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記録が「永久保存」となった「重大少年事件」〜判決確定で終わりとならない事件


京都新聞から引用します。

記録が「永久保存」となった「重大少年事件」とは 京都府内分の一部が判明、識者「市民に分かりにくい」

7/6(日) 13:16配信


重大少年事件の記録が事実上の永久保存になる「特別保存」とされず、廃棄された問題を受け、京都家裁は、危険運転致死傷や強盗殺人未遂など少年事件9件、家事事件6件を特別保存にした。京都新聞社の取材で、特別保存となった事案の一部が判明した。


筆頭の表が判明した分となります。

 京都家裁は2013〜23年に審理が終結した少年事件9件、家事事件6件を過去にさかのぼって特別保存とし、各事件の事件番号と終局日、事件名の一覧を6日に公開した。京都新聞社が当時の報道を基に家裁に確認した結果、少年事件3件、家事事件1件についてはどの事件かが判明した。


 判明したのは、京都市西京区で少年(15)が男性会社員をナイフで刺した強盗殺人未遂事件(13年)▽京都府与謝野町で自衛官(19)の車が民家に衝突、同乗者4人が死傷した危険運転致死傷事件(21年)▽福知山市で大学生(19)が神社などを全焼させた連続放火事件(23年)=年齢はいずれも当時。


 家事事件の判明分は、京都市の50代経営者が、女性と婚姻したまま戸籍の性別を男性から女性に変更するよう求めた事案(19年)。

 各地で相次いだ記録廃棄を契機に、裁判所が永久保存に当たる特別保存の対象事件を見直している。識者は「歴史文書として後世に残すため、まずは保存体制を整えることが重要だ」と意義を強調する。一方で、裁判所は対象事件の事件番号などを公表しているだけで、どの事件が永久保存になったのかが分かりにくいとの指摘もある。

少年事件の記録は、少年が26歳を超えれば原則廃棄されるが、家裁が資料的価値があると判断すれば特別保存にできる。永久保存される記録には、家裁調査官が作成する調査票のほか、警察や検察の捜査記録なども含まれる場合がある。

 犯罪被害者支援に取り組む奥田尚彦弁護士(京都弁護士会)は「記録の保存には、後に法改正を検討する際の資料になる可能性や、重大事件を風化させない効果がある」と話す。

これで思い出すのは神戸児童連続殺傷事件の裁判記録廃棄です。GoogleのAIサーチから引用します。

神戸地方裁判所が、1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件の裁判記録を廃棄していたことが判明しました。この事件は、当時14歳の少年が小学生2人を殺害し、3人に重軽傷を負わせたもので、社会に大きな衝撃を与えました。最高裁判所の内規では、史料的価値の高い記録は永久保存とされていますが、神戸家裁は少年審判の記録を廃棄していました。この記録廃棄により、事件の検証や再発防止策の検討が困難になったと 遺族や専門家から批判の声が上がっています

これだけ社会に衝撃を与えた殺人事件の裁判記録が保管されないというのは、驚愕でした。上の京都地裁は保管と決めた事件一覧で興味を覚えたのは、少なくとも全国的にはあまり知られてない事件ばかりという点です。2022年の福知山の大学生の連続放火事件も比較的地味な事件に思えますが、どういう経緯だったのでしょうか?産経新聞から引用します。


京都・福知山の神社全焼させた疑い、大学生男を再逮捕

2023/7/14 12:31


京都府福知山市の神社を放火し全焼させたとして京都府警は14日、非現住建造物等放火の疑いで、同市の大学生の男(19)=建造物等以外放火容疑などで逮捕、処分保留=を再逮捕した。男は「ガソリンをまいて火をつけた」と供述し、容疑を認めている。


