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「人を殺してみたかった」 〜改めて考えたアスペルガー症候群


東海中学受験生の刺殺事件 〜なんと父親はASDだったのか!


少年が犯す殺人でアスペルガー症候群との関連性が議論となった事件の嚆矢が、これだったでしょうか。「人を殺してみたかった」という事件後この少年が発したとされる言葉はマスコミを通じて広く喧伝されました。2000年5月1日愛知県豊川市で起こったこの事件の概要を、wikiから引用します。

豊川市主婦殺人事件


 豊川市の住宅で、妻が血だらけで倒れているのを帰宅した夫が発見して通報。妻は金槌で殴打されたうえ、包丁で首などを刺され死亡した。その直前に少年が家から飛び出したのを夫が目撃し、格闘したが首などを刺されて軽傷を負った。少年は近くの高校の制服であるブレザーを着ていた。逮捕後の供述によると、その日たまたま家の前を通りかかり、玄関が少し空いていたのと表札から年寄りと思い、家の中に侵入した。事件を起こしたあと、最寄り駅まで逃走し、公衆トイレで一夜を過ごしたあと、「寒くて疲れた」ため交番に自首した。

本書は藤井誠二というノンフィクション作家が、事件翌年の2001年12月に刊行しました。藤井氏は進学校として有名な愛知の東海高校を卒業していますが、大学には進学せずに作家としての歩みを始めています。藤井誠二氏の経歴をwikiから引用します。

東海高校卒業。高校在学中から管理教育告発などさまざまな社会運動にかかわる。岩波書店『世界』に寄稿した記事をベースに、高校卒業時に管理教育批判の単行本を発表。以後、本格的にノンフィクションライターとして活動を始める。教育問題、少年による犯罪を中心に幅広く著作活動をしており、著書は単著・共著合わせて50冊以上に及ぶ。

私がなぜ最近この本を読んだかというと、東郷町の井俣憲治町長のハラスメント事件で愛知県公立高校の「管理教育」からこの事件を思い出したからです。この豊川市主婦殺人事件もこの教育指導と関係があったのかな?と思って、取り寄せて読んでみました。結論を申すと、まったく関係なかったです。再び「豊川市主婦殺人事件」のwiki記載続きを引用します。

事件現場近くの高校に通う当時17歳の3年生。学校では、明るく活発で成績優秀と評判のいい生徒だった。1歳半のときに両親が離婚したため、中学教師の父親と、父方の祖父母と4人暮らし。祖父も元教師で、祖母を「おかあさん」と呼んで育った。かねてから人の死に興味があり、不老不死の薬の開発も考えたが断念、代わりに殺人に興味を持った。成績に偏りがあり、第1志望の高校に入れず、強い挫折感と大学入試への不安を感じていた。事件数日前に、それまで打ち込んでいたテニス部を退部していた[3]。


犯人は、動機として「殺人の体験をしてみたかった(人を殺してみたかった)。」「未来のある人は避けたかったので老女を狙った」と供述していた[1]が、学校内ではソフトテニス部に所属し、後輩からの信頼も厚く、しかも極めて成績優秀であると見られていたため、その評判と犯罪行為との乖離が疑問とされた。そのため精神鑑定がなされ、1回目の鑑定では「分裂病質人格障害か分裂気質者」と出されたが、2回目の鑑定では「犯行時はアスペルガー症候群が原因の心神耗弱状態であった」という結果が出され、2回目の鑑定を認定し、2000年12月26日に名古屋家庭裁判所は医療少年院送付の保護処分が決定した。2回目の鑑定医師団には児童精神医学の専門医が鑑定団の一人として加わっていた。


アスペルガー症候群は先天性の発達障害であり、知能と言語能力に問題のない自閉症の一種である。対人関係の構築に困難があるため、二次的な障害として社会生活に対する不適応がみられることがある。この事件は、文部省(当時)に広い範囲における高機能自閉症児に対する早期の教育支援が必要であることを認識させ、後に特別支援教育として制度化されることになった。

本書の前半では事件発生の概要を、「ナオヒデ」と仮名で書かれたこの高校生が殺人を犯した当日の行動をなぞる型で筆者が推測した心象風景を描いています。後半では、警察での少年の自供や裁判記録、筆者が調べた家族歴などのまとめから、裁判での精神鑑定で採用された病名「アスペルガー症候群」の特徴と犯罪との関連性を述べています。


