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大阪大学・微研の研究不正と自殺(2006年)3

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大阪大学・微研の研究不正と自殺(2006年) 〜私の感想


この事件に関して、川崎泰生氏と親しかったと思われる京大生物物理の教授だった柳田充弘先生が書き残しておられます。

きょうは土曜ですが、外出します。

理由は大阪大学吹田キャンパスのコンベンションセンターで行われる川崎泰生さんを偲ぶ会に出席するためです。この会の10人からなる実行委員会からのお手紙では、9月1日に急逝された川崎泰生さんを思うと、悲しみは深まるばかりですが、生前のご活躍をおもい、お人柄を偲ぶべく、追悼の会を催したいとありました。わたくしも、彼の人柄を偲びたく出席するひとりです。

彼は、京大理学部の卒業生で、化学専攻と聞いています。在学中のことは知らないのですが、もしかしたら、わたくしの講義なども聞いたのかもしれません。ウイルス研のW先生のところで博士の学位をとり、米国ではコーネル大学のBT先生のところでポスドクをやったと聞いています。お二人とも女性の研究者で、かれの優しい人柄はそのような愛情ゆたかな指導者のもとでの研究生活のスタートと関係があるのかもしれません。かれは、杉野教授を情愛を持って深く尊敬していたと、聞いています。その杉野教授が自ら捏造データ作成に手を染めていたと、知った時の彼の驚きと落胆はいかばかりだったでしょうか。


彼の自死については、不可解なことばかりですが、振り返ってみると、若くして亡くなったTさんや、Uさんなど死に至る過程など、わからないことばかりです。死は日々のレベルで生の隣り合わせにあるのでしょうか

Tさんは知りませんが、「Uさんの死」とは京大ウイルス研の教授だった梅園和彦氏の自殺のことでしょうか。電気コードでの縊死と聞きます。
柳田先生にあったという川崎氏関係者のメール。

Kさんの 試験管内反応の系は予想以上にいろいろと面白い実験が出来ると、 Kさんとの議論は盛り上がりました。また、タンパク質間の相互作用を見るのにわれわれが使っている実験条件にも非常に優れたアドバイスをしてくれました。おかげで苦労していた実験が動き始め、お礼のメールを彼に送らないといけないなと研究室内で話をしていたのでした。

この件は全く口にしませんでしたが、彼は口の堅いタイプですし、生真面目で正義感の強い男でしたから彼が行動を起こしたという話もうなづけます。ただ、どうして彼が死を選ぶところまで追い込まれてしまったのか。悔しくて、悔しくてなりません。彼の奥さんとは面識はありませんでしたがまだ子供さんも小さいはずで、自分と重ね合わせると、自死して家族を残すという選択がいかに辛いものであったか。今後大学の調査がどのように進むのかは知りようもありませんが、死んだ彼になんらかの責任が押し付けられるようなことにだけはならないようにと願うばかりです。ブログを拝見して、いてもたってもいられず、メールした次第です。

またまったく別なサイトにこんなのもありました。これもやはり杉野研の旧在籍者でしょう。

 正義を捨ててきたから生存している者から…

なぜ、このようなことが起こるのか

違法行為を見て見ぬふりをしてきました。耐えられずに、精神的におかしくなって逃げ出しました。でも、生存しています。負けても・罪を全てかぶった罪人としても・他人に迷惑をかけてでも生きています。生きていればいい。正義よりも・科学の進歩よりも・豊かな生活よりも生きていて。個人の力はあまりに小さいのだから。

自殺防止を言うのなら、無責任を容認しないと仕方が無いと思います。

すいません、へたれなのでこの投稿に関して、コメントは不可にしています。(トラックバックは歓迎します)

前回述べた分子生物学会報告の最後に、
杉野明雄元教授の意見
が述べられていますので、転載します。これはひどいな。ひたすら自己弁明で、自死で亡くなった川崎泰生氏に対して哀悼の言葉はまったくありません。これを読むと、STAP細胞事件で小保方晴子が、自殺した上司の笹井芳樹氏に対して取っている態度と非常に似ています。

意 見 書

この度の私の論文不正に関しまして関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけ致しましたことを、この場をおかりして衷心よりお詫び申し上げます。また、論文投稿を急いでいたとはいえ、最終原稿を論文投稿前に全オーサーに見せていれば、私のデータの解釈、誤解、ミスタイプ等を未然に防げたのではないかと考えられ、この点に関しても深く反省致しております。

