(2020年京都大学に100億円の個人寄付をおこなったユニクロ・柳井正氏(中央)と、本庶佑氏(左)・山中伸弥氏(右))
以下は医学関係の評論で知られる病理医の榎木英介氏のコメントです。
卒業生は他人?ノーベル賞広報にみる日本の国立大学の残念さ
榎木英介 病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
10/9(木) 16:01
またも日本人が受賞!
日本中が沸いている。2025年のノーベル賞は、生理学・医学賞に坂口志文博士が、化学賞に北川進博士が受賞されることが決まった。複数の日本人が同じ年に受賞するのは久々だと言える。この二人には共通項がある。そう、京都大学(京大)卒であり、京大教授の経験があり、そして同じ年(昭和26年)に関西で生まれたことだ。坂口博士が1月生まれで1浪、北川博士が7月生まれで現役で京大に入っていることから、同じ年に京大に入学した同級生と思われる。まさに「ノーベル賞の京大」だ。
しかし、そんな2人だが、京大の扱い方は明暗というか、非常に対照的だ。京都大学のトップページを見てみたい。10月6日の京大トップページ。坂口名誉教授(現阪大教授)の広報は実にあっさり。坂口博士は現在大阪大学(阪大)に移られているので、阪大のほうが熱心に取り上げている。一方、北川博士のほうは、現役教授、理事、副学長という要職にあるためか、扱いは大きい。10月8日の京大トップページ。受賞決定直後に大きく取り上げている。同じ京大出身者なのにこの違い。ちなみに北川博士と同じ京大工学部石油化学科出身で兄弟子にあたる吉野彰博士がノーベル化学賞を受賞したときのプレスリリースもあっさりしたものだった。確かに現役教授と名誉教授や単なる出身者とでは扱いが違うのは当然、と思われるかもしれない。しかし、海外ではそんなことはない。
記事でも引用されている阪大と京大の大学サイトトップページを下につけます。
確かに京大のトップには坂口先生の紹介はありません。しかし、最新ニュースを見ると以下のようになっていました。
トピック下右端に坂口先生の記事を確認できます。が、扱いがいかにも小さい。
ヤフコメは何と言うか。
hom********
14時間前
完全に的外れ。京大は阪大に配慮しているんですよ。今回の医学生理学賞については花を全面的に阪大に持たせるべき。すでに受賞者を輩出している京大が目立つべきときではない。
その配慮ぐらいわかりませんかね、エキスパートを名乗るのなら。
私もそれは考えました。しかし、それにしても京大の坂口先生受賞の扱いは小さい。10年以上京大に在籍し、付置研の所長まで務めた先生です。ただ、坂口先生は60歳という定年前に京大から阪大に異動されました。医学関係で阪大から京大に移った先生はノーベル賞をとった本庶佑先生、クロトー遺伝子の鍋島陽一先生あたりが思い浮かびますが、逆は珍しいというか坂口先生以外は知りません。
これとの関係でちょっと気になるのは、本庶佑先生の発言です。
本庶佑氏が坂口志文氏のノーベル賞にコメント「京都大学の後輩で同じ分野なので特に誇り」「十分な評価を得られなかった時期に、手助けしたことも」
10/6(月) 20:35配信
中略
本庶氏は、「坂口先生の受賞を大変うれしく、誇りに思っています。坂口先生は京都大学医学部の後輩で、同じ免疫学の、T細胞の制御に関する分野なので、特に誇りに思っています。」としています。
続いて、「個人的には、坂口先生がアメリカで研究をしていて、十分な評価が得られていなかった時期に、坂口先生の研究内容を他の研究者に紹介したことや、所属先を探しているときに、日本に戻る手助けをしたこともあり、受賞をうれしく思います。この研究分野では未解決の内容も多くあり、制御性T細胞についても、まだわからないメカニズムがあるので、今後、解決されるのを楽しみにしています。」としています。
坂口先生の制御性T細胞の仕事は業界の評価が定まらなかったこともあり、なかなか大変だったのでしょう。これは1995年の都立老人研への入職を指していると思います。その後の1989年坂口先生が京大再生医学研究所の教授異動にも関与されたのでないでしょうか。コメント見たら、こんなイヤラシイのがありましたが、
meg********
2日前
この御方、素直におめでとうと一言だけで済ませられないものか。「受賞は私のお陰」と言わんばかりの功名心の強いコメントには萎える。
ted*********
3日前
要するに俺のおかげって言いたいの?