福知山市内では5月下旬以降、民家などでの不審火が連続で発生。男は他の数件への関与をほのめかしており、府警が慎重に捜査を進める。


再逮捕容疑は6月15日午後、福知山市土師の愛宕(あたご)神社に放火し、全焼させたとしている。


府警によると、木造の本殿などを含む約82平方メートルが全焼した。けが人はなかった。境内ではランタンなどに使われる石油燃料のホワイトガソリンの缶が複数発見された。府警は男が犯行に使用したとみて経緯を調べる。

その後別な放火もしていたことがわかります。

京都府警捜査第1課と福知山署は23日、福知山市内在住の男子大学生(19)を建造物侵入・建造物等以外放火の疑いで逮捕した。


 調べによると、大学生は6月18日午前2時25分ごろから29分ごろまでの間、福知山市土師宮町のホームセンター敷地内に、放火する目的で侵入し、軒先に置かれていた段ボール箱などに放火したもの。


 防犯カメラの映像などから特定し、午後2時すぎ、自宅で逮捕した。犯行時に使用したと見られる自転車、着衣などを押収している。


 「イライラしていた。何かに火を付けて燃やせばおさまると思った」と供述しているという。ほかにも数件の放火をほのめかしているともいう。


 付近では15日以降の1週間以内で、愛宕神社が全焼したのをはじめ、不審火による火災が神社、空き家、ホームセンター、民家など合計5件、ここ1カ月では6件が判明している。


地元の人びとから大事にされてきた愛宕神社。前田地区神社総代世話役、土手隆晴さん(73)は「まだ関連は分からないが、住民はひと安心です。すごく憤っています」と話している。

イライラか。火を付けて放火することに快感を感じる連続放火犯は昔からいます。この犯人は大学生なので当てはまりませんが、知的障害を持つ者が多いです。大きな火を見ることにある種の熱狂を感じるようです。あとは「劇場型犯罪」で、消防士や消防官が放火して消火活動にあたる自分のヒーロー像に陶酔する倒錯した人格を持つ者も時々いますね。まさにマッチポンプ



その後の裁判経過は以下でした。

大学生連続放火「世間の注目集めたかった」懲役3年の判決 400年の歴史ある神社焼失 判決受け『再建へ』決意新たに 2024年06月13日


京都府福知山市で神社などに放火した罪に問われた元大学生の男に対し、京都地方裁判所は懲役3年の実刑判決を言い渡しました。


■6件の不審火に関与した罪


当時19歳の大学生だった男は、去年5月から6月にかけて、福知山市内の神社やホームセンターに放火するなど、合わせて6件の不審火に関与した罪に問われています。


■「大学生活のストレスで大きな火が見たかった。世間の注目を集めたかった


これまでの裁判で男は起訴内容を認め、「大学生活のストレスで大きな火が見たかった。世間の注目を集めたかった」などと話していました。 争点は男の『責任能力』で検察側は「完全責任能力があった」と主張し懲役5年を求刑しましたが、弁護側は「心神耗弱だった」として減刑を求めていました。


■400年の歴史も焼失


放火された建物の1つ、400年の歴史を誇る愛宕神社。 事件から1年がたっても基礎の部分だけが残った姿です。


■神社の再建目指しクラファン


元の規模に再建するには1億4000万円以上の費用が必要ですが、男に損害賠償を請求しても支払いの見込みは不透明で、神社を管理する土手隆晴さんたちは10日からクラウドファンディングで全国に支援を募っています。

【愛宕神社再建委員会・土手隆晴委員長】「再建できたらいいんです。一歩でも前の規模の神社にしたいがなかなかね。力がなくて困っているんです」


■「完全責任能力ある」懲役3年の判決


土手さんたちも見守る中、迎えた12日の判決で京都地裁(増田啓祐裁判長)は「愛宕神社の放火はあらかじめ用意した燃料を用いて、木造の神社という可燃性の高い対象を選んで放火するという危険性が大きい手口による悪質なものであり、全焼という重大な結果をもたらしている。敷地内に人がいたため断念して引き返したにも関わらず、再度赴いて犯行に及んだものであり、強固な犯意に基づくものといえる」と指摘。 「一連の犯行により、地域社会に大きな不安を感じさせたことも看過できない。被告人はわずか約1か月で6回にわたり、同じような犯行を繰り返したもので、強い非難を免れない」としたうえで「被告は完全責任能力がある」として懲役3年を言い渡しました


