「食べるたのしみ」 〜田辺聖子と食
田辺聖子が亡くなって早5年か。月日が経つのは早いものです。一昨年の2022年に日経で梯久美子が「この父ありて」と題して連載した女流作家とその父親のエピソード紹介がありました。田辺聖子も紹介されていました。第二次大戦後すぐに体調を崩して伏せた父親について、田辺聖子は自分の日記で驚くほど辛辣な描写をしていたことを知りました。
このとき田辺は学校から帰ってきて炮烙(ほうろく)で豆を煎っていた。食糧事情は戦時中より悪化し、一日の大部分を食べることのために費やさねばならなかった。
〈お父さんがふらふらと夢遊病者みたいな足取りでほの白い顔をしかめて蚊帳から出て来ていう。
「聖ちゃん、勉強あるのやろ」
「うん」
「せめて、あんたら三人だけでも、暢気(のんき)に勉強させてあげたいのやがな」
呟(つぶや)くようにいう。私は寂しくなってひとしきり、ガチャガチャと炮烙の豆をかきまわした〉(昭和20年=1945年9月13日)
冒頭に引いた日記からは、そんな父の無念の思いを田辺が理解していたことがわかる。だが一方で、時代と病に負けて衰えてゆく父の弱さを、受け入れることができないのだった。
その後の日記には、父への批判と嫌悪が綴(つづ)られている。
〈父は口に出していうといっぱし言うが、実行力も、時勢に順応してゆく気力もだめ〉(10月7日)
〈父の病気はよくならず、食気ばかり盛で、母がいないとニチャニチャと音を立てて缶詰をたべる〉(10月21日)
この年末、父親は病死しました。田辺聖子の随筆では自分が如何に両親に愛されていたか、とりわけ父親からとても愛されていたこと、また色々なところに連れて行ってくれた思い出が随所で紹介されています。上の内容は僕にとってショックでしたが、今思うに田辺聖子は敗戦によって「軍国少女」としてのアイデンティティを失っただけでなく、それまで精神的支柱だった父親までもが倒れてしまい、底なしの不安に陥っていたのでないかと思います。後年、田辺がかもかのおっちゃん(川野純夫氏)と結婚したのは自分に結婚願望なんて全然なかったのに、相手の押しの一手に圧倒されたからだと、この「食べるたのしみ」でも書いています。しかしそうかな?良い歳して今更結婚?と周囲の好奇の目は間違いなくあったはずで、照れ隠しでしょう。田辺聖子の後半生は川野氏の愛情に支えられていたと思われ、ある意味ずっと男運に恵まれたひとでした。そういった豊かな愛情が、この食にまつわる随筆集にもあふれています。
田辺聖子の食でまず思うのは、自分で料理することがとても好きだったこと。この本でも日常の献立や買い物のためのメモが紹介されていますが、そうめんとかコロッケ、オムレツとかのありふれた献立を丹念に記録し、家族とどう食べたか克明に書いています。大人と子供達で別の献立を毎回つくっており、感心します。そういう目でみると、前回紹介した芦原伸氏の「世界食味紀行」がつまらないと思ったのは、おそらく芦原氏が自分では料理したことがない人だったせいでないかと思います。まあ「昭和の親父」は仕方ないかなと思うけど、でもそういう本出すなら、自分でつくらなくてはダメでしょう?僕は一人暮らしを始めたことからもう30年以上、自分で料理しない日はありません。最近は田辺聖子と同じで、仕事が終わると「さて今晩は何にするか?」といろいろ考えながら帰宅します。途中スーパーとか寄ってよい食材が手に入ったらすぐさま献立変更。家内は帰ってくるまで今晩どうなるのかわからず、やきもきしているでしょうけど。
そして地元関西愛にあふれた食の紹介が楽しいです。ハモの照り焼きとか湯引き、首都圏でも手に入らなくはないけど日常の食べ物とは言えません。それに魚屋で売るハモの湯引きの出来合いはなぜあんなに固いのか?骨切りしてあっても小骨がごりごり舌に当たるので全然美味しくない。たまに売っている骨切りだけしてあるハモの生の身を自分で湯引きするとそんなこと絶対ないのですが、骨切り生ハモの身はなかなか出ません。いいなあ、関西。
田辺聖子の祖父が好んだという「柳蔭(やなぎかげ)」。みりんを焼酎で割って冷やして飲む、夏の酒です。こういう習慣は関東では聞いたことがないですが、江戸の昔はこれを「本直し」と言ったと田辺聖子は書いています。
田辺聖子は川野氏との結婚後大阪から神戸の生活になったのですね。関西圏から遠い私は京阪神の地域差があまりよくわかりませんが、神戸は確かにハイカラでしょう。川野氏は先妻とのこどもが多く、また医師として財力もあったからと思いますが、神戸の西洋館に田辺聖子と住まいを持っています。見ると住むとは大分違うようですが、ちょっと羨ましい。しかしこの西洋館、その後の阪神・淡路大震災で壊れてしまったのでないでしょうか。あの震災を乗り越えた西洋館は少ないと聞きます。
「食事を楽しくする秘訣は?」というなら、「イヤな人と食べない」と田辺聖子は言います。これ、まったく同感です。昔一緒に仕事をする羽目になったイヤな上司は、酒食の席でも嫌みな事をしょっちゅう言う人でした。「すまじきものは宮仕え」と言いますが、おそろしく不愉快な時間でした。田辺聖子も言うように、一生涯に食事する回数を考えたらイヤな食事をするなんてもったいなくてたまりません!今は幸い縁切りできたけど、もう二度と同席はお断りです。それくらないなら、一人で食事する方がまし、そう以前紹介した「かしまし娘」の庄司照枝さんも、晩年一人で楽しく手酌でハイボールをいただきながら食事されていましたね。関西圏は「生活の達人」が多そうです。私も見習って、この世に「ほな、さいなら」となるその日まで楽しい生活を送りたいですね。
「食べるたのしみ」田辺聖子著 中央公論社 2023.1.25

このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。