昔東大文一はずば抜けて難しかった 〜宮沢首相がこだわったのもわかる気が
1970年〜1980年代の大学受験組として、文系では東大文科一類が他より頭が一つ抜けて難しかったように感じます。「ように感じます」というのは私自身は理系だったから正確には知らないからですが。しかし、文系受験の友人でも東大文一を志望しながら、浪人してもどうしても点数が伸びずに文二に切り替えて進学した者が何人かいました。今のように合格最低点で文一が文二や文三に抜かれたりすることを聞くと、隔世の感がありますね。プレジデントオンラインの記事から引用します。
昭和(特に戦後~バブル前夜あたり)の時代、圧倒的な地位を築いていた東京大学文科一類の入学難度についても詳しく見ていきましょう。
〜中略
昭和後期には、文一と文二・文三との間には偏差値で言うと5~10程度の差があったと言われ、文一は圧倒的な地位に君臨していました。東大の文系入試で最も合否を左右する科目である数学では毎年4問出題されるのですが、当時文三は一問完答、文二は二問完答、文一は三問完答する必要があると言われていたそうです。
この頃の予備校のデータを見てみると、当時の東大文一合格者の高2時点の文理共通の数学の問題での平均点は京大理学部合格者のそれを上回っていることが確認できます。文系でありながら東大京大(医学部除く)の理系をも凌駕する数学力まで兼ね備えていたのです。
うーん、当時の東大文一の合格者の数学力が京大理学部の合格者より高かったとは、たとえ高2時点ではあるにせよ驚きです。大学受験で難関校の合否は理系だと数学の出来でほぼ決まるのは今も昔も同じですが、文系でもこの時期は数学力が大いにものをいったのですね。当時の文一の難しさは平成以降とは大分違っていたようです。この時期、慶應医学部の学生には東大文一とダブルで合格した者もいました。東大は辞退して慶應に入学したわけですが、あの先輩ただ者ではなかったのだな。
しかし現在、東大文系の合格最低点は文一、文二、文三の間で大差がなくなってしまいました。2021年入試では、なんと文二、文三の合格最低点を文一が下回ってしまうという、この世代の受験生からしたら信じられない事態が起こっています。
〜中略
ちなみに、この時代の東大文一を受験した有名人に岸田文雄前首相がいます。
岸田首相は3度の東大受験に失敗し、早稲田大学法学部に進学しており、ネット上では「東大落ちたくせに」と叩かれていることも多いです。
たしかに岸田首相は東京大学文科一類の受験に失敗していますが、前述の通り全盛期の文一を受けているという点にご留意ください。当時の文一は圧倒的であり、不合格者でも文二や文三であれば受かっていたということは十分ありえるでしょう。
そういうわけなので、岸田首相を叩くのは大目に見てあげてほしいというのが正直なところです。
そうかもしれませんね。
名門鳩山家の生でも屈指の「受験天才」
第一章では戦前の神童エピソードを紹介しましたが、もちろん戦後にも天才は現れます。
鳩山邦夫さん(1970年東大法学部卒)は個人的に推している天才の一人です。
そもそも鳩山家といえばとんでもない学歴エリート家系として知られており、なんと5代連続で東大生を輩出しています。
学者や政治家の家系で3代連続東大といった例はそこそこ見られますが、5代連続となるとかなりのレアケースでしょう。
名家揃いの政治家一族の中でも鳩山家はひときわ注目を集めており、『鳩山家の勉強法』という教育本が学習塾から出版されているほどです。
これねえ、私は祖母からも鳩山家の偉業を言われましたよ。別に東大を出たから格段に優れているというわけでもないことは、ルーピー由起夫氏が証明してしまってますが、こと受験に関してはすごい一族です。その中でピカイチに有名だったのが、鳩山邦夫氏。
内閣総理大臣を2人も輩出した秀才揃いの鳩山家の中でも、とりわけ「受験天才」の才能が光っていたのは、鳩山由紀夫さんの弟である邦夫氏です。
邦夫氏は幼少期から神童と呼ばれ、数々の神童エピソードが語り継がれています1.高校時代、駿台全国模試で全国1位連発
2.駿台模試初の現役生での全国トップとなり週刊誌から取材を受ける
3.東大法学部を首席で卒業(元都知事の舛添要一と首席争い)
4.写真記憶(カメラアイ)ができたと言われている
5.参考書を買ったことがない(立ち読みで覚えていた)
