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ノーベル賞広報にみる日本の国立大学の残念さ 〜卒業生は他人?

ポワール

(2020年京都大学に100億円の個人寄付をおこなったユニクロ・柳井正氏(中央)と、本庶佑氏(左)・山中伸弥氏(右))


以下は医学関係の評論で知られる病理医の榎木英介氏のコメントです。

卒業生は他人?ノーベル賞広報にみる日本の国立大学の残念さ

榎木英介 病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

10/9(木) 16:01


またも日本人が受賞!


 日本中が沸いている。2025年のノーベル賞は、生理学・医学賞に坂口志文博士が、化学賞に北川進博士が受賞されることが決まった。複数の日本人が同じ年に受賞するのは久々だと言える。この二人には共通項がある。そう、京都大学(京大)卒であり、京大教授の経験があり、そして同じ年(昭和26年)に関西で生まれたことだ。坂口博士が1月生まれで1浪、北川博士が7月生まれで現役で京大に入っていることから、同じ年に京大に入学した同級生と思われる。まさに「ノーベル賞の京大」だ。


 しかし、そんな2人だが、京大の扱い方は明暗というか、非常に対照的だ。京都大学のトップページを見てみたい。10月6日の京大トップページ。坂口名誉教授(現阪大教授)の広報は実にあっさり。坂口博士は現在大阪大学(阪大)に移られているので、阪大のほうが熱心に取り上げている。一方、北川博士のほうは、現役教授、理事、副学長という要職にあるためか、扱いは大きい。10月8日の京大トップページ。受賞決定直後に大きく取り上げている。同じ京大出身者なのにこの違い。ちなみに北川博士と同じ京大工学部石油化学科出身で兄弟子にあたる吉野彰博士がノーベル化学賞を受賞したときのプレスリリースもあっさりしたものだった。確かに現役教授と名誉教授や単なる出身者とでは扱いが違うのは当然、と思われるかもしれない。しかし、海外ではそんなことはない。

記事でも引用されている阪大と京大の大学サイトトップページを下につけます。


確かに京大のトップには坂口先生の紹介はありません。しかし、最新ニュースを見ると以下のようになっていました。

トピック下右端に坂口先生の記事を確認できます。が、扱いがいかにも小さい。

ヤフコメは何と言うか。

hom********

14時間前


完全に的外れ。京大は阪大に配慮しているんですよ。今回の医学生理学賞については花を全面的に阪大に持たせるべき。すでに受賞者を輩出している京大が目立つべきときではない。

その配慮ぐらいわかりませんかね、エキスパートを名乗るのなら。

私もそれは考えました。しかし、それにしても京大の坂口先生受賞の扱いは小さい。10年以上京大に在籍し、付置研の所長まで務めた先生です。ただ、坂口先生は60歳という定年前に京大から阪大に異動されました。医学関係で阪大から京大に移った先生はノーベル賞をとった本庶佑先生、クロトー遺伝子の鍋島陽一先生あたりが思い浮かびますが、逆は珍しいというか坂口先生以外は知りません。


これとの関係でちょっと気になるのは、本庶佑先生の発言です。

本庶佑氏が坂口志文氏のノーベル賞にコメント「京都大学の後輩で同じ分野なので特に誇り」「十分な評価を得られなかった時期に、手助けしたことも」

10/6(月) 20:35配信


中略

本庶氏は、「坂口先生の受賞を大変うれしく、誇りに思っています。坂口先生は京都大学医学部の後輩で、同じ免疫学の、T細胞の制御に関する分野なので、特に誇りに思っています。」としています。


続いて、「個人的には、坂口先生がアメリカで研究をしていて、十分な評価が得られていなかった時期に、坂口先生の研究内容を他の研究者に紹介したことや、所属先を探しているときに、日本に戻る手助けをしたこともあり、受賞をうれしく思います。この研究分野では未解決の内容も多くあり、制御性T細胞についても、まだわからないメカニズムがあるので、今後、解決されるのを楽しみにしています。」としています。

坂口先生の制御性T細胞の仕事は業界の評価が定まらなかったこともあり、なかなか大変だったのでしょう。これは1995年の都立老人研への入職を指していると思います。その後の1989年坂口先生が京大再生医学研究所の教授異動にも関与されたのでないでしょうか。コメント見たら、こんなイヤラシイのがありましたが、

meg********

2日前


この御方、素直におめでとうと一言だけで済ませられないものか。「受賞は私のお陰」と言わんばかりの功名心の強いコメントには萎える。

ted*********

3日前


要するに俺のおかげって言いたいの?