■「神社がどうなったか写真も見たと思う。社会復帰後のケアを十分に活用して」と裁判長


また増田啓祐裁判長は最後に被告の男に対して以下のように語りかけました。 「6件の放火を起こして、社会に与えた危険性の責任はやはり重い。まず最低限のことをして、こういうことを繰り返すことのないよう、火をつけるのがどれだけ危険か分かったと思います」 「愛宕神社がどうなったか写真も見たと思います。繰り返すことのないように、生活環境を整えることも必要。社会に戻ったあと、地域の中でケアしてくれる人たちのもとで生活も期待される。サポートする人のもとで、生活するときは、その人のことをよく聞いて、社会復帰したあとのケアを十分活用して生活してください」


■「反省の弁もない。他人事みたい」


【愛宕神社再建委員会・土手隆晴委員長】「求刑が5年で(判決が)3年ですか。なんか短いような、ようわかりませんけど。反省の弁もありませんし、これでいいのかと思うのと、我々被害者に対して何もない。他人事みたいに私は受け止めました」

土手さんは『再建に向けて一歩でも近づけるように頑張りたい』と決意を新たにしていました。


(関西テレビ 2024年6月12日)

なるほど。この大学生は判決を受けてもまったく無反省だったようです。「出所後に再犯の可能性がきわめて高い」と裁判所が判断していると思われます。とすると懲役3年は妥当な量刑だったのか?と疑問が残ります。これを読むと、神戸児童連続殺傷事件の裁判記録を破棄したのは、出所後の犯人の行動・言動を思うと判断ミスだったとつくづく痛恨の極みです


 なお、健常者(一応)で連続放火犯というと、諏訪市の「くまぇり」を思い出します。wikiから引用します。

諏訪地方連続放火事件(すわちほうれんぞくほうかじけん)とは、2006年(平成18年)4月から5月にかけて、長野県諏訪地方の諏訪市・諏訪郡下諏訪町で中学校の体育館・資材小屋・自動車が放火され全焼し、さらに茅野市でも放火が行われた連続放火事件。諏訪市在住の自称「熊田曜子ソックリさん」でくまぇりと名乗っていた当時20歳の女性(2016年に刑務所を出所)が、自身のブログで火災写真を掲載していたことでも注目された[1][2]。 

こんなこと書いていたらしいです。

2006/05/01[月]

火事

今日の熊ぇりビックリ

さっき午後11時30分頃近所で大火事がぁりました

一軒家まるまる燃えて全焼燃え上がった炎が電線を燃やし

電線がバチバチバチっと爆発してあたり全部停電で真っ暗

消防や警察や野次馬ですっごぃ人だかりで

まるでお祭りのような騒ぎでした

最近不審火が多発してて今月で6・7件位発生してます怖いょ~


2006/05/11[木]

また火事だょ

今日の熊ぇりビックリ

また近くで火事がぁったょ今回ゎ中学校の体育館が全焼だょ

くまぇりの母校だからショックだょ~

もぅ先月から合わせると10件にもなるらしぃ

今回の体育館が燃えたのゎ全国ニュースになってたょ~

怖いょ~


2006/05/25[木]

またまた火事

今日の熊ぇりビックリ

ぇ~とちょっと前5日位前かな?

又火事が近くであったょ~

もう諏訪で10件以上岡谷でも10件以上茅野市でも

何件か起きてるからかなりの数だね!

