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大阪大学・微研の研究不正と自殺(2006年)2

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大阪大学・微研の研究不正と自殺(2006年) 〜私の感想


続きです。阪大・微研の杉野明雄教授が長年研究不正をおこなってきたのは、明らかです。数々の発表論文にねつ造したデータがあるということで、続々と掲載さていた論文のretract(撤回)がなされました。
日本分子生物学会がおこなった調査報告を抜粋します。

論文調査ワーキンググループ報告書

・ はじめに

2006 年秋、共著者からの申し立てにより行われた大阪大学の研究公正委員会の調査において、杉野明雄元大阪大学教授を責任著者とする少なくとも2編の論文に捏造、改竄と断定しうるデータが含まれているという結論が発表された。日本の DNA 複製研究の第1人者であるとともに日本分子生物学会の運営に深く関わった人物の論文不正作成とのことであったため、日本分子生物学会としては、杉野元教授の論文問題に対する説明責任を果たすとともに、今後同様の問題の発生を防ぐ努力が必要と判断し、学会内に研究倫理委員会を発足させ、その下部組織として本論文調査ワーキンググループ(以後 WG と記載)が 2007 年 4 月に設置された。その目的は杉野元教授の論文問題について、客観的事実に基づいてできるだけ中立の立場で、論文捏造の背景(またはその旨大阪大学に判断された背景)、およびそのプロセス、周囲の対応を調べ、将来の日本の分子生物学を健全に発展させるための教訓を提示することにある。

中略

杉野元教授の論文問題の背景についての考察

杉野研究室における個々の研究指導は、一般的な研究室のものと大きくかけ離れてはいなか

ったと思われる。ここに取り上げるべき問題点は、まず第1に、上に述べたような論文執筆体制である。遅くとも 90 年代後半から、主として、研究責任者である杉野元教授が原稿全体を初めから執筆し、しかも、執筆時や改稿時に、共著者との連絡がほとんどない場合が多かった。れにより、杉野元教授による捏造や改竄が行われた場合、あるいは単純なデータの取り違えが生じた場合にもこれらが看過される状態が生じていた。このような論文執筆体制は、1つの研究課題に必要な実験を細分化して複数の学生や若手研究者に分担遂行させる研究体制と関連があり、その背景には、論文発表の効率化が重視されたことが考えられる。研究の全体構成を把握しているのは杉野元教授だけであることが多く(ただし、杉野元教授は、説明はしていたと主張している)、個々の担当者の研究内容は必ずしも系統的でなく、その時に必要な実験を場当たり的に分担する状態であったようである。また、共同研究者や学生が全体構成を把握しているか否かにかかわらず、このような分担の指示があった場合には、立場上、断れない状況であったとの関係者の指摘もあった。このような分業的な研究体制、論文執筆体制になった背景には、大学院重点化による院生数の増大と教員数不足の可能性も考えられる。杉野研究室では、大学院重点化の数年後には、学生への指導力の低下が見うけられていたようである。

第2の問題点は、細部までデータをもって実証することへの意識、モラルである。杉野元教

授の論文で問題となったデータは、実験構成の統一性やデータ細部の完全性に必要なものである一方、ほとんどの場合、論文の主要な結論に影響を与えるものではなかった。細部データの補足のため、論文の再投稿や改稿の際に不適切なデータが加えられた場合が多かった。単なるデータの取り違えだとしても、そのような取り違えが頻発すること自体が、細部データの軽視に他ならないと思われる。杉野元教授は、主要な結論を合理的に導出するストーリーを重視した一方で、細部の実証性に対する意識が低かった可能性がある。一方、デジタル画像として保存された実験データは、容易に操作できた。杉野元教授には研究競争への強い意識があったため、論文発表の遅延による不利益を回避したいという気持ちが強く、それとともに細部の実証実験の軽視とが重なって不正行為につながった可能性がある