そういうのは本人が言及するまで黙ってるのがかっこいいんだが

こういう失礼なコメントするヤカラ達って、ものを知らんくせにどんだけ上から目線なのか?偉そうな態度はお前らの方だわ。記者がなにか関連するエピソードをと本庶先生に訊いたので、仕方なくコメントしただけです。本庶先生に今更功名心もへったくれもあるか、アホ!しかしながら、そういう経緯を考えると、如何に阪大が好条件を出したとしても、普通は定年まで恩義あるしかも母校でもある京大に坂口先生はいてもいいはずだったのにと思うところはあります。


 さて榎木先生の記事の続きです。

プリンストン大学では、坂口博士とともに生理学・医学賞を受賞されたメアリー・ブランコウ博士を大々的に取り上げている。

ブランコウ博士の所属は現在システム生物学研究所(米国ワシントン州シアトル)だ。現在所属しているわけではない卒業生をここまで取り上げるのにはわけがある。

 今回だけではない。ノーベル賞受賞は「プリンストンの誇り」として、大学基金ページや寄付フォームと連動し、同窓コミュニティの活性化に直結する。卒業生を大切にすることが、次の寄付や学生支援、ブランド価値の向上につながると理解しているからだ。たとえば、2021年に平和賞を受賞したマリア・レッサ氏も大きく取り上げられている。


これはプリンストン大学だけではない。今回カリフォルニア大学は卒業生や現役教授が自然科学3賞すべてを受賞しているが、分け隔てなく大きく取り上げている。

 日本の大学、とくに国立大学は、卒業生を大切にしないなあ…。今回同じ京大出身者のノーベル賞受賞というまれなケースをみることで、この思いを強くした。

 日本の国立大学は自校の卒業生が世界的・全国的に評価されても、積極的に誇ろうとしない。掲載は義務感レベルで、情熱が感じられない。

 国立大学が法人化したのが2004年。それ以降、国立大学(法人化したので本来国立大学法人ではあるが、本稿では国立大学と記載する)は寄付を募るなどして、外部資金の獲得に奔走している。京都大学も大口の寄付が相次ぎ、成功しているようにみえる。

 しかし、多くの大学は卒業生をステークホルダーとして重視していない感じがする。

それはなぜだろう。

 国立大学が法人化しても、資金源の多くは国から出ているからであり、文部科学省(文科省)など国の方を向いた広報をすれば十分と思っているのではないか。あるいは金額的に大きな大企業などに向いていればよいと思っているのではないか。とくに有力大学は、黙っていても受験生が来るのもあり、学生は卒業したら終わりでもいいと思っているのではないか。

榎木先生、さすが慧眼です。明治以来官立の帝国大学は親方日の丸で、すべての資金を政府に仰いできました。ですから卒業生も所属大学への帰依というより、政府からの庇護の方が意識された可能性があります。

確かに法人化によって理事や学長の裁量は増えたはずなのに、彼らの目線はいまだに文部科学省の方を向いている。補助金配分や評価指標の点数ばかりを気にして、学生や卒業生、社会との関係づくりには手が回っていない。今回のノーベル賞の広報はそれが顕になった。これは広報の問題ではなく、大学の文化の問題だと言える。


 こんな状態では、寄付しようとする卒業生が増えるわけはない。大学の使命は教育と研究だけではない。卒業生が大学を誇りに思い、在学生が「ここにいてよかった」と思える文化を築くことも、大切な使命である。


 アメリカやヨーロッパの名門大学では、キャンパスの随所に卒業生の寄付による建物や奨学金のプレートが並び、それが新しい学生の励みになる。大学の"ストーリー"は卒業生とともに続いていく。ところが、日本の大学、とくに国立大学はその意識が乏しい。

寄付文化が根づかないのは、日本人がケチだからではない。大学が愛される努力をしていないからではないだろうか。坂口博士や伊与原さん(博士号を持つ)のように、大学の名を誇りにして語ってくれる人を、大学自身が大切にしていない。愛校心を育てない大学に、誰が愛を返すだろうか。


 本当に大学を強くするのは、研究業績でも政府補助でもない。大学を支える人々――卒業生・教職員・学生・地域――の信頼と誇りだ。その輪をつくる努力を怠っている限り、日本の大学は世界と競えない。国立大学とて、これから来る少子化の時代に、安穏としてはいられないはずだ。


 そろそろ、日本の大学、とくに国立大学は、卒業生を軽視し、文科省や国、あるいは大企業だけ向くのをやめ、卒業生を真のパートナーとして迎える時ではないだろうか。それは形ばかりの寄付のお願いをすることではない。正当に卒業生の活躍を讃え、在校生の自己肯定感を高め、社会の方を向く世界標準の大学になるべきではないだろうか。

この辺はちょっと一筋縄ではいかない。大学側の愛校心の育成と卒業生の寄付の申出は車の両輪みたいなもので、どちらが先とも後とも言えない。両方渾然となるものでしょう。それにここで榎木先生が例に出した海外の大学はいずれもアメリカです。アメリカのように億万長者が多くいて、寄付についても税制優遇処置が整っていることも条件でないでしょうか。州立大学といっても州政府の財政援助は、日本の国立大と違って限定的です(だから学費が年300万円前後と高額)。ヨーロッパの大学はオクスフォードやケンブリッジといったイギリスの私立大を除けばほぼ国立で、やはり寄付の文化には乏しい。


 しかし、日本で寄付文化がないかと言われればそうでもないでしょう。耳新しいところでユニクロの柳井会長が太っ腹の寄付を京都大学にしました。

ファーストリテイリングの柳井氏が京都大学に100億円を寄付


本庶氏のがん免疫研究と山中氏のiPS細胞研究などに50億円ずつ

2020.06.25

橋本宗明


ユニクロ」などのブランドで知られるファーストリテイリングの会長兼社長の柳井正氏は2020年6月24日、個人として京都大学に100億円を寄付すると発表。京都大で本庶佑氏、山中伸哉氏と共に会見を行い、寄付の趣旨などを説明した。