夜ゎ家の周りは消防車やパトカーや覆面パトロールや

交代制の歩きの見回りである意味賑やかです…(-"-;)

普通に犬の散歩してるだけなのに職務質問されるし

(`へ´)ちあんが悪くなったなぁ(・_・;)怖い…


2006/05/26[金]

また火事

今日の熊ぇりビックリ

昨Θ下諏訪で火事があったよ!

乗用車2台を焼く火事だって!

もう諏訪では不審火が18件も起きてるらしい!

だから隣町とか合わせるとかなりの件数だね!

もう近所中警戒して電気つけたり見回りの車とか凄いよ~Y(>_<、)Y


2006/06/02[金]

5月30日に又不審火

今日の熊ぇりビックリ

30日か31日にまた不審火の火事があったらしい!

ウサギ小屋が燃えてウサギが1羽死んじゃったらしい!犯人許せない

ウサギさんを焼き殺したのは、あんただが?驚くのは逮捕のために警察が自宅を訪れた時、読者モデルということで「SPA!」記者が取材に来ていてその撮影が終わるまで、逮捕を待つことを懇願したこと。

逮捕当日の2006年7月8日、女性は読者モデル「くまぇり」として総合週刊誌『SPA!』に掲載されるグラビアのため、水着姿による写真撮影をする予定になっていた。撮影に出向く直前に長野県警察の捜査員が自宅を訪れたが、撮影を行いたいという本人の意志が強く、女性捜査員が同行して撮影は予定通りに行われ、撮影終了直後に女性は逮捕された。このとき撮影された写真は、当初予定されていたグラビアアイドルの取り上げ方ではなく、ニュース写真として『SPA!』に掲載された

その結果がこの写真。

・・・どういう心境で撮影に臨んだのだろうか。


 平田恵里香は受刑中に雑誌インタビューに応じております。一応反省はしていたようですが、こんな文を「創」という雑誌に寄せています。


『あなたにたいほ状が出てます』と言われたときは天と地が逆さになりました。さっきまで天だったのに・・・SPA!はまだ見てないんですよ。自分ののっているざっしやしんぶんも一回も見たことないんです。ダメなんですよ。留置所で新聞が切り取られていると『あ・自分のきじだな』って分かります(中略)マスコミ報道はおおげさにまたおもしろおかしく書くので私は大嫌いです。親もそのつど悲しんでいました」

一応健常者と書きましたが、この歳でこんな内容でしかもひらがな混じりの文章とは、如何に不登校やパニック障害があったとはいえ、違和感があります。「創」では獄中記のマンガも出版しましたが、出所後の平田恵里香がどうしているかはわかりません。

仏文学者・内田樹さん 〜緊張の味、修行の本質悟る

(内田樹氏(右側)と合気道の師・多田宏氏(左側) 日経から)


桜蔭や開成に受かった子を「親がお尻を叩いたおかげで合格しただけ」〜ディスる親の盛大なカン違い


神戸女学院大名誉教授でフランス文学者の内田樹さんが日経「食の履歴書」の6月のインタビューに答えた記事です。「食の履歴書」いつもは記憶に残った食事が紹介されるのですが、内田さんのは何とも異色な内容でした。引用します。

フランス文学者で神戸女学院大学名誉教授の内田樹さん(74)は武道家としての顔を持つ。師匠の教えである「他人の技を批判しない」の真意が分かるまで、師との食事は味を感じられないほど緊張感に包まれていた。エリート家庭で育った母のプライドを傷つけてしまった思い出とともに振り返る。

師と仰ぐのは合気道の師範である多田宏さんだ。東京大学卒業後の1975年、大学院受験の浪人中に東京・自由が丘の道場の門をたたいた。


入門から数年がたったある日、多田さんは弟子たちに向かって「他人の技を批判してはいけない」と語り始めた。その言葉に驚いた。合気道を始める前から空手を学んでいたが、互いの欠点を指摘し合うことは当たり前だった。「相対的な優劣を論じてはいけない」とも語った。

これ、まったく同感です。道を究めるというか自分を磨いて成長させることに懸命に努力していると、最初は気になっていた他人との優劣が次第にどうでもよくなっていきます。ただ、最初からそれがわかる人は非常に稀だと思います。

「先生との間には圧倒的な距離感がありました」という。入門から10年ほどたった頃、二人で食事をする機会があった。「たしか盛りそばを頼んだんですが、緊張しすぎて味が全くわからなかったんです」と振り返る。胃が縮こまり、消化器が止まってしまったような感覚だった。

喉を通らない緊張の食事を「食の履歴書」として語ったのは、今までに内田さんくらいでしょう!