そういうのは本人が言及するまで黙ってるのがかっこいいんだが
こういう失礼なコメントするヤカラ達って、ものを知らんくせにどんだけ上から目線なのか?偉そうな態度はお前らの方だわ。記者がなにか関連するエピソードをと本庶先生に訊いたので、仕方なくコメントしただけです。本庶先生に今更功名心もへったくれもあるか、アホ!しかしながら、そういう経緯を考えると、如何に阪大が好条件を出したとしても、普通は定年まで恩義あるしかも母校でもある京大に坂口先生はいてもいいはずだったのにと思うところはあります。
さて榎木先生の記事の続きです。
プリンストン大学では、坂口博士とともに生理学・医学賞を受賞されたメアリー・ブランコウ博士を大々的に取り上げている。
ブランコウ博士の所属は現在システム生物学研究所(米国ワシントン州シアトル)だ。現在所属しているわけではない卒業生をここまで取り上げるのにはわけがある。
今回だけではない。ノーベル賞受賞は「プリンストンの誇り」として、大学基金ページや寄付フォームと連動し、同窓コミュニティの活性化に直結する。卒業生を大切にすることが、次の寄付や学生支援、ブランド価値の向上につながると理解しているからだ。たとえば、2021年に平和賞を受賞したマリア・レッサ氏も大きく取り上げられている。
これはプリンストン大学だけではない。今回カリフォルニア大学は卒業生や現役教授が自然科学3賞すべてを受賞しているが、分け隔てなく大きく取り上げている。
日本の大学、とくに国立大学は、卒業生を大切にしないなあ…。今回同じ京大出身者のノーベル賞受賞というまれなケースをみることで、この思いを強くした。
日本の国立大学は自校の卒業生が世界的・全国的に評価されても、積極的に誇ろうとしない。掲載は義務感レベルで、情熱が感じられない。
国立大学が法人化したのが2004年。それ以降、国立大学(法人化したので本来国立大学法人ではあるが、本稿では国立大学と記載する)は寄付を募るなどして、外部資金の獲得に奔走している。京都大学も大口の寄付が相次ぎ、成功しているようにみえる。
しかし、多くの大学は卒業生をステークホルダーとして重視していない感じがする。
それはなぜだろう。
国立大学が法人化しても、資金源の多くは国から出ているからであり、文部科学省(文科省)など国の方を向いた広報をすれば十分と思っているのではないか。あるいは金額的に大きな大企業などに向いていればよいと思っているのではないか。とくに有力大学は、黙っていても受験生が来るのもあり、学生は卒業したら終わりでもいいと思っているのではないか。
榎木先生、さすが慧眼です。明治以来官立の帝国大学は親方日の丸で、すべての資金を政府に仰いできました。ですから卒業生も所属大学への帰依というより、政府からの庇護の方が意識された可能性があります。
確かに法人化によって理事や学長の裁量は増えたはずなのに、彼らの目線はいまだに文部科学省の方を向いている。補助金配分や評価指標の点数ばかりを気にして、学生や卒業生、社会との関係づくりには手が回っていない。今回のノーベル賞の広報はそれが顕になった。これは広報の問題ではなく、大学の文化の問題だと言える。
こんな状態では、寄付しようとする卒業生が増えるわけはない。大学の使命は教育と研究だけではない。卒業生が大学を誇りに思い、在学生が「ここにいてよかった」と思える文化を築くことも、大切な使命である。
アメリカやヨーロッパの名門大学では、キャンパスの随所に卒業生の寄付による建物や奨学金のプレートが並び、それが新しい学生の励みになる。大学の"ストーリー"は卒業生とともに続いていく。ところが、日本の大学、とくに国立大学はその意識が乏しい。