 本庶氏に関しては京都大学基金「柳井基金」を設置して、PD1阻害がん免疫療法に対する研究を助成する。期間は2020年4月22日から2030年4月21日の10年間で、毎年5億円、総額50億円を寄付する。寄付は2020年4月に、本庶氏をセンター長として設立された医学研究科附属がん免疫総合研究センター(CCII)におけるがん免疫治療に関する研究に充当する。

 CCIIは2020年4月に4人の教員で発足したが、本庶氏は、最終的に基礎系で、がん免疫細胞制御部門、がん免疫多細胞系システム制御部門、高次統御システム間制御部門の3つ。臨床系で、がん免疫最適治療部門、臨床がん免疫薬効薬理部門、がん免疫生体バイオマーカー開発部門の3つの計6部門とする計画だ。京都大の敷地内に、延床面積8800m2のセンターを建設する。本庶氏はセンターでの研究で、抗PD1抗体が効かない患者の原因解明、抗PD1抗体の有効性バイオマーカーの開発、副作用のメカニズム解明などの研究を行う計画。柳井基金を得ることによって、メタボライト解析室、バイオインフォマティクス室、京大病院バイオバンクを開設するとともに、必要に応じて教員、研究員、支援員の措置を行うとしている。

 山中氏に関しては、京都大学iPS細胞研究所が、京都大学医学部附属病院、京都市、大阪市立大学大学院医学研究科、大阪府と連携して行っている新型コロナウイルス研究プロジェクトに5億円、4月に活動を開始した京都大学iPS細胞研究財団に45億円を寄付する。

柳井正氏にとって京都は故郷でもなく、また卒業大学でもない京都大学にこれだけの寄付をしましたが(山口県出身、早大政経を卒業)、さすがに世界を俯瞰できる経営者だけのことはあります。しかし、これ以降こういう大型の個人寄付は聞かないし、第一アメリカだとこの程度の寄付はもっと普通におこなわれています。もっとも寄付をおこなうべきは卒業生たちです。OB, OGなら「今日の自分があるのも、卒業した大学で学べたおかげ」と思うべきでしょう。ところがヤフコメをみると、こんなのがずらずら。

o_i********


良くも悪くもそれが国立大学というものだと思います。

kta********


そこが国立大の矜持と思ってましたが。

私立のように同窓会組織をゴリゴリに作って

大学全体でなにかしようとしないところが

国立の良さって思ってました。

大学スポーツが強いわけではないので

卒業後の求心力に欠けるというのも

理由の一つでしょう、あと人数が圧倒的に

私立と違うのも理由の一つ

epsilon


>日本の大学、とくに国立大学は、卒業生を大切にしないなあ…。

あはは。有名人がでても「うちの広告塔」という意識がない。といって,「同級生のあいつが,なんぼのもんじゃい。時運に恵まれりゃ,おれだって」と嫉妬するわけでもない。

広告塔があっても,本記事にあるように,研究資金や学生が集まるわけでもない。そういう自由な経済活動,とくに軍や企業から資金供与を受けることを,「うさんくさいもの」とみなしてきた清廉潔白さがある。

いっぽう,卒業生の側にも愛校心がない。履歴書にはもちろん出身校を書くが,「おれがここまでになったのは,大学のおかげじゃねえ。おれが有能で,かつ必死でがんばったからだ」。補足欄があれば,そう記入するよ。

自分を思い返しても、先生方に教わったのと同じくらい友人との交流が今の自分の形成に重要でしたが、そういう場を与えたのも大学です。上のコメントを寄せた国立大出身者たちは(東大工学部卒のepsilon氏を含む)、総じて頭が古いです。国など公的機関の助成は不可欠だが、今の時代世間を常に引きつけていくという意味で同窓生の活動も重要です。一番身近なはずの同窓生が見向きもしない研究に、世間一般が関心持つはずないでしょう?近年大型化する研究プロジェクトにかかる費用はますます多くなる一方で、実験物理系だと100億円以上かかることもあります。昔とは掛かるお金のケタが違うので、それを許容してもらえるよう世間一般の理解を促していく必要があります。そういう時流の変化がわからない化石頭だと世間に取り残されていくのは、大学も同じ。ま、上の諸氏はそんな心配しなくてもどうせ間もなくあの世逝きだからいいか。「俺は頭良かったから成功したんだぜ。何なら大学に行かなくっても成功したゼ!」とうそぶくヤカラが上のように時々いますが、それは「あなたが偶々運が良かっただけ」です。くだらん自慢はみっともない。


t2p********


日本の大学は学生に大したサービスをしていないので、その人が偉くなってもそれを「大学の誇り」とか言えないんじゃないか。特にノーベル賞を取っている人が学生だった時代はひどくて、誰もが「勉強は自分でするもの」と嘯き、今の学生のように大学で勉強させることを考えていなかった。大学への愛着というか母校愛は、大学の講義などではなく、課外活動や友人関係で醸成され大学に与えてもらったものは何もない。ただ皮肉なことに、大学のサービスが悪かった頃の卒業生の方がノーベル賞級の研究をしていて、今後は数が減ることが予想されることだ。今「学生の面倒見のいい大学」と呼ばれる大学の卒業生からはノーベル賞がでることはないだろう。

こういうヤカラは間違いというか大いなる勘違いです。ノーベル賞取るような者が大学で何も教わらずに大成するはずなかろうが?学生時代に勉強せず、遊び呆けてばかりいたお前なんかと一緒にすな!