10年ほど前、イタリア北部で行われた合気道の講習会で師匠に同行した。宿泊先での朝食は野菜やチーズ、ヨーグルトといった質素な中身だ。しかし初めて、師匠との食事をおいしいと感じた。


昔言われた言葉の意味が理解できたからだ。他人との優劣が気になってしまうのは、逆に自己への執着を捨て切れていないということではないか。そのままでは修行は前に進まない。我執を捨て去り、ひたすら自分を鍛える「連続的な自己刷新」。これこそが修行の目的ではないか、と。

理解のきっかけは自分も教える立場になったことだった。学生や弟子とのやりとりを通じて「多田先生が何を考えて接しているかがわかってきました」と話す。優劣をつけず、査定もしない。学生全員に対して等しく関心があり、等しく無関心という絶妙な距離感を師匠の背中を見ながら学んだ。研究室には所属外の学生も多く相談に訪れた。

そう!まったくその通り!この境地は死ぬほど努力して究極を究めようとした者にしかわかりません。私がこどもたちの中学受験の思い出として述べた感想と通底するお話で、まさに「膝を打つ」内容でした。


 ところで内田樹さん、名前だけはよく見てましたが、そもそも何と名前を読むのか知りませんでした。「樹=たつる」と読むのですね。従ってお仕事の方もどういうことをしてきたのか、全然知りません。wikiによると以下でした。

内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日 - )は、日本のフランス文学者・武道家(合気道凱風館館長。合気道七段、居合道三段、杖道三段[1])・翻訳家・思想家[2]・エッセイスト。元学生運動家[3]。神戸女学院大学名誉教授。学位は修士(旧東京都立大学・1980年、フランス文学専攻)。専門はフランス現代思想[4]。立憲民主党パートナー[5]。


東京大学文学部卒業。旧東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。


高校を中退したが、大学入学資格検定を経て東大に入学、文学部仏文科卒。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。フランス現代思想を専門とし、大学で教鞭を執る。

??この日経のインタビューでは「日比谷高校」にいた時の話が出てくるが、中退したのか?

食といえば今も悔やむ原体験がある。母方の祖父は東京帝国大学を卒業したエリートだった。母の昌子さんはそうした富裕層の家庭に生まれ、兵庫県の芦屋や夙川、三宮で一流の味を知って育った。


その恵まれた食生活は戦争で暗転する。「戦後は食生活が貧しくなって、母は『こんなものしか食べさせられなくて本当に申し訳ない』と口にしていました」と語る。


かつて自分が食べていた豊かな食事を、子どもたちは一生食べられないのではないかと母は哀れんでいた。料理を熱心に学び、オーブンを買って家庭料理に取り入れたのは、貧しい思いを子どもにさせたくなかったからだ。

単著は70冊を超え、専門のフランス文学にとどまらず活発な評論活動を続ける


入学した都立日比谷高校の男子生徒は「シティーボーイ」ばかりだった。昼食は赤坂で外食するのが日常だ。1年生の時、専門店で食べたスパゲティ・ミートソースの味に「こんなにうまいものがあるのか」と感激した。しばらくして、食卓には母の手作りのスパゲティが並んだ。玉ねぎやピーマン、少量の肉をケチャップで味付けしたナポリタンだった。そのとき思わず「母さん、スパゲティってこんなもんじゃないんだよ。こんなうどんみたいにぐちゃっとしたのじゃなくて、もっとピンとしてて」と講釈を垂れてしまった。

母は珍しく怒った。「私だっておいしいものを食べられるんだったら作るわよ。食べていないんだから」と言い返した。阪神間の高度な食文化に触れ、日本で一番おいしいものを食べてきたというプライドを傷つけられたのだろう。「誠に申し訳ないことをした」。それから60年がたった今も悔いが残り続けている。

この親不孝者め!こんなくだらないことで、ママンを嘆かせるとはなにごと!


