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「変わる共通テスト 模試が過酷に」 〜もう限界を超えている

ポワール


日経のコラムシリーズ「受験考」は受験に関係する予備校や中高の教員がリレーで書いています。今週はこんな記載がありました。引用します。

変わる共通テスト 模試が過酷に、受験生消耗


既卒生のリサ(仮名)が疲労困憊(こんぱい)した様子で、なかなか授業に身が入らない。理由を聞くと「昨日の大学入学共通テスト模試ですっかり体力を奪われた」とこぼした。


共通テストは今年度から内容が新課程に移行し、形式も大きく変わる。ほとんどの国立大受験生は受験科目に新設の「情報」が加わる。国語は大問が1つ増え試験時間が10分伸びる。数学の2科目めも10分長くなる。負担は以前より明らかに増している。


模試も過酷になった。共通テストは2日間の日程で実施されるが、模試は受験生を終日拘束し全科目の試験を1日で終える。今年度は試験時間が増える分、休憩時間が短くなった。


生徒、特に既卒生から共通テストについてよく聞かれる。だが、新試験の中身は予想しづらく対策が難しい。生徒には経験値を積ませるため、早くから模試を受けるよう促してきた。


さっそく初回の模試を会場で受験してきたリサによれば、現役時に受けた模試より体力的な負担は大きいという。今年度の試験がいかに大変か、身をもって知ったようだ。


 これしかし、模試だけでの問題ではないでしょう。教員側として私が思うのは、「今の共通テストの枠組みをつくっている人たちは、実際に自分で受けてみたらどうか?」です。大学教員がそう思うくらいですから、予備校や高校の教員はもっと切実に感じているのでないでしょうか?あれも入れたい、これも入れたいで、今年度におこなわれる令和7年度入試対応の共通テストは、国語・地理歴史・公民・数学・理科・外国語・情報の7教科21科目で構成されます。 この中から、東大や京大など最難関国立大学の受験生だと6教科8科目を受験することになります。


文系
「外国語」
「数学Ⅰ・A」
「数学Ⅱ・B・C」
「国語」
「情報」
「理科基礎」(2科目で1科目扱い)
「地歴・公民」(2科目)


理系
「外国語」
「数学Ⅰ・A」
「数学Ⅱ・B・C」
「国語」
「情報」
「理科」(2科目)
「地歴・公民」(1科目)


我々共通一次世代の初期ですと5教科7科目でしたから、1科目増えただけとなりますが、実際の受験生負担はかなり高くなっていると思います。まず「情報」が新規に増えました。さらに数学で「数学C」が追加になりました。数III・Cが課されている理系の受験時、「数Cの範囲である統計が出題されるかどうか」が悩ましかった。まず出ないと思っていても、ごくたまに出題されることはありました。でもそれはほぼ無視して数IIIの微積分の方に学習を集中させました。しかし、今回は数C単独なので「統計」必須となり、悩まずとも必ず勉強しないといけなくなりました。「国語」と「数学Ⅱ・B・C」で試験時間が下図のように10分長くなります。


時間にして文系理系とも全部で620分となり、2日間の試験時間が10時間以上になります。我々の時代の共通1次試験は全部で540分でしたから、ほぼ15%試験時間が増加しています。これ、本当は「情報」追加の時点で試験日程を2日間から3日間に変更すべきだったと思います。ところが文科省は模試と同じ理由で試験会場を3日間確保することが難しいことから(大学や高校の校舎を使用する)、2日間日程を強行したと聞きます。


 こんなに長時間の耐久レースみたいな試験を受けさせて、本当の実力を測ることができるのでしょうか?自分が共通1次試験を受けた時も結構きつく、あの頃は2日目最後だった外国語の受験時はかなり疲れていました。英語は自分としてもっとも得意な科目でしたが、あとで自己採点すると思わぬ問題でエラーをしていました。どうしても集中力が続かない。今の共通テスト受験生はその比ではありません。特に今年度からはかなり過酷なものになります。これからの時代は「長時間集中力を持続できる」が、発展するチカラとしてもっとも重要なのでしょうか。


 再び日経の「受験考」から引用します。

時代の要請を受けて入学者に求める学習範囲が広がるのは分からなくもない。ただ、受験生の実態に照らせば学習負担は増える一方だ。早期に対策できる受験生が有利になることは間違いないだろう。


既卒生の中には初回の共通テスト模試を受けなかった者もいて、あっけらかんとした様子でいる。そんな生徒たちには次回の模試の会場受験を強く勧めるつもりだ。これだけハードな模試なら楽観視している受験生の目を覚まし、プレッシャーを与える良い材料になる。