6.母親(鳩山安子)曰く、兄の由紀夫はしっかり勉強していたが、邦夫が勉強しているところは見たことがないとのこと
7.大臣時代、膨大な資料を一度流し読みしただけで完全に内容を理解・暗記し、重要部分には漏れなくチェックをつけていた
8.田中角栄から「君は官僚たちとは持っているものが違う。他人とは違うということを理解しなさい」と釘を刺される
まず1と2ですが、僕が浪人時代、駿台新聞に鳩山邦夫氏が寄稿していて、知りました。うひゃー、すごいな!と思った憶えがあります。舛添要一氏は下に出てくる片山さつき氏の元夫でもありますね。4はそれほど珍しくもなく、自分の同級生にも何人かいます。しかし、5〜8はさすがにすごいですね。角さんも政治家としては稀代の天才だったからね。
そしてこういう特集ならきっと出てくると思っていたのが、宮沢喜一氏です。
昭和を代表する学歴厨とも言われる宮澤喜一さんにも触れないわけにはいきません。
宮澤喜一氏は東京帝大法学部から大蔵省に入って内閣総理大臣にまで上り詰め、「日本一出世した学歴厨」とも呼ばれる人物です。
高い英語力にも定評があり、サンフランシスコ講和会議には全権随員として参加しています。
宮沢さんの英語力はあの年代の政治家の中では、かなり目立っていました。今ならさほど珍しくはないけど、戦前のあまり恵まれてない時代の育ちにしてはよくできます。
政界きっての学歴厨であったことで知られており、早稲田大学卒の竹下登元総理に「貴方の時代の早稲田の商学部は無試験だったんですってね?」と煽ったというエピソードや、東京農業大学出身の金丸信に対して、「偉い方ですよ。大学を出ているんですね。知っていました?」「そいつはお出来になりますなあ」と皮肉ったという話も語り継がれています。
東大法学部至上主義者であったことでも知られ、経済学部などの出身者には「ほう、近頃は法学部でなくても東大って言うんですか」と言い放ったというなんとも強烈なエピソードも残っていたりします。
確か宮沢氏の首相時代の番記者にも東大出がいて、ところが「なんだあなた、東大といっても法学部じゃないの?」とか言い放ったと聞きますね。
1970年頃、さいたま市立高砂小学校では、同校始まって以来の天才少女が現れたと話題になっていました。こちらの天才少女とはみなさんご存じ、今では政治家やコメンテーターとしてご活躍の片山さつきさんであります。彼女は当時から「神童」として近所ではちょっとした有名人だったようです。
彼女の華麗なる経歴を振り返ってみましょう。
片山氏は東京帝国大学の数学科を出た数学者・朝長康郎の娘として生まれます。小学校時代は開校以来の受験天才だと持て囃され、当時首都圏の女子で最も難易度が高かった東京教育大学附属中学(現・筑波大学附属中学)に難なく合格・進学します。ここでもトップを独走し、全国模試でもたびたび1位を獲得するなど、神童ぶりを遺憾なく発揮します。
当時圧倒的な地位を誇った東京大学文科一類に現役合格し、進学します(同じ年に岸田首相も東大文一を受験しておりますが、儚く散っておられます)。
片山さつき氏、そこまですごかったとは知らなかった!岸田さん、涙目。
先ほど取り上げた鳩山邦夫氏(高校の先輩後輩の関係でもあります)との異次元の受験天才トークです。まだ財務省の役人だった片山さつき氏と邦夫氏が受験の話になり、「先生は高校時代、全国模試で1位、1位、3位、1位だったそうですね」と片山氏が尋ねると、邦夫氏は満足そうに「そうだ」と答えます。
すると片山氏が「私は1位、1位、1位、1位でした」と勝ち誇ったように言ったというのです。これに邦夫氏は「あの女はなんだ!」とご立腹だったということです
ははは!それは嫌みな女ですね。調べたら鳩山邦夫氏は学習院中等科から東京教育大学附属高校に進学しています。この当時は東京教育大学附属(今の筑附)の全盛期で、同じ東京教育大学附属でも駒場(今の筑駒)など目ではなかったです。中学受験でも私立御三家(開成、麻布、武蔵)に合格しても東京教育大学附属中に合格したら、そちらに行く時代でした。
読んだ感想。この時代の受験話は、最早昔話と同じようなものです。そもそも東大文科一類に進学する価値がいま霞んでしまっています。昨今の受験生にはほとんど理解できないでしょう。
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