日比谷高校中退の経緯はwikiのあとを読むとこうでした。こりゃ中退じゃなくて、「放校」だわな。

来歴


東京都大田区下丸子に生まれ育つ[注 1]。父方の祖母のいとこに、参謀本部作戦課長、陸軍大臣秘書官として東條英機の側近だった服部卓四郎がいる[12][13]。


1963年に大田区立東調布第三小学校を卒業。1966年に大田区立矢口中学校を卒業。1966年、東京都立日比谷高等学校に入学[14]。高校2年で成績が学年最下位になり、のち品行不良を理由に退学処分を受けた[15]。家出してジャズ喫茶でアルバイトをするが、生活できなくなり、数か月後に親に謝罪し家に戻った[16]。


1968年10月、大学入学資格検定に合格。1969年、東京大学入試中止の年に京都大学法学部を受験し不合格。駿台予備校を経て、1970年4月、東京大学文科三類に入学。この頃、三里塚闘争に参加する[17]。東大生となってから学習塾のバイトをしだした。バイト代が時給500円(当時)で国立大学の授業料が月額1000円(当時)だったので一日2時間労働するだけで月謝が払えていた。そのため、月謝以外の稼ぎは両親からの自由を求めて借りたアパートの賃貸費用に充てていた。内田が働いていた学習塾は大学生70人で回してたが25%が過激派の大学生だったとしている[18]。


1970年代初頭に学生運動から離脱[3]。1975年3月、文学部仏文科卒業。1975年12月、合気道自由が丘道場に入門し多田宏に師事(大本教教主輔の出口王仁三郎の曾孫弟子に当たる[19])。1976年に4歳年上の女優と結婚している。妻の父親(岳父)は平野三郎。1977年1月、平川克美と共に翻訳会社「アーバン・トランスレーション」を設立[14][20]。 

1966年の日比谷高校というと、東大合格者数では日比谷高が空前前後のぶっちぎり1位で(200人超合格!)、無双の時代でした。その後間もなく大学紛争で東大安田講堂占拠事件と東大入試の中止、そして学校群制度導入による都立高校怒涛の大没落と目まぐるしい時代でした。内田氏自身も最初の受験年が1969年の東大入試中止の年で、東大文一から京大法学部受験に切り替えたものの、落ちてしまったわけです。


 なんで日比谷高校を追い出される羽目になったのか、内田氏本人が述べていました。「教育学術新聞」に出ていた内田氏へのインタビューから引用します。

 中学生になって、「新聞記者になりたくなった。たぶんテレビの『事件記者』の影響」。高校は都立日比谷高等学校に進む。67年初夏、ふいに地殻変動の近いことが予感された。「革命前夜に思えた。受験勉強なんか、やってる場合じゃないと思って」高校を退学、家出してジャズ喫茶でアルバイトしたりするが「食えなくなり、12月、親に謝って家に入れてもらいました」。大学入学資格検定を経て69年、東京大学入試中止の年、京都大学法学部を受験するが失敗。

 なぜ法学部に?「高校生の頃は、ずっと法律家になりたいと思っていた。法律学的なものの考え方や書き方となじみがよかったから」

 しかし、1年間の浪人生活を経て70年、東大文科Ⅲ類(文学部進学)に入学。法学部志望はどうなったのですか?「受験の最後の最後まで文Ⅰ(文科Ⅰ類・法学部進学)に行くつもりだったが、突然、非生産的なことをしたくなった」