寄付文化が根づかないのは、日本人がケチだからではない。大学が愛される努力をしていないからではないだろうか。坂口博士や伊与原さん(博士号を持つ)のように、大学の名を誇りにして語ってくれる人を、大学自身が大切にしていない。愛校心を育てない大学に、誰が愛を返すだろうか。
本当に大学を強くするのは、研究業績でも政府補助でもない。大学を支える人々――卒業生・教職員・学生・地域――の信頼と誇りだ。その輪をつくる努力を怠っている限り、日本の大学は世界と競えない。国立大学とて、これから来る少子化の時代に、安穏としてはいられないはずだ。
そろそろ、日本の大学、とくに国立大学は、卒業生を軽視し、文科省や国、あるいは大企業だけ向くのをやめ、卒業生を真のパートナーとして迎える時ではないだろうか。それは形ばかりの寄付のお願いをすることではない。正当に卒業生の活躍を讃え、在校生の自己肯定感を高め、社会の方を向く世界標準の大学になるべきではないだろうか。
この辺はちょっと一筋縄ではいかない。大学側の愛校心の育成と卒業生の寄付の申出は車の両輪みたいなもので、どちらが先とも後とも言えない。両方渾然となるものでしょう。それにここで榎木先生が例に出した海外の大学はいずれもアメリカです。アメリカのように億万長者が多くいて、寄付についても税制優遇処置が整っていることも条件でないでしょうか。州立大学といっても州政府の財政援助は、日本の国立大と違って限定的です(だから学費が年300万円前後と高額)。ヨーロッパの大学はオクスフォードやケンブリッジといったイギリスの私立大を除けばほぼ国立で、やはり寄付の文化には乏しい。
しかし、日本で寄付文化がないかと言われればそうでもないでしょう。耳新しいところでユニクロの柳井会長が太っ腹の寄付を京都大学にしました。
ファーストリテイリングの柳井氏が京都大学に100億円を寄付
本庶氏のがん免疫研究と山中氏のiPS細胞研究などに50億円ずつ
2020.06.25
橋本宗明
ユニクロ」などのブランドで知られるファーストリテイリングの会長兼社長の柳井正氏は2020年6月24日、個人として京都大学に100億円を寄付すると発表。京都大で本庶佑氏、山中伸哉氏と共に会見を行い、寄付の趣旨などを説明した。
本庶氏に関しては京都大学基金「柳井基金」を設置して、PD1阻害がん免疫療法に対する研究を助成する。期間は2020年4月22日から2030年4月21日の10年間で、毎年5億円、総額50億円を寄付する。寄付は2020年4月に、本庶氏をセンター長として設立された医学研究科附属がん免疫総合研究センター(CCII)におけるがん免疫治療に関する研究に充当する。
CCIIは2020年4月に4人の教員で発足したが、本庶氏は、最終的に基礎系で、がん免疫細胞制御部門、がん免疫多細胞系システム制御部門、高次統御システム間制御部門の3つ。臨床系で、がん免疫最適治療部門、臨床がん免疫薬効薬理部門、がん免疫生体バイオマーカー開発部門の3つの計6部門とする計画だ。京都大の敷地内に、延床面積8800m2のセンターを建設する。本庶氏はセンターでの研究で、抗PD1抗体が効かない患者の原因解明、抗PD1抗体の有効性バイオマーカーの開発、副作用のメカニズム解明などの研究を行う計画。柳井基金を得ることによって、メタボライト解析室、バイオインフォマティクス室、京大病院バイオバンクを開設するとともに、必要に応じて教員、研究員、支援員の措置を行うとしている。
山中氏に関しては、京都大学iPS細胞研究所が、京都大学医学部附属病院、京都市、大阪市立大学大学院医学研究科、大阪府と連携して行っている新型コロナウイルス研究プロジェクトに5億円、4月に活動を開始した京都大学iPS細胞研究財団に45億円を寄付する。