今回の処分決定に当たって公表されている大阪大学の報告書等では、私の意見書、弁明書等(その中で、反論する為に証拠等を提出しています)の内容は、引用はおろか、一切明らかにされていません。また、大学関係者の助言も有って、今回の件に関し私が一切新聞記者等の報道関係者に対応しなかったこともあり誤報が多く見られたことは全く遺憾に思います。更に、今回の件で最も致命的なことは、阪大調査委員会の為の資料提出の準備中、大学の私の教授室の書架に置いていた1999年から2006年までの私の実験ノートファイルが紛失しているのが判明したことです。2006年8月11日以降(8月10日には書架に実験ノートファイルがあったことを私の秘書が確認しています)、私がアメリカ出張から帰国して大学に出勤した8月31日迄の間に何者かがこれらを持ち去ったと考えられます。このノート紛失がこれら全ての件に関して私が行った実験の生データの証拠提出が不可能となり、私の立場がより一層不利になってしまいました。阪大調査委員会に於いて、私は、正直に不正箇所は不正をしたと認めているにも関わらず、実験ノートが紛失して生データが提出できない等で捏造したと決めつけています。5報目(Genes to Cells)の論文が、本学会ワーキンググループに於いて、共同研究者からの聞取り調査をもとに誤りがあったと結論付けしていることは全く理解できません。この論文に関して一部使用した酵母菌名に間違いがあった事は認めますが他の件に関しては著者から何も聞いていませんし、これらの実験の多くは(共同研究者の実験結果を追試するとともに)私自身が行ったものを追加して含めてまとめたものです。ただ、まとめ方が共著者が論文作成以前に私に渡した表示方法と全く違っています。これは、論文審査者の一人の指示によるものでした。ただ、上に述べました通り、本件に係る私の実験ノートの重要な部分が何者かによって持ち去られてしまい(一部のデータは私のコンピ

ュータ内に残っております)生データを提出して反論することができない事は残念でなりません。

本学会ワーキンググループ報告書で、本件の発生の背景として、大阪大学と名古屋大学とを兼任していたので研究室での指導が疎かになっていたのではないか、また、ここ数年、大学院生を連れて夏に一ヶ月以上外国に滞在した事も研究室運営に支障をきたしたのではないかとの指摘があります。しかしながら、私は両研究室とも研究報告を定期的に行い研究指導が疎かになっていたとは思いません。また、大学院生を連れて、夏に一ヶ月以上外国に滞在した事は、若い研究者に外国の研究室の雰囲気を体験させ、彼らの英語力を推進させ、将来自分自身で英語論文を書いてもらいたいためにやってきた事です。アメリカ滞在期間中は、メールや電話等で研究室との連絡は密に取ってきていましたので、本学会ワーキンググループの指摘には当たらないと考えます。更に、本学会ワーキンググループ報告書は一つの研究課題に必要な実験を細分化し複数の学生や若手研究者に分担遂行させる研究体制と関連が有り、その背景には、論文発表の効率化が重要視されたことが考えられるとしています。研究の全体構成を把握しているのは私だけである事が多く、個々の研究内容は必ずしも系統的で

はなく、その時に必要な実験を場当たり的に分担する状態であったようであると結論づけています。しかしながら、私自身は、大学院生、若手研究者には自分が関与している各々の実験が当研究室の一大研究テーマ(真核生物染色体複製に於ける DNA polymerase epsilon の機能解析、すなわち、DNA polymeraseepsilon は Leading 鎖か Lagging 鎖合成に関与しているか?)とどのような位置にあり、どのような重要な位置を占めているかを理解するように常日頃指導してきたと信じています。しかし、各々の研究者、大学院生がそれらをよく理解してきていなかったからといって、私が取ってきた研究体制の批判をこの場で行うのはおかしいと考えます。更に、研究員及び大学院生には論文を書くように常々言っていたにも関わらず、全く書こうとせず、研究員、大学院生の大半が私の研究室を去って行きました。従って、このような状況で彼らが去った後、私自身が論文を書かざるを得なかったのが実情です。

平成20年8月30日

杉野 明雄

ひたすら自己弁明と責任転嫁。みっともないんだよ!生きてて恥ずかしくないか?