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2016年8月、自宅で父親の佐竹憲吾によって庖丁で刺殺された当時小学6年生だった佐竹崚太(りょうた)君の事件は、いたましい話でした。確かに子どもが「自分が思っているように」勉強できてないと苛立つ親は少なくないと思います。しかし、だからといって死なせてしまうとは!

名古屋市北区で21日、小学6年の佐竹崚太(りょうた)さん(12)が父親に胸を刺されて殺害された事件で、殺人未遂容疑で逮捕された父親の会社員、佐竹憲吾容疑者(48)が、「受験勉強をしなかったから刺した」という趣旨の供述をしていることが捜査関係者への取材で分かった。愛知県警は中学受験を巡って不満を募らせたことが事件の動機になった可能性もあるとみて、調べている。県警北署は23日、佐竹容疑者を殺人容疑に切り替えて送検した。同署によると、佐竹容疑者は21日午前10時ごろ、同区上飯田北町2の自宅マンションで崚太さんの胸を包丁で1回刺したとされる。その後、近くの病院に自ら搬送したが崚太さんは間もなく死亡が確認された。司法解剖の結果、死因は刺されたことによる失血死だった。佐竹容疑者は逮捕直後、「誤って刺した」と供述していた。しかし、その後の調べで、崚太さんを私立の有名中学に進学させようとしたが、受験勉強の姿勢で不満があって刺したと説明するようになったという。崚太さんは、佐竹容疑者と、母親の3人暮らし。事件当時、母親は外出中だった。【山衛守剛】

もう無惨としか言えない事件でしたが、