柳井正氏にとって京都は故郷でもなく、また卒業大学でもない京都大学にこれだけの寄付をしましたが(山口県出身、早大政経を卒業)、さすがに世界を俯瞰できる経営者だけのことはあります。しかし、これ以降こういう大型の個人寄付は聞かないし、第一アメリカだとこの程度の寄付はもっと普通におこなわれています。もっとも寄付をおこなうべきは卒業生たちです。OB, OGなら「今日の自分があるのも、卒業した大学で学べたおかげ」と思うべきでしょう。ところがヤフコメをみると、こんなのがずらずら。
o_i********
良くも悪くもそれが国立大学というものだと思います。
kta********
そこが国立大の矜持と思ってましたが。
私立のように同窓会組織をゴリゴリに作って
大学全体でなにかしようとしないところが
国立の良さって思ってました。
大学スポーツが強いわけではないので
卒業後の求心力に欠けるというのも
理由の一つでしょう、あと人数が圧倒的に
私立と違うのも理由の一つ
epsilon
>日本の大学、とくに国立大学は、卒業生を大切にしないなあ…。
あはは。有名人がでても「うちの広告塔」という意識がない。といって,「同級生のあいつが,なんぼのもんじゃい。時運に恵まれりゃ,おれだって」と嫉妬するわけでもない。
広告塔があっても,本記事にあるように,研究資金や学生が集まるわけでもない。そういう自由な経済活動,とくに軍や企業から資金供与を受けることを,「うさんくさいもの」とみなしてきた清廉潔白さがある。
いっぽう,卒業生の側にも愛校心がない。履歴書にはもちろん出身校を書くが,「おれがここまでになったのは,大学のおかげじゃねえ。おれが有能で,かつ必死でがんばったからだ」。補足欄があれば,そう記入するよ。
自分を思い返しても、先生方に教わったのと同じくらい友人との交流が今の自分の形成に重要でしたが、そういう場を与えたのも大学です。上のコメントを寄せた国立大出身者たちは(東大工学部卒のepsilon氏を含む)、総じて頭が古いです。国など公的機関の助成は不可欠だが、今の時代世間を常に引きつけていくという意味で同窓生の活動も重要です。一番身近なはずの同窓生が見向きもしない研究に、世間一般が関心持つはずないでしょう?近年大型化する研究プロジェクトにかかる費用はますます多くなる一方で、実験物理系だと100億円以上かかることもあります。昔とは掛かるお金のケタが違うので、それを許容してもらえるよう世間一般の理解を促していく必要があります。そういう時流の変化がわからない化石頭だと世間に取り残されていくのは、大学も同じ。ま、上の諸氏はそんな心配しなくてもどうせ間もなくあの世逝きだからいいか。「俺は頭良かったから成功したんだぜ。何なら大学に行かなくっても成功したゼ!」とうそぶくヤカラが上のように時々いますが、それは「あなたが偶々運が良かっただけ」です。くだらん自慢はみっともない。
t2p********
日本の大学は学生に大したサービスをしていないので、その人が偉くなってもそれを「大学の誇り」とか言えないんじゃないか。特にノーベル賞を取っている人が学生だった時代はひどくて、誰もが「勉強は自分でするもの」と嘯き、今の学生のように大学で勉強させることを考えていなかった。大学への愛着というか母校愛は、大学の講義などではなく、課外活動や友人関係で醸成され大学に与えてもらったものは何もない。ただ皮肉なことに、大学のサービスが悪かった頃の卒業生の方がノーベル賞級の研究をしていて、今後は数が減ることが予想されることだ。今「学生の面倒見のいい大学」と呼ばれる大学の卒業生からはノーベル賞がでることはないだろう。
こういうヤカラは間違いというか大いなる勘違いです。ノーベル賞取るような者が大学で何も教わらずに大成するはずなかろうが?学生時代に勉強せず、遊び呆けてばかりいたお前なんかと一緒にすな!