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東郷町長辞職 〜東郷式管理教育のなれの果て(2)

東郷町長辞職 〜東郷式管理教育のなれの果て(1)
東郷町長辞職 〜東郷式管理教育のなれの果て(2)
東郷町長辞職 〜内藤朝雄氏の記載を読んで


再びアンサイクロペディアの「東郷高校」の項目から引きます。

かつては非常に厳しい学校であり、「軍隊学校」と言われるほどであった。「厳しい高校ランキング」というものでは日本一を獲得したほどである。

軍隊というか、囚人を収容する刑務所みたいな高校だったようです。アンサイクロペディアには、東郷高校の教師像として以下の記載があります。

教師


非常に厳しい。時代も時代なので体罰は当たり前…と思いきや、一切振るわれない。その代わり、動物のように大声で恫喝することで生徒を支配していた。なお、女子生徒でも一切の手抜きはなく、筋骨隆々の男性教師が大声で脅す。[3]厳しいながらも筋は通っているのかと思いきや、気に入らない生徒は恫喝するどうしようもない教師が多数生息していた。スローガンは「教師は神」。教師に気に入られるかどうかで三年間が地獄になるか刑務所になるかが決まる。なお、この時代ではどの高校でも竹刀を持ち歩く体育教師が生息していたが、この高校ではただの飾りであり、言葉の暴力で精神攻撃を加えていた。卒業生によると、「まともな教師は一人もいなかった」らしい。


1970年代にはやった永井豪の漫画「あばしり一家」を、私は思い出しました。「パラダイス学園中学」(パラ中)という名とは裏腹に実は殺人を教える学校に入学した「あばしり菊の助」がバイオレント教師達を相手に反乱を起こす話です。実は菊の助はキュートでお色気ムンムンの女子でしたが、それを教師がいたぶること、いたぶること。


自分の中学は公立ですが、さすがにこのパラ中ではなかったものの、それでも昭和時代の教育の常で、教師が生徒を殴る。蹴るなど当たり前でした。生徒は放置すれば共産党員にならなくても犯罪を犯しセックスに狂う野獣化する人でなしで、家畜みたいに叩けば叩くほどましになるというのが公教育の主流だったと思います。もちろんそういう野蛮な発想に強く抵抗する正当な教師もいましたが、こういう暴力教師は声もでかい。圧倒されて何も言えなくなったと思います。


 こういう徹底した管理指導がどうして東郷高校でまかり通ったのか?「愛知県立高等学校における管理教育」というサイトにこの時代の東郷高校の貴重な新聞記事の記録が出ています。このサイトの最初の項目「「なぜ」は一切禁句」を読んで、「東郷式管理教育のなれの果て(1)」で抱いた旭丘高校東郷分校と東郷高校の非連続性への疑問が氷解しました。1960年代後半日本の学生運動が頂点に向かいますが、大学だけでなく高校でも進学校を中心に学園紛争が激化しました。愛知県の公立校ナンバー1の旭丘高校もご多分に漏れず、激しかったようです(服装自由化はその時果たされた)。東郷高校はそのアンチテーゼの「紛争がない高校」として愛知県教育委員会の肝いりでつくられた新設校第一号だったのです。当時急増していた第一次ベビーブーマーの高校生が左翼過激派に洗脳されてしまったら、日本の共産化は目前だと保守層や教育界はかなりの危機感を抱いていたのでしょう。そのため徹底した管理教育の実施が望まれたのです。しかし、それだけではだれもそんな高校に行きたがりません。


その中で僕が注目したのはここに引用させていただいたこれです。


はっきり言います。1970年ころの高校受験で偏差値50ちょっとの学校では、旭丘高校とは違って国立大学に進むなんて普通は無理な学力の生徒しかいません。それを叩きに叩いて、琉球大だろうが岩手大だろうが秋田大だろうが、ともかく「国立大学」と名のつく大学にさえ入れさえすれば実績として高く評価される(生徒でなく教師が!)。だから、愛知県教育委員会も「実績を出す」東郷高校の人権無視の教育実態を長く黙認したのでしょう。今に至るまで、地方の公立校の教育実態に通じるものだと思いますが、ろくでもない教師はろくでもない後進の再生産しかできない。しかし、親も「出来があまりよくない息子、娘が一応まともな大学に入ったのは東郷高校の先生さまのお陰。ありがたい。ありがたい。」だったのでないでしょうか。こちらも今に至るまで地方在住の親に一貫している態度と想像します。


 東郷高校の「業績」を高く評価したであろう愛知県教育委員会は、次々と「東郷方式」のコピーに励みます。再び「愛知県立高等学校における管理教育」内の掲載記事を引用します。


さすがに大学以降は、このような管理教育を卒業生は受けなかったと思いたいです。しかし、「三つ子の魂百まで」ということで、この多感な時期に受けた人格軽視の粗野な管理教育の影響は、後の人生にも付いて回ったと思います。それがこのモンスターハラスメント親父の東郷町長爆誕の経緯でしょう。