 75年、東大文学部仏文科を卒業。就職する気はなかった。「学生運動をやってた連中が髪を7:3に分け、スーツを着て就活するのを見て、うんざりしたから。とりあえず大学院に行こうと思った。別に向学心があったわけじゃなくて、よくあるモラトリアム」

 東京都立大学大学院へ進む。「大学院生のとき、友人の平川克美くんと渋谷で翻訳会社を起業した。ビジネスは大成功したが、修士論文を書くときに一線を引いて、それからは研究の方に軸足を移した」

今から思うとイキッた若者(=馬鹿者)の妄想の類いですが、あの当時全世界的に学生運動が吹き荒れ、確かに「世界革命」でも起こりそうでした。私も子供心に東大安田講堂への一斉放水のテレビニュース場面は目に焼き付いています。ウカウカと世界革命妄想に乗ってイキッた内田少年は出奔したもののたちまち「転向」し、受験更生の道に入ったのかと思いきや、その後もかなり反抗的人生だったようです。しかし、日比谷高は「退学処分」だったのだよね?高校時代学業成績が悪いことや学生運動以外にも、なんかワルいことしてたんじゃねーか、内田?くんくん。臭うゾ!


82年、都立大大学院人文科学研究科博士課程中退、都立大人文学部助手に採用されて、8年間。39歳になっていた。「教員公募はフルエントリー。帯広畜産大から琉球大まで30数校に応募して全部落ちた」

 「都立大OBのいた神戸大学に誘われ、決まりかけたが最後で流れた。この先生が面倒見のよい方で、フランス語の専任に定年退職者が出た神戸女学院大に推薦してくれた」

 90年から神戸女学院大学文学部助教授に。95年の阪神大震災を体験。「地震の翌日バイクで大学へ。あまりの被害の甚大さに、意識が遠のいた。それから3ヶ月間は朝から晩まで土木作業。復旧するまで2年かかった」

 教務部長、入試部長を経験したことについて。「教務部長は会議が多くて、それがほんとにつらかった。でも、さまざまなタイプのクレーマーと対応したことはよい経験になった。入試部は志願者に向けて、大学のミッションステートメントを掲げる仕事。これはやりがいがある」

神戸大文学部は昔からなぜか京大より東大関係者の就職が多いように感じます。教授選は本当に「一寸先は闇」の世界ですから、決まるまで何が起こるかわかりませんね。しかし、「塞翁が馬」ともいいます。人生どこに幸運が転がってるかわからず、神戸女学院大に就職したことで、内田氏にとってはかえって充実した人生になったのでないでしょうか。


 内田樹氏の人生の転機となった高校退学そして浪人時代、その後の方向を与えたのは駿台予備校よりも多田宏氏との邂逅が大きかったように感じます。いずれにしても上の写真の姿をみてもわかるようにワイルドでチョイ悪オヤジの風貌で、実際も内田氏は生涯ずっと無頼派といってもいいヤンチャ人生を歩んできたように思えます。あんまりよく知らない思想家ですが、興味を満ちました。これを機に少し著作を読んでみるか。

理事長パワハラ国循ようやく認定 追加処分なし 〜まだ辞めてなかったのか!


共同通信の記事です。

理事長パワハラ国循ようやく認定 外部機関先行、追加処分なし

7/2(水) 21:47配信

共同通信


 国立循環器病研究センター(国循、大阪府吹田市)は2日、ハラスメント調査委員会が、大津欣也理事長の部下に対する言動をパワハラと認定したと発表。すでに第三者の調査機関が認定していたが、これまで国循としてはパワハラの有無を判断していなかった。昨年12月に役員報酬の自主返納を発表しており、追加の処分はない。


 国循によると、昨年3月、大津氏によるパワハラについて内部通報があった。その後、第三者による調査機関がパワハラを認定。それを受けて国循でも今年1月に弁護士などによる調査委員会を設置し、今月1日の臨時理事会で認定が報告された。国循は報告書の内容について公表予定はないとしている。

