影響しているのかもしれませんね。

 厳しく褒めない親に育てられたからといって、全員がクレプトマニアになるとは思いません。そのごく一部でしょう。でも、そういう褒めない貶すばかりの育てられ方は、子どもの自己肯定感を著しく毀損します。そうなると本来持っているはずの才能もなかなか発揮できなくなると思います。かく言う私自身、そこまでヘンな親ではなかったですが、やはり褒められることが多くなかった子ども時代だったと感じます。なんであんなつまらないことで揚げ足取りされたのかなあ?と、この年になってもまだ思います。「三つ子の魂百まで」と言いますが、本当にそうですね。そういう親はそのまた親からの教育があったからということも考えられますが、どうもそうばかりとは思えないのです。おそらくはある意味でのASDの特性がそういう教育姿勢で露呈していたのでないか?自分の経験からそう感じます。ASD自体稀な発達障害じゃないから、そういうことにずっと苦しめ続けられる子どもは結構多いのでないでしょうか?


「蛙化現象」については読売新聞の6月18日の編集手帖にこんな記事がありました。

童話には共感できるものが多い。とはいえ、グリム童話の「かえるの王さま」にはちょっと首をかしげてしまう。鞠 を泉に落としたお姫さまが、拾ってくれたらお付き合いするとカエルに誓う。いざカエルが城にやってくると、姫は気味悪がって壁にたたきつける…約束を守る教訓を伝えるにしても身勝手な心変わりが怖い若い世代で、この物語に由来する「 蛙 化 現象」が流行語になっている。元々は心理学の言葉だという。好きな相手に好意をもたれた途端、嫌悪を抱く心理を指すが、SNSには心変わりの瞬間が数多く投稿されている<彼氏とドライブしてたけど途中でガソリン入れる 奴まじ無理>。ささいな振るまいで気持ちが冷めることを蛙化と称している。以前は食事中に鼻毛が見えて急に冷めたとか、わかりやすい理由だったものだけれど。繊細なのだろうか。人の心は綿でけがすることもあると、太宰治が書いていたのを思い出す。先日、気流欄の投稿で読んだ。墓参りに出かけると墓石にカエルがいた。二つの目に「よく来たな」と言う父のまなざしを見たという。どこかほっとする蛙化である。

ああ、これを書いた読売の編集者は、「蛙化」の本質をまったく理解してないと感じました。私自身にもある「蛙化現象」。追い求める相手が振り向きそうになる瞬間、どっと感じる「あれ、こいつのどこがよかったの?」。色々無理してそれまで心の隅に追いやっていた相手のイヤらしさや性格の悪さがフラッシュして、一挙に冷める。そもそもそんな相手に気を遣ってへらへらしたり、追っかけてしまう自分がおかしいのです。「蛙化」も自己肯定感が低いひとがなりやすいと聞き、私はああそうなんだと密かに納得します。残念ながら、親の呪縛は一生ものになりそうです。墓石にいたカエルに「よく来たな」と言う父のまなざしを見たのか。ふふ、またうんと足掛けしてやろうというとんでもない悪霊の復活に苦しめられる童話の続篇ですか?つくづく、この編集者氏の能天気に呆れますよ。


 せめてできることは、自分の子ども達だけは同じ道を歩かせないこと。それだけかな。