 井俣町長は辞任の記者会見にいたっても、以下のような捨て台詞を連発しています。

「正しいことを抹殺するために『ハラスメント』という言葉が使われることは間違っている。自分にとっての不都合を『ハラスメント』という言葉で回避しようとするのも間違っていると感じている」

言い過ぎたと思う発言はなかったか記者に問われると…


東郷町 井俣町長

「具体的に言うと誰のどの事案かわかってしまうが、お話した方がいいですか?それハラスメントですよ」

すごい逆ギレでかえって清々しいくらい。

井俣町長

「災害避難所におけるペットの扱いでも、“家族”と考える人もいれば、“ペット”と考える人もいれば。不適切だったらご指摘ください、“犬畜生”だと思っている方と」


町議会議長

「わざわざ“犬畜生”という言葉を言わなくても済むのに、そういった発言をするのは不適切です。指摘しておきます」


  井俣町長

「不快に思われたということでしたら、訂正させていただきます」

辞職を表明した全員協議会の直後、町職員に背中をポンポンと押されエレベーターに乗るよう促された場面では、「触っちゃダメよ〜」と笑いながら発言しました。ハラスメントを茶化すようにも聞こえる発言です。


まるで無反省。もはや人間のクズです。愛知大卒ということで学歴劣等感が炸裂したのかもしれないが、謹慎蟄居で二度と人前に出るべきでないレベルでしょう。しかし、これが当時の東郷高校の教師達の忠実なコピーだと僕は思います。


 今昭和時代を懐かしむ年代層もいるようですが、第二次大戦後も戦前の日本を引きずったままのとんでもない時代だったと僕は改めて思います。人間としての正しいあり方なんかじゃなくて、上の号令一下で黙々と精勤することがすべて。そんな社会だと、自分だけが可愛くて他人が困ってても知ったこっちゃない。万一関わったりしたら自分も酷い目に遭うんじゃないかと戦々恐々だったでしょう。東郷高校ではその徹底した管理教育で生徒間のイジメはかえってなかったように書かれていますが、本当でしょうか?あの頃の学校イジメは今以上にひどかったです。礼儀なんてくそ食らえで、まことに貧しい教育精神でした。しかし令和の今、地方の自治体の教育委員会はきちんとした教育指導をおこなえているのでしょうか?東郷高校に関してはこんな記載がアンサイクロペディアに出ています。

気違い教師は定年退職し、いつの間にかブラック校則も無くなり、至って普通の高校となった。また、東郷町に住んでいるからといって東郷高校に進学することを強要する親はほとんどいなくなり、レベルは落ち、偏差値は50程度の普通の高校になった。さらに、制服が某総書記に似たダサいデザインであるせいで、定員割れが相次ぎ、遂には募集定員も減らすことになった。地元民からも「あそこには行きたくない」と言われるほどであったが、制服がブレザーになったことで評価が高まりつつある。しかし、偏差値は変わらない。偏差値があまり高くないうえ、交通の便が悪く、入りたいと思うような魅力はあまりないからだと思われる。とはいえ、悪い所があるわけでなく、普通の高校である。だが魅力はない。


東郷高校でおこなわれた管理教育の非人間性に、愛知県教育委員会が気づいて是正したから変わったわけではないのです。単に昭和時代の教育委員会御用達のバイオレント野獣教師たちに定年が来て学園を去ったからということ。唯々諾々。今でもろくさまよく考えてない指導が愛知県の公教育ではおこなわれていると想像します。旭丘高校とか岡崎高校とかのトップ進学校の進学実績が良ければそれでよしという問題ではない。「こころの教育」を意識しなければ、時代が変わればまたぞろ恐怖教育が容易に復活するでしょう。現に東郷式管理教育に洗脳されている連中は、井俣町長以外にも役場や町内にまだまだ沢山残っていると思います。今回の東郷町長の問題は、愛知県教育委員会も大いに反省すべきです。教育は決しておろそかにすることができない次世代への大切な遺産です。


 ただ地方の自治体に入職する学生の実態を考えると、その精神改造は相当難しいとも思います。教育委員会に関わるような公務員で高い志をもち、かつそれを実行できる人材なんて、そんなにいるのかね?です。この問題は愛知県に限ったことでなく、年々人口減が加速する地方に共通するでしょう。貧困な教育精神は昭和時代の昔から令和の現在まで途切れることなく続いていると感じます。

東郷町長辞職 〜東郷式管理教育のなれの果て(1)

東郷町長辞職 〜東郷式管理教育のなれの果て(1)
東郷町長辞職 〜東郷式管理教育のなれの果て(2)
東郷町長辞職 〜内藤朝雄氏の記載を読んで


読売新聞と朝日新聞の記事から引用します。

育休1年取ったら殺すぞ」愛知・東郷町長、町議会全員協議会で辞職意向表明…ハラスメント行為指摘受け 


愛知県東郷町の井俣憲治町長(57)が複数の職員に対するハラスメント行為を町の第三者委員会に指摘され、25日午前の町議会全員協議会で辞職の意向を表明した。「バカ」「死ね」などの発言を自身も認めている。5月2日付で辞職する見通し。