こちらは読売新聞の報道です。

国立循環器病研究センター理事長のパワハラ、第三者チームに続き内部調査委も認定

7/3(木) 15:45配信

読売新聞オンライン


 国立循環器病研究センター(大阪府吹田市)の大津欣也理事長が部下にパワーハラスメントをしたとされる問題で、センターは2日、内部の調査委員会がパワハラと認定したと発表した。

 昨年10月に、弁護士らによる第三者の調査チームが大津氏のパワハラを認定し、大津氏は既に役員報酬の10%(3か月)を自主返納しているため、今回は処分を科さないとしている。

 関係者によると、大津氏は2022年9月、留任を希望する部長の人事を巡り、「代えるのはめちゃめちゃ簡単」などと発言したとされる。

 第三者の調査チームの認定後、センターでも今年1月に調査委員会を設置。7月1日の臨時理事会で認定が報告された。報告書の内容は非公表としている。

この大津欣也という方は、パワハラだけでなく、研究不正でも認定されています。というかそちらの方がもっと大きい問題です。

国循・大津欣也理事長の研究不正疑惑 〜「白い巨塔」再来

国循(国立循環器病研究センター)で続く研究不正の疑惑


あれからもう2年も経つのに、まだ国立循環器病研究センターの理事長を続けていたのか!これだけ多くの研究不正が続いているのでその責任も取らずにまだ居座っているのかと、もうびっくりです。


大津欣也の経歴はこうなっています。

国立循環器病研究センターの続発する研究不正の背景には、大阪大学医学部の研究体制の構造的な問題も指摘されています。何か非常に根が深い問題と思われ、大阪大学医学部の改革なしには国循(国立循環器病研究センター)の改革も進まないのでないか?大阪大学医学部は循環器の外科系の方でもどす黒い噂を聞きます。

 

 大津欣也についてはこういう報道もありましたね。

《証拠入手》国立循環器病研究センター“ドロ沼内紛”で理事長の「パパ活写真」が見つかった〈「画像の不適切使用」「パワハラ」だけでなく…〉


「週刊文春」編集部 「週刊文春」編集部

2025/04/05

source : 週刊文春 2025年4月10日号


 大津氏は、自身の不祥事が次々と明るみに出ることについて、自身を追い落とそうとする“反大津派”の策謀だと疑っていたようだ。国循幹部が明かす。


「昨年7月には、厚労相経験者でもある加藤勝信氏(現財務相)を講演会に招きました。国循の幹部職員、約100人に出席が義務付けられ、大津氏が“自分が閣議決定で理事長になった時の官房長官が加藤氏だった”とあいさつ。大津氏は自身に近い関係者に『不満分子に対し、自分のバックに加藤氏がいることを示すために、知人を介して呼んだ』と本音を漏らしていた」


 こうした仁義なき権力闘争により、理事長の意外な“裏の顔”も晒されることになった。それはスーツ姿の大津氏が若い清楚系の女性とラブホテルに入るものや、別の茶髪女性と喫茶店で談笑するものなど、“パパ活”に励んでいるとしか思えない姿である。

まあ買春したいなら好きにしてくれと思いますが、こんな報道されてよく人前に出られるなと感心します。循環器疾患の権威だから「心臓に毛が生えている」のか?いちいち言いたくないが、東大皮膚科の佐藤伸一教授といい、どうして国立大医学部の教授にはこういう野卑なヤカラが多いのか?これらと比べると「白い巨塔」なんてまだ可愛く見えます。本当に恥ずかしいひとたちで死んだ後は地獄に落ちるのでしょうが、今生きてて恥ずかしくないのかね?こういう下品なおっさんたちと大学同窓でなくて良かったとつくづく思います。あ、あと自分の家族でなくてほんとに良かった!