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阪大医学部の入試漏洩事件6 〜医学部入学に狂奔した親たち

阪大医学部の入試漏洩事件1 〜身の毛もよだつ戦慄の展開
阪大医学部の入試漏洩事件2 〜大阪大学の狼狽
阪大医学部の入試漏洩事件3 〜一体何処で漏れたのか
阪大医学部の入試漏洩事件4 〜不正入学者たちの命運
阪大医学部の入試漏洩事件5 〜当時の大学偏差値
阪大医学部の入試漏洩事件6 〜医学部入学に狂奔した親たち
阪大医学部の入試漏洩事件7 〜同級生の証言
大阪大学・微研の研究不正と自殺(2006年)1



ここからはまた「つぶやき館」から引用させていただきます。

姜旭生の作戦にはまったのは開業医や会社役員、商店主、教育委員長や小学校の校長までいた。


 岡山県開業医、娘を医者にしたいが、出来は良くない。そこで自分の出身校、平壤医専時代からの友人、で箕面教育委員長の萩原健秀医師に相談した。萩原医師は「なんとかするから工作費と謝礼で800万円は必要だ、落ちたら返金する」後日、大阪市大に願書を出すように指示した。更に願書提出締め切り間際に阪大医学部に願書を出させ、特訓した。この娘は合格した。


 萩原医師は箕面で内科、眼科を開業しており、妻も医師だった。車は三台、と今なら普通でも当時としては豪勢な生活だった。昭和40年から教育委員長、入試問題窃盗グループに接近したのは岸井正を通じてであった。自分の子供もやはり医師にしたくて、岸井を通じて昭和43年に息子を阪大医学部に入学させることに成功していた。500万円の謝礼を払った。


 萩原医師は平壤医専の仲間を通じて四人を岸井に紹介した。その中には100万円を50回払いということで息子を阪大に入れた西成の病院長もいた。岸井は1億円以上を姜に儲けさせた。

今の貨幣価値でいうと、安くて5000万円、多いと5億円です。5億円!!いや息子を医者にするのに5億円払いますなんて言える親、今の日本でもなかなかいないんじゃないかな??

萩原医師は平壤医専という学校に劣等感を感じていた。息子は一流の大学の医学部に入れたかった。後継者も必要である。


 小学校校長も子供のために入試問題を買った。松原市立天美南小学校の伊豆野勝校長47歳である。昭和43年足をくじいて、松原市内の接骨院に通院していたとき、接骨医が「金さえ出せば医学部にも入れる」、「うちの息子は国立は無理だ」、「いや、大丈夫です」半信半疑だったが模擬試験のつもりで受けさせた。接骨医似は50万円払った。


 試験日前、息子は大阪の都ホテルで徹夜の特訓、しかし落ちた、大阪市大工学部だった。岸井は「来年は必ず入れてあげる、200万円必要だ」と言ってきたが小学校長は断った。


 岸井は昭和23年浪速商業をでているが、同窓会も利用した。昭和43年の学園祭にあの「医学博士」の名刺を持って現れ、さらに職員室に行って恩師の教諭にその名刺を出した。「阪大の微生物研究所で講座を持っている。国立大でも10%は金で入れる枠がある。私は出題教授も知っているし、後輩のためだから、医学部志望生徒がいたら紹介してほしい」

「国立大でも10%は金で入れる枠がある。」本当かや?

そばで聞いていたM教諭、T教諭は親類にこの話をした。M教諭の親戚の住吉区の八百屋の息子は昭和44年、阪大医学部に合格した。T教諭も700万円で教え子を大阪市大医学部に入学させると仲介した。

もう、金で何でも買うたるわ、金で買えんもんなんてないわ!という勢いです。何か怖いなあ。しかし、無理はあかん。

 阪大医学部に娘を入学させたのは津山市の開業医、B子さんとしよう。B子さんの阪大医学部入学は津山市内を驚かせた。ある津山市民の女性から「当の女生徒は阪大の現教官に数ヶ月、私塾されたといいます。私は個人を非難しようと思いませんが、この津山で、津山高校でも阪大医学部など完全にトップの成績でないと可能性はありません。幸運で合格もありえないでしょう。

早晩、この不正入試の真相はバレたと思われます。