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「あのおんな、いいXXだな」 〜朝から爆笑!

ポワール

(「いいXXをした土偶」 ギリシャ・キクラデス諸島出土 紀元前5千年頃)


読売の「小町」、今朝の通勤電車で読んで思わず笑ってしまいました。「爆笑」と書いたけど、グハハハ!と笑う訳にもいかず、ニヤニヤする程度ですけどネ。前に立ってた女子高生は、「気持ちわりーオッサンだな」ときっと思ったに違いない!その内容です。

不適切で恥を知るべきはどちらだと思いますか?

麗衣


20代女です。ランニングの最中に暴言を吐かれて悶々としています。交差点で、その場で駆け足の状態で信号待ちをしていた時です。同じく信号待ちで、隣に停まった車に乗っていた人が、私に対して不適切な発言をしました。

あの女、いい臀部だな

と助手席の男が運転席の人に向かって言うのを聞きました。

臀部と書きましたが、実際はもっと卑猥な言葉です。

ここでは書きたくありません。私は非礼や不正が許せず見過ごせない性質なので、すぐに言い返しました。

お兄さん!恥ずかしくないですか?不適切な発言は慎みましょう。恥を知りなさい!

そうしたらオウム返しのように、茶化すような口調でこんなことを言われました。

お姉さん!恥ずかしくないちゅか?不適切な格好は慎みまちょう。恥を知りまちょ!

こんなことを言われたのは初めてだったので呆気にとられて、二の句が継げませんでした。そして、私が唖然としている間に信号が変わって車は走り去っていきました。


このことを帰宅してから母に話すと「その言葉もその格好も、どっちもどっちね」と言われました。母は何でも受け止めてくれる人だったので、この発言にも愕然としました。私の格好は、スポーツレギンスにタンクトップです。この格好でランニングをするのは、これが最も機能的だからです。身体のラインが露にはなりますが、鍛えていますので人に見られても恥ずかしくありません。不適切で恥を知るのはいずれか?

みなさんのご意見を聞きしたいです。

ま、「あの女、いい臀部だな」はもちろん

「あの女、いいケツだな」

に決まっとる罠。きりきりと眉を吊り上げる麗衣さん。しかし、そのブチ切れに

「お姉さん!恥ずかしくないちゅか?不適切な格好は慎みまちょう。恥を知りまちょ!」

と即座に返すとは、なかなか女性扱いに慣れてそうなにーちゃんだナ!


 しかし、お母様が仰るのはもっともなことだと、私も思います。さてどういうコメがつくでしょうか?

 あなたはほんとに悪くない


気にしないで!

好きな服着て!

綺麗な筋肉は素晴らしいよ!

当然相手が悪いです。

もう一回言います。

好きな服着て!

これは「ごくごく一部の意見」でした。大半は

 不適切でハズイ

ゆこ


車のお兄ちゃん達は、不適切で失礼ですけど、フツーと言えばフツー

私も、そう言う言葉は許したくないし、不快ですよ

連れ込まれたり、変なことされなくて良かった パツンとしたレギンス履いていたら、前の大切なところの形も見えてしまうのでは?街中はジムやトラックなどと違います 危ないから街中を走る時はショートパンツなど履いてください

私も普通のスポーツウェアで街中を走っていたら、追いかけられたことありました 体型に自信有る無しではなく、女性が走っているだけで危険な時が有ります ましてや、タンクトップにパツンレギンスは危険

 紳士ばっかりじゃないよ

お気をつけあそばせ


お怒りごもっともですが、お母さまのご助言を大事になさったらどうですか?実際にみていませんが、自宅内でokなヨガウェアでも、街中で見るとおーっとなるときもあります。そういう若い女性がたまにいて、きれいだし平気なんでしょうけど、車からおじさんたちがガン見してました。そりゃやっぱりみますよ。冗談もいいたくなる。なんか言われても、フンって、相手にしなきゃよかったわけで・・・。

トピ主の言葉はまさにブーメランのように戻ってきたわけですね。

これらに尽きます。しかし、中には以下のような

 真反対

ボビコ


アメリカ在住歴が日本に居た年月より長くなったからでしょうか?バリバリ50代のオバチャンですが皆とは真反対の意見ですね。

相手が悪い。

まあ、でも日本ってそういう国ですよね。自己主張が強くて出る杭は打たれる派の人は嫌がられる。だから私も日本を出たのですが、と言ってもアメリカもとんでも無いですけどね。

トピ主サンは二十代、まだ、もうちょっと尖ってても良いんですよ。でも日本では大変でしょうね。

 海外在住の女性ランナーです。

ゆう


もしかしてトピ主さんも海外に住んでた人ですか?