予備校教師としては叱咤激励しかないでしょうが、私は「こういう拷問みたいな試験はもうやめるべき時期が来ている」と強く感じます。まるで中国の「科挙」そっくりです。科挙は 6世紀の隋の時代に創設された官僚の選抜試験で、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続きました。第一関門の「郷試」の実施要領をwikiから抜粋して引きます。

郷試は科挙の本試験であり、その第一の関門となる試験であり、その試験倍率はおおむね80から100倍程度で推移していた。


郷試は3年に1度、子年、卯年、午年、酉年ごとに実施されることが法令で定められていた。その期日もあらかじめ指定されており、具体的には、8月9日に第1試験、8月12日に第2試験が、8月13日に第3試験が実施される。第1回の試験では四書題3問と詩題1問の試験が課され、第2回の試験では五経題5問が課され、第3回の試験では策題という政治論文が課された。

全3回の試験は、それぞれ3日間かけて行われ、各回ともに1日目は丸1日が受験生を入場させるために用いられ、2日目の早朝に問題が発表される。そして、3日目の朝までが回答時間として与えられ、3日目の夕方までに答案を提出することになっていた。この流れを3回繰り返し、試験は終了となる

この郷試に合格すると、その後に「会試」、「殿試」と二次試験、三次試験と続きます。「殿試」の殿は宮殿のことで、天子様ご臨席のもとにおこなわれ、これに合格すると、晴れて朝廷の高級官僚として栄華を極めることになります。この科挙は身分や貧富と関係なく校正におこなわれました。無論カンニングをするヤカラはこの頃からいて、その秘策の痕跡が今でも伝えられています。しかし、それが有名になるくらいこの試験は厳正におこなわれていたともいえます。歴代の王朝が交代しても、科挙の制度は死守されました。何と言っても有能な官僚を登用するのに、これにまさる試験がなかったからでしょう。しかし、ではなぜ科挙は廃止されてしまったのか?再びwikiから引用します。


このような試験偏重主義による弊害は、時代が下るにつれて大きくなっていった。科挙に及第した官僚たちは、文選や文章軌範などに書かれたような詩文の教養のみを君子の条件として貴び、現実の社会問題を俗事として賎しめ、治山治水など政治や経済の実務や人民の生活には無能・無関心であることを自慢する始末であった。これを象徴する詞として「ただ読書のみが崇く、それ以外はすべて卑しい」(万般皆下品、惟有読書高)という風潮が、科挙が廃止されたあとの20世紀前半になっても残っていた。

衒学の徒」といえるでしょうか。現代日本の共通テストは「考える力」を重視し、丸暗記学習の弊害を除こうとしています。しかし、それであっても「正解がある試験」であることに違いはありません。変化に乏しく上から与えられた課題を黙々とこなすだけで時代をしのげるなら、この長時間耐久レースによる選抜に意味があるかも知れません。しかしながら、今の時代のようにあらゆることが激しく変化する時期に、そういう選抜手法にこだわるのは如何なものか?


 「国際卓越研究大学」選定で議論かまびすしい東北大学ですが、実は国際卓越研究大の認定過程で、「入試の全てを将来「AO入試」と呼ぶ総合型選抜にする」と打ち出しました。東北大学の考え方を朝日新聞から引用します。


現在は一般選抜で点数順に決めるのが最も公平と受け止めている。今後は、学力を担保しつつ多様な人を受け入れる入試が必要だ。少子化のなか、大学が多様な人材を集め、そういう人が活躍できる教育がポイントになる。そのためにAO入試シフトを進める。

ダイヤモンドの記事から引用します。

東北大ではかねて、総合型選抜シフトが進んできた。24年度入試の募集人員構成において、非一般選抜比率(総合型選抜と学校推薦型選抜の比率)が約3割。旧帝国大学(北海道大学、東北大、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学)の中では突出している。 旧帝大の一つである東北大が3割どころか10割へとかじを切ることに対し、世間からは「偏差値で届かない難関大学に入りやすくなる」との期待とともに「入学者の学力不足が進む」という懸念の声が聞こえてくる。

しかし、これからますます加速する日本の少子化を考えると、今の大量受験生からの選抜を主眼にした一般入試はもはや時代遅れになっていると私は考えます。一番の原因は「偏差値」という単一の物差しで学力を測ることができなくなってきたからでないでしょうか?ここは東北大学の試行が一段先を見据えていると感じます。こういう状況変化をみると、今回の共通テストの過剰な負荷追加はもう完全に時代遅れで、いわゆるガラパゴス化しています。時間もお金も無駄なので「共通テスト廃止」一択と私は考えます。できるかぎり早くこの共通テストを廃止しないと、日本はますます教育で他の先進国から遅れをとります。

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