井俣憲治・愛知県東郷町長


 第三者委が今月22日に町へ提出した報告書では、井俣氏は町長に就任した2018年5月以降、職員に「バカ」「死ね」「お前らの脳みそはハトの脳みそより小さい」など暴言を浴びせたり、女性職員が着ぐるみに入っていることを知りながら抱きついたりした。「育休を1年取ったら殺すぞ」など、マタニティーハラスメントに該当する発言もあったとした。

 井俣氏は現在2期目。

一体どういう育ちの町長なのか。僕がすぐに連想したのは東郷高校です。「まさかあの高校の卒業じゃないだろうな?しかし東郷町の町長だからあり得るな。」でした。井俣憲治町長の経歴をみます。

愛知県愛知郡東郷村で生まれ[1]、東郷町立音貝小学校、東郷町立東郷中学校、愛知県立東郷高等学校、1989年(平成元年)3月に愛知大学法経学部、をそれぞれ卒業し、新日本証券、消費者金融の日栄などで勤務[2]する。

ああ、やっぱり!昭和時代恐ろしい「管理教育」で全国にその名がとどろき渡った愛知県立の東郷高校ですアンサイクロペディアというwikipediaのパロディ版の「東郷高校」には早速こんな記載がありました。

出身者

俳優の佐藤二朗が以前まではもっとも有名な卒業生であったが、東郷町長である井俣憲治がパワハラによって全国放送されて有名になった。東郷町では、井俣憲治のパワハラは東郷高校での管理教育の後遺症によるものだとする説が有力である。

やはり、僕とまったく同じことを考えている人は結構居そうです
東郷高校の歴史でwikiなどからの引用です。(註 最初の記載に誤りがあり、下記は訂正しました)

1968年(昭和43年)2月 - (仮称)愛知県立東郷高等学校の新設を発表[。

1968年度愛知県立旭丘高等学校東郷分校の生徒募集を停止

3月20日 - 愛知県立東郷高等学校を設置。

4月 - 愛知県立明和高等学校を仮校舎として開校。

1969年(昭和44年)4月10日 - 愛知郡東郷村大字春木に管理棟が完成し、仮校舎より移転[8]。

1970年(昭和45年)3月 - 愛知県立旭丘高等学校東郷分校閉校

上記に出てくる県立旭丘高等学校東郷分校ですが、まず1948年に学制改革で愛知県立一高(現旭丘高校)ができ、翌年の1949年にできた昼間定時制の学校として始まりました(東郷村大字諸輪字北山、現町立東郷小学校がある場所)。旧制中学が新制高校に変わった時定時制(昼間部、夜間部)が併設された歴史は知っていますが、東郷町は旭丘高校がある名古屋市中心部からかなり遠くです。なぜこんな遠くに昼間定時制だけの分校?この分校は一貫して定時制でしたが(4年制)、1963年全日制に変更されています(3年制)。ところが、東郷高校はこの旭丘高校東郷分校とはまったく独立に、1968年名古屋市中心部にある県立明和高校内に開校しています(旭丘高校でないことに注目)。その翌年の1969年に東郷町に移りますが、旭丘高校東郷分校とは別場所(東郷村大字春木)に校舎が建設されて移りました。旭丘高校東郷分校は1968年に募集停止しており、最後の卒業生が出た1970年に閉校しました。


 時期的にみて旭丘高校東郷分校の代替として東郷高校ができたように見えますが、継承はまったくおこなわれていません。というより、意図的に連続性が完全に遮断されたと思えます。東郷高校や旭丘高校のサイトにこの辺の経緯がまったく記されてないので、なぜこうなったのかよくわかりません。長々書きましたが、東郷高校は当時としてはド田舎につくられた新設校であるものの、色々な意味で既設校の旭丘高校を意識していたことは間違いないでしょう。この学校の異常な管理教育は、当時の第一次ベビーブーマーで競争が激化した大学受験と密接な関連があると、私は感じます。

サクラマス 〜また季節がやってきた

去年も紹介した「サクラマス」ですが、今年は通販だけでなく近所の魚屋さんでも結構多く並ぶようです。「本ます」と書かれていますが、「サクラマス」のことです。余計なことながら「サクラマスといって売った方がもっと売れると思いますよ」と申しましたが、「市場で購入した時の名称で売らないといけない」のだそうです。しかし、あまりぱっとしない名前のおかげで、こちらが安く買えるのはありがたい事ですが。身の色はきれいな橙色で、目立ちます。


 鮮度が良ければ刺身でもすごく美味しいはずですが、一度凍らせる手間が必要です。以前述べた通り、条虫の一種広節裂頭条虫の感染を防ぐためですが、ちょっとめんどくさい。私は軽く塩をしてしばらく置き、そのまま塩焼きでいただくのが一番好きです。通販は青森県ですが、こちらは北海道産です。そのせいか一段と脂がのっていて、とろけるような美味しさ。特に皮が柔らかくむっちりとしていて、秋鮭のやや硬い皮と違ってそのしっとり感がとてもよいです。みなさまもお近くで見掛けたら是非試してみてください。5月前半くらいまでは買えるチャンスがあると思います。