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現代の「楢山節考」 〜君津の姉置き去り事件(東日本大震災)

ポワール

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前回書いた東日本大震災の時の君津の置き去り事件、詳細がどうだったのか気になりました。産経新聞に公判の模様が記載されていました。引用します。


君津置き去り 「また来るから」不安感じる姉に嘘

2016/2/2 07:08


また来るから」。足が不自由な姉の幸子さん=当時(60)=を君津市黄和田畑の山林に置き去りにしたとして、保護責任者遺棄の罪に問われた弟の無職、黒川勝雄被告(63)=香取市笄(こうがい)島=は、1日の千葉地裁八日市場支部での初公判の被告人質問で、山林で不安を感じている幸子さんに嘘をついたことを明かした。犯行時には「肩の荷が下りたと思った」とも述べたが、その後遺体で見つかった幸子さんに「かわいそうなことをしてしまった」と語る場面もあった。

冒頭陳述や被告人質問によると、黒川被告はもともと両親と姉の幸子さんの4人暮らし。両親を手伝って農業をしていたが、両親が亡くなった平成11年ごろから幸子さんと2人で生活を始めた。別居していた妹と話し合い、足の不自由な幸子さんの面倒を見る代わりに、総額約2千万円とみられる土地などの遺産を相続。以降はずっと無職だった。

 13年ごろには遺産の一部で山武市内に一戸建てを購入。だが、23年3月の東日本大震災でこの住宅が津波被害を受けたため、幸子さんとともに各地のホテルなどを転々とした。震災約1週間後の同17日ごろには、幸子さんが低体温症になって入院。こうした困窮について妹に相談したが、支援を断られたという。

やはり姉の歩行障害は生まれつきだったのでないかと思います。兄がその面倒をみるといっても、妹はこの財産分与に本心では納得がいってなかったのでないでしょうか。その遺恨がこういう仕打ちとなって、出たのでしょう。

ついには「面倒を見るのが煩わしくなり」、翌月6日、タクシーで君津市内の現場近くまで行き、徒歩で山林まで連れて行き幸子さんを置き去りにした。

 被告人質問で黒川被告は、置き去りにした幸子さんが歩いて帰ってくる可能性について「不可能だと思った」と説明。置き去りにする際には、幸子さんに「戻って迎えに来るんだね」と聞かれ、「また来るから」と答えたとした。当時の状況に関しては「気軽に相談できる相手がいなかった」とし、「かわいそうなことをしてしまった」とも述べた。

裁判はどうなったかは、千葉日報の有料記事で

<障害の姉・山林置き去り>自首の弟に猶予刑 千葉地裁八日市場支部

となっています。

千葉日報有料記事にはこういう内容もありました。

山武市内最大級の被害地区 自宅全壊の1カ月後 障害の姉放置

2015年11月19日 11:08 | 有料記事

 千葉県警や山武市によると、黒川容疑者らが事件前に暮らしていた小松地区は太平洋岸にあり、東日本大震災に伴う津波の直撃を受けたり、津波の逆流で近くの木戸川が決壊し、同河口付近などで家屋倒壊などが続出。

まさに天災です。この大震災さえなければ、家を津波で流され失うこともなかった。つつましい生活ながら、黒川被告の姉も天寿を全うできたのかもしれません。

幸子さんに「戻って迎えに来るんだね」と聞かれ、「また来るから」と答えたとした。

と述べていますが、黒川幸子さんは弟がもう戻ってくることがないとわかっていたでしょう。川で白骨死体で見つかったとのことで死因不明ですが、入水自殺だったのかもしれません。「迷惑をかけた自分は捨てられたのだから、もう死ぬしかない」と覚悟を決めて。


 深沢七郎の「楢山節考」を思い出します。


「お山へ行く作法は必ず守ってもらいやしょう
一つ、お山に行ったら物を云わぬこと」


「お山に行く作法は必ず守ってもらいやしょう
一つ、家を出るときは誰にも見られないように出ること」


「お山に行く作法は必ず守ってもらいやしょう
一つ、山から帰る時は必ずうしろをふり向かぬこと」


wikiから引きます。

『楢山節考』(ならやまぶしこう)は、深沢七郎の短編小説。民間伝承の棄老伝説を題材とした作品で、当代の有力作家や辛口批評家たちに衝撃を与え、絶賛された、当時42歳の深沢の処女作である[1]。山深い貧しい部落の因習に従い、年老いた母を背板に乗せて真冬の楢山へ捨てにいく物語。自ら進んで「楢山まいり」の日を早める母と、優しい孝行息子との間の無言の情愛が、厳しく悲惨な行為と相まって描かれ、独特な強さのある世界を醸し出している。 

拙作「楢山節考」は 姥捨の伝説から題材を得たので信州の姥捨山が舞台だと思われているようだが、あの小説の人情や地形などは、ここ山梨県東八代郡境川村大黒坂なのである。もちろん現在のここの風習ではなく、もっと以前のこの土地の純粋な人情から想像してあの小説はできたのだった。だから「楢山節考」に出てくる言葉―方言は信州ではなく甲州弁である。

 もう間もなくで来ると思われる首都圏あるいは南海トラフの大震災の後でも、「楢山」があっちでもこっちでも起こる事態があるかもしれないと思うと、非常に気分が重くなります。

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