トピ主さんのいでたちは、ランナーとしてごく一般的と思われている国に住んでます。

なんなら上はスポブラだけとかもっと露出の高いランナーもいます。女性ランナーに卑猥な言葉をかける人が稀にいたとしても、そちらがおかしい人という認識です。

(1)セクハラ発言について。

誰がどんな格好をしていようがセクハラしていいにはなりませんから、もちろんそのオッサンが悪いです。いやな思いをされましたね。

「そんな恰好で歩いているから」と被害者に非がある発言をかけるのは、もう昔の話になってきていると思っていましたが

皆さんのレスを見ていると、「ああまだ日本ってまだまだこんな感じなんだな~」と思いました。

女性がどんな服装をしていようが心の中で何を思ってても、口に出して投げかけていい理由にはならないです。


(2)レギンスについて

ファッションや服装は時代や国によって違います。今の女子高生の履いてる短い制服のスカートも、昭和の時代まで遡ったら「卑猥」と言われていたでしょう。

今の日本ではタイトなランニングレギンズは「体のラインが出て恥ずかしい」と認識する人が多いようです。

私の住んでる国では朝の公園や道端にレギンス履いてる女性だらけです。

痩せてる若い女性だけじゃなくていろんな年齢体型の人が履いてますから、ごく一般的な恰好です。

日本は特に人の恰好や目をすごく気にする社会ですから、良いとか悪いとかではなく、これが現実なのだと受け止めるしかないです。日本も多様化が進んでいますから、これから10年ぐらい経ったら変わってるかもしれません。

ちなみに日本人女性ランナーのよく着ているお尻のラインをカバーするスカートみたいなショートパンツはむしろ少数派でこちらであれを見かけると、日本人だなと逆にわかるぐらいです。

いやな思いしたと思うけど、元気出してね。

出たな〜「意識高いワタクシ」の帰国子女系。何処の国に住んでたって、男の考えることは変わりねーんだよ。おかしいかどうかは貴女が勝手に思うことで、相手に関係ない。こういう半可通女は、襲われた時「自分が悪かった」と観念してくださいね。


時々いますね

ケッツ


時々どうしても見て欲しがる人いますね。

季節替わりは気持ちを抑えきればいいのでしょうか?

相手が悪かったですね。

もっと主様のタイプなら良かったのにね。

恥を知るのは貴方だと思います。

つまり、乱倫女は身を鎮めよと。こういう妄想系の勘違い男は必ずいます。


 あなたは何も悪くありません

ヒロ


>不適切で恥を知るのはいずれか?

あなたは何も悪くありません

ですから、このレスにたくさんある意見のように、どっちもどっちだとは私は全然思いません あなたはランニングのための機能的な姿で走っていたに過ぎず、何ら法律やマナーに違反していたわけでは全くありません

当然、そんなことを見ず知らずのあなたに対して発言した男が全面的に悪く、恥知らずはその男たちです


>「あの女、いい臀部だな」と助手席の男が運転席の人に向かって言うのを聞きました。

実際にはもっと卑猥な言葉だったとのことですが、すぐ隣の近距離のようですから、それはあなたに聞こえるように意識して言ったとも考えられます そんな卑猥な言葉を、相手に聞こえるような近距離で言ったのですから、非礼にもほどがあります


私は男性ですが、あなたのように町の中をランニングしている女性を見かけたら、とても格好良く思うでしょうし、憧れるでしょうね

>私は非礼や不正が許せず見過ごせない性質なので、すぐに言い返しました。

「お兄さん!恥ずかしくないですか?不適切な発言は慎みましょう。恥を知りなさい!」

あなたのそういう性質には敬意を表しますし、この発言の内容自体にも同意します ただ、あなたのような女性に憧れている私から一つお願いがあるとすれば、ご自身の身を守るためにも是非、トラブルをさらに悪化させる言動には気を付けた方がいいということです

そんな下らない男の発言は無視して、さっさと離れて立ち去った方が良かったと思うのです

このおじさん長々書いてるけど偽善者です。「あなたのように町の中をランニングしている女性を見かけたら、とても格好良く思うでしょう」と「いいケツだな」のどこが違うの?


 冒頭の写真の土偶は新石器時代とのことなので、ホモ・サピエンスとしての動物種の我々は、昔からそういう風につくられているとしか言いようがない。もし、男が女を見て、ここのおにーさんみたいに「いいケツだな」のド助平な劣情に一切ならないとすれば、100年後人類は確実に滅亡しております、はい。ま、地球環境の保全にはそれも良いけどね(嗤)。


 ところでこの「小町」を紹介したのは、日経のコラムにこの「麗衣さん」とほぼ同じことを書いている人物が居たからです。引用します。

責める相手を見誤らぬ世に 

脚本家・吉田恵里香さん


夏が来ると思い出すことがある。

中高生の頃、ローライズなスキニーパンツが流行(はや)った。パンツだけでなく全体的にボディーラインが際立つものが主流だったように思う。あの日、母の仕事の手伝いをしに行った時も、私は好んでぴったりしたスタイルに身を包んでいた。さっさと手伝いを済ませたくて、店外から窓の高い部分を拭いていると、通りすがりの老婦人がため息交じりに言ってきた。

「そりゃあ痴漢がなくならない訳ね」

最初は自分に向けられた言葉とは分からなかった。

「お・な・か!」と、語気を強めて下半身を指さされて、やっと私は気づいた。

窓を拭く為(ため)に背伸びをしていた私は、腹部が露出してしまっていたのだった。身だしなみを整えて頭を下げると老婦人は不機嫌そうに去っていった。若かりし私は、まだ瞬時に怒る訓練も怒りを言語化する鍛錬も積んでおらず、怒りが湧いてきたのは拭き掃除を終えてからのことだった。