前半に関して言うと、あくまでも筆者の推測に過ぎないので何とも言えない。少年が自宅から鎌を持ちだし、登校前に他の荷物とともに竹藪に隠したという記載を読んで思い出しました。この鎌は竹藪の所有者が見つけて家族が購入したものと勘違いして移動させたため実際には使われませんでしたが、「両手で使う鎌」と書かれています。両手で使う?ちょっとイメージできなかったですが、本書の裏表紙にそれが出ていました。

いや、これは怖いよ。こんなものを自宅から持ち出し、電車で運んだのか。ホラー映画の影響なのかもしれないが、気まぐれで殺すことをふと考えたといった程度じゃないことがわかります。


 後半で筆者が強調するのは、「アスペルガー症候群と殺人に強い相関性はない」ことです。この事件がアスペルガー症候群の患者に対する偏見を助長するのでないかと、関係する団体や個人から強い危惧がなされたことが大きいのでしょう。私は専門家でないですが、アスペルガー症候群は殺人のような重大事件の原因としては筆者が言うようにさほど大きくないと感じます。ですから筆者の主張はわかるのですが、重大な事件がないからといってアスペルガー症候群患者の周囲に摩擦がないというわけでもないと思います。


 一言で「アスペルガー症候群」といっても、そう診断される患者でも病態は千差万別と感じます。しかししろうとなりに幾つか感じる共通点があります。一つ目は本書でも述べられている「こだわりの強さ」です。私だってこだわりはありますが、アスペルガー患者の場合その拘りが否定ないし無視されたと感じると尋常でない怒りを示します。二つ目は「人間関係の希薄さ」です。本書でもアスペルガー患者の「孤立」が述べられていますが、それが周囲の無理解で生まれる「二次症状」のように捉えられています。これは違うのでないか?自験例でみる限り、アスペルガー患者は最初から他人との深い関わりを避ける傾向が強く、結果として「孤立する」と感じています。孤立はアスペルガーの一次症状そのものでないか?三つ目は「悪意のなさ」です。悪意というか企みといいますか、何か他人の感情を揺さぶるために予め計算することはなく、純粋に本人がしたいこと言いたいことが発露される感じです。ですから本事件の後でも、少年は「(遺族に)謝罪文をどう書けばいいのかわからない」と言って泣き、医療少年院への入所に際しても「収容生活でも自分が流されないよう頑張り、出所したら(お務めを果たしたことになるので)、自分に恥じることはないと思って生きて行きたい」と述べたと書かれています。そういう少年だからこそ、通常の少年院でなく医療少年院に送られたわけですが、果たして治療の効果はあったのでしょうか?私はきわめて悲観的です。1997年に起こった「神戸連続児童殺傷事件」の犯人の出所後の言動を考えても、矯正はまず不可能でないか。


 そのような重大事件を起こさないアスペルガー症候群の患者がほとんどですが、職場などでは常に周囲が注意を払って「怒りの暴発」を防いでいることが多いと思います。言っても本人の特性が変わることはない、ただ周囲の気遣いを徐々にでもいいから理解してもらい、本心からでなくていいから表面的にだけでも摩擦を少なくしてくれればそれで十分だでないでしょうか。「こだわりの地雷」が何処に転がっているか、他人にはなかなかわかりません。「何とか踏まずに済ませたい」、そういう緊張感を常にはらんでいると思います。しかし、もしも本人の「こだわり」が「人を殺すこと」だったら、もうどうしようもない。本書では本人の生育歴を丹念に述べていますが、離婚による母親との別離やその後のしつけは少年が持つ「殺人の衝動」とはまったく関係ないと考えます。アスペルガーは「持って生まれた性格の一種」ですから。


 この事件から20年以上経った今、この少年はとっくに出所しているはずです。現在の職場では過去について知られてないと想像しますが、本人の特性は一生続きます。出所後の保護観察官や保護司の観察期間はどれくらいでしょうか。かなり古い資料ですが、昭和53年の法務省の記載にはこう書かれています。

保護観察期間は,概して,保護観察処分少年及び保護観察付執行猶予者では長いが,その他の種別では,短い者が極めて多い。特に仮出獄者の場合は,6月以内の者の占める率が83.7%を占め,しかも,前掲II-62表で示したように,極端に短い者が圧倒的に多い。この保護観察期間の短い者の中には,再犯傾向が強く,性格・環境面に問題のある者が多く,これらの者については,十分に処遇の効果を挙げ得ないまま保護観察を打ち切らなければならない現状にある。

おそらく現状は今も同じでしょう。



「人を殺してみたかった」藤井誠二著 双葉社 2001年12月5日