「私が謝る必要あった?」「服装と、襲われることって何か関係ある?」

この出来事は、時々記憶の引き出しから顔をだし、言い返せなかった自分への苛(いら)立ちと後悔の気持ちを湧き上がらせる。


老婦人の物言いはさておき、若かりし頃の私は沢山(たくさん)の忠告を受けてきた。

「夜遅くに出歩くな」「1人で飲みにいくな」「人通りのない道を通るな」「1人でボランティアに行くのは危険」「変に目立つな。逆恨みされる」

その忠告は全て「女性を狙ったトラブル・犯罪に巻き込まれない為」のもので、その多くは「性犯罪」をさすものだ。【良かれと思っての忠告】で、私だけでなく、多くの女性たちの行動は制限されてきた。忠告を受けた大半の女性たちは自衛を強要されることにモヤモヤしつつも従い、何かを諦めてきたのではないだろうか。だって私たちの日常は性犯罪と隣り合わせで、大半の女性は今まで何かしらの被害に遭っているから。もちろん性犯罪の被害に遭うのは女性だけでなく性別関係なく起こり得る。だが、残念ながら女性が被害に遭う数の方が圧倒的に多いのは事実だ。


どんなに気を付けようが満員電車で痴漢に遭ったり、プールでは体形を嘲笑されたりする。若い頃、私は水中で水着のお尻部分をひっぱられたりもした。階段ではスカートを覗(のぞ)かれて、ナンパされてしつこく後をつけられたりするし、公衆トイレではカメラなどがないかを確認しないといけない(何をどこまで気にするかは人それぞれですが「私はこんなことまで気にしない」「私はこんな目に遭ったことはない」は他者を傷つける可能性があるので気を付けていきたいですね)。


何が言いたいかと言うと、自衛していてもこれなのだ。


人生の多くの選択肢が性犯罪者の為に制限されて腹が立っても、自分の体が実際に傷つけられるよりはマシだと納得させて従うしかない。それに、この社会はいつでも性犯罪者に甘く、性被害者に厳しい。どう考えたって、自衛していようがいまいが悪いのは性加害をした犯罪者側なのに、なぜか彼らの行動は擁護される。被害に遭った人たちが勇気をもって自分の被害を訴えても、なぜか「自衛しなかったのでは?」と疑われる。そして少しでも怠った事実が判明すれば、自己責任論を振りかざされる。忠告は非難や誹謗(ひぼう)中傷に代わっていく。「夜遅くに出歩いたから」「変な格好でいたから」「旅に出たから」


と、「ひどい目に遭うと分かっていたくせに」と責められて二次被害を受ける。かろうじて残っていた尊厳までも打ち砕かれるのだ。傷ついた人を救ってくれない社会だから被害を受けても口を閉ざす人が大勢いることも無理はない。泣き寝入りさせられた被害者たちの傷や日々襲うバックラッシュを思えば、二次被害がある中で声をあげろだなんて言えない。


でも口を閉ざすことで心が癒やされる訳ではないことも、私は知っている。20年前に言われた一言でさえ、未(いま)だに心が削られるのだ。些細(ささい)な不快な出来事が、一個一個積み重なり、ふとした時に淀(よど)んだ苦い感情が体中に広がり耐えられなくなる。苦しんだ末に苦しみを口にしようものならば「いつまで根に持つ?」とか「いい年して大袈裟(おおげさ)」とか突き放される未来も容易に想像がつく。声をあげてもあげなくても、どっちに転んでも苦しむのだ。

だからこそ私たちが寄り添うべき相手は明白で、私たちがどんどん声をあげていかねばならない。どんな行動をしていても被害者に非はないし、どんな境遇や理由があっても性加害した人物を許してはならない。忠告で誰かを縛る前に、問題の根幹に目を向けていく世の中になることを心から願っている。

よしだ・えりか 1987年神奈川県生まれ。脚本家。代表作にNHK連続テレビ小説「虎に翼」や、向田邦子賞を受賞した「恋せぬふたり」など。

吉田恵里香さんが脚本を書いたNHK朝ドラ「虎に翼」は女性解放の視点で良いドラマだと思ったけど、本人がこういう無鉄砲なフェミニストだとは知らなかった。しかし、こういう思考から抜けられない女性は一定数いるみたいです。なんかヒトの遺伝子には「女性に性的に危ない行為を無自覚にさせる思考回路の遺伝子」が存在するのでしょうか?そうなると強制性交による乱交になって、繁殖速度が増すのだろうか?生物進化の観点から、ちょっと興味があります。ヒトが他の動物と大きく違う点のひとつに、「特定の繁殖期がない」を挙げられます。つまりヒトは四季に関係なくのべつ幕なし発情し、セックスしてます。類人猿は性周期が数ヶ月ごとに来るのが多いですが、繁殖期はそこだけです。唯一ボノボ(ピグミーチンパンジー)だけがヒトと似たような性的接触を始終おこなうけど、それとてヒトほど濃密ではない。性周期の制御には間脳視床下部が重要ですが、性欲の制御は主に大脳前頭葉・側頭葉にあります。ヒトは進化的に脳がどういう変化を遂げたのか知りたいです。

日常考えたことを書きます

NHK「こころの時代」和泉唯信 〜医師かつ僧侶にして柔道家

ポワール


全身の筋肉が痩せ衰え、やがて呼吸不全に至る難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)。30年間で700人、日本で最も多くのALS患者と向き合ってきた専門医・和泉唯信さんは、意思表示も難しくなった患者の家を無償で訪ね、全国各地を奔走している。そんな和泉さんは故郷・広島の寺の住職でもある。やがてすべての人に訪れる死をどう考えるのか。医師にして僧侶である和泉さんは、そこにどんな「生きる意味」を見出してきたのか。


和泉唯信(ゆいしん)先生は徳島大学医学部神経内科の教授を務めています。専門とするのはALS(筋萎縮性側索硬化症)で神経変性を起こす難病です。私が驚いたのはALS患者で人工呼吸器を希望するのは3割ほどだということです。ALSは通常発症後数年で呼吸能の低下が始まりますが、人工呼吸器を使用しなければ早晩呼吸不全で死に至ります。「勝ち負けでいうと、今まで全敗」と和泉先生は言いますが、自ら延命を断る患者さんがそれほど多いとは知りませんでした。しかし一度人工呼吸器を装着したら、患者本人の意思ですらはずすことができないというのは重い意味があります。人工呼吸器を装着してても次第に呼吸能は低下するので苦しくなります。それに全身の筋が麻痺していき、最後に残る外眼筋すら動かせなくなると、意思の表出は不可能になり無言無動になります。しかし大脳は冒されないので意識清明。いわゆる「Locked-in」(閉じ込め)症候群の状態になりますが、これはものすごく苦しいです。窒息するより苦しいかも。それがいったい何年続くのか。改めてこの病気の残酷さを考えました。


 和泉唯信さんには浄土真宗西本願寺系の僧侶という別な顔があります。24歳で得度されてますが、広島県三次市に江戸時代初期から続く佛久山法正寺の第19代目住職も務め、檀家の法要も務めています。その上先代で父親の和泉恵雲師が開いたビハーラ花の里病院の医師も務めています。この病院は終末期患者を受け入れるホスピスなので、亡くなった時の法要も和泉さんがおこなっています。和泉さんのご家族はこの三次市に住んでこれらの施設運営に従事し、唯信さん自身は単身赴任で徳島大学に勤めています。これだけの活動をするだけでもものすごいエネルギーですが、和泉さんはさらに週末も全国のALS患者の訪問診療もボランティアでおこなっています。


 一体これだけの活動を支える原動力は何なのか?和泉さんの経歴はAIGoogleによると以下となります。

学歴

    北海道大学理学部数学科卒業
    徳島大学医学部医学科卒業
    広島大学大学院修了
    2001年:広島大学から医学博士号を取得


職歴(徳島大学)

    医学部附属病院 助手:(2001年度〜2002年度)
    医学部 講師:(2003年度)
    大学院ヘルスバイオサイエンス研究部 講師:(2004年度〜2005年度)
    大学院ヘルスバイオサイエンス研究部 臨床教授:(2014年度)
    特任講師:(2020年~)
    教授:(2024年度〜)

いつから柔道を始めたのかわかりませんが、和泉さんは北大時代に柔道でならしています。この時代のエピソードは、同じ柔道部で後輩だった増田俊也(としなり)氏が自身のブログやXでくわしく述べています。。和泉さんが徳島大学のサイトでインタビューに答えているので、引用します。

---研究に没頭できるのは学生の間だけと分かっていても、どうしても興味がよそに行ってしまうこともあると思いますが。


和泉先生 遊びたいでしょう、それは。遊ぶのは悪くないんですよ。私はね、2つ、大学へ行ってますから。1つは北大。北海道というのはいいところでね。良すぎて留年してしまったんですけど。それはもう徹底して遊んで・・・。遊んだといっても柔道ばっかりしていたんですが、後悔はないです。その反動で徳島大学に入ってからはかなり勉強しましたね。だから徳島時代の学生生活は勉強漬けの毎日。それはそれでまた良かったですね。ただ2つも大学に行っているからそんな贅沢なことができたわけで、1回の大学生活を遊んでかつ勉強してとなると、時間が足りないでしょう。じゃあ、どっちをするかというと研究も面白いんですよ。遊びを選ぶ人を否定はしませんが、ずっと遊んでいて知的好奇心が満たされるかっていったら、満たされないんじゃないかなと。知的好奇心はやっぱり無限大ですよ。そこが大事なんじゃないですかね。・・・といいつつ、私は柔道ばっかりやりまくってね、漫画になっているんですよ。これ、私(イラスト中央)。


和泉先生、なんかすごくかっこよく描かれておりますが、増田俊也氏のブログによると実物もこの通り。


---マンガになるほど柔道されていたんですか!?


和泉先生 『七帝柔道記』という小説がマンガ化されて。増田俊也君という私の柔道部の後輩が作者なんですが。インターネットで私の名前を入れたら、柔道の方が医師よりも上に出てくるかもしれない。


---柔道から研究へ興味が移ったのは、どうしてでしょうか?


和泉先生 それは柔道より面白かったということです。柔道は・・・結局、私のときは負けたんですけど、最終的には増田君ら後輩が連敗を脱出してくれたんですよ。私が柔道にかけた思いは後輩たちに繋がったと感じました。

私もまだ医師として現役なので「もっとやりたい」という気持ちはありますが、やはり時間に限りがあるんですよ、人生にはね。そういう中で後輩がちゃんと繋いでいってくれたら、嬉しいなと思いますね。柔道は思いを繋げた最初の体験。自分は達成できなくても、後に続く誰かが夢を叶えてくれる。より良い研究をしてもらい、より治療法を見いだしてもらうためにも、学生のみなさんにそのバトンを受け取ってもらいたいと願っています。

しかし、「こころの時代」では、この北大柔道部時代にあった重大な事案を和泉先生が語っています。


七帝戦は上記の本で増田氏が詳しく述べています。

苦闘と不運にあえぐ北大柔道部

 苦心の末に自分の柔道を確立する部員たち

 主人公・増田俊也の苦闘と集大成

だそうですが、万年最下位とはいえ北大柔道部に集う部員のものすごい練習は僕も以前から知っておりました。北大柔道部は旧帝大としては異色で、今までも数々の格闘技プロ選手を輩出しているのです。なんか北大柔道部自体が、求道家の修行僧の集団みたい。北大柔道部のサイトをみると今もモロおんなじ雰囲気のヒグマ部員ばかりで、その昭和なアナクロニズムに頭がクラクラ。

(増田氏の代表作のひとつ「シャトゥーン〜ヒグマの森」を漫画化したもの)


 和泉先生の父・和泉恵雲師は生前ビハーラ花の里病院に扁額を掲げましたが、そこに書かれているのが

一切恐懼 為作大安」(いっさいくく ためさだいあん)

という大無量寿経の教典から取った文句です。

「一切恐懼 為作大安」(いっさいくく ためさだいあん)は、『仏説無量寿経』に出てくる言葉で、「すべての恐れおののきに対して、大きな安らぎを与える」という阿弥陀仏の誓願を表します。これは、人が生死の苦しみや不安を抱える中で、阿弥陀仏が大きな安心をもたらしてくれるという教えです。

    出典:

    『仏説無量寿経』の「讃仏偈」のなかに説かれている、法蔵菩薩(後の阿弥陀仏)の誓願の一部です。

意味:

漢字のままでは「一切の恐懼(恐れ)のために大いなる安らぎを作らん」と読みます。

解釈:

阿弥陀仏の永遠の存在(無量寿)や光明(無量光)によって、人間が抱える不安や恐れが消え去り、大いなる安心を得られるという教えにつながります。

浄土真宗との関連:

浄土真宗においては、この誓願が念仏を信じる人への救い、特に「大安慰」として捉えられ、根本的な教えとされています。

私が以前から思うことは、「ひとは必ず死ぬ時が来る。医師は命を救うというが、必ず訪れる死とどう向き合うべきか」です。和泉唯信先生は僧として「ひとは生きている間にいろいろなひとと縁を結ぶ。その縁がひとの死後も、死者と生者をつないでいく」と述べています。


 ここで和泉さんは北大柔道部時代の重要な思い出を語ります。4年生となり柔道主将となった和泉さんですが、その年も北大は最下位に沈みました。しかし、後輩に柔道部の未来を託します。その時の一人が当時1年だった吉田寛裕(のぶひろ)さんです。「かんゆう」と和泉さんは呼んでいますが、血を分けた兄弟のようだったそうです。

進むんじゃ

後ろを振り返りながら

進みなさい

繋ぐんじゃ

思いはのう、生き物なんで

思いがある限り

繋がっていくんじゃ


今日からは

わしらの代にとって

あんたらが分身になった

わしらはあんたらで

あんたらは

そのままわしらじゃ

(増田俊也「七帝柔道記」から)

吉田さんが柔道部主将となった4年後、長年の雪辱をそそぎ、北大はみごと優勝します。ところがその2年後に吉田さんは自死するのです。増田さんが「俺たちは一体化していた」と言うように、和泉さんは深い衝撃を受けます。それを忘れたいのかひたすらに働く和泉さんですが、41歳のとき脳梗塞に倒れます(番組に出た画像からすると小脳梗塞)。駆け付けた上司の梶龍兒教授にいの一番に言ったのは「仕事を続けさせてください」で、ベッド上で土下座したそうです。それから20年。昨年(2024年)和泉先生は仕事の集大成としてALSの新薬を出します。「ロゼバラミン」は高濃度のビタミンB12注射薬です。ビタミンB12不足は貧血だけでなく亜急性連合性脊髄変性症を起こすことが知られており、逆に増やせばそういう効果がありそうな気がします。


「ALS患者のどうしようもない死は、どうしようもないでいいのか」と問う和泉さんは、ひとはだれもがだれかの分身と言います。自分は父恵雲師の分身、ALS患者の分身であり、自死した吉田さんの分身でもあると言います。そして和泉さんは吉田さんの死後30年にして初めて墓参に訪れました。雨が降る墓前で「おまえはずっとおれの伴走者だった」と語ります。吉田さんがなぜ自死したのかわかりません。しかし、遺品の中に残された和泉さんの写真はお二人の深い繋がりを感じさせます。和泉さんが日々ALS患者と向き合い伴走していく姿は、そのまま吉田さんとの対話に繋がっている気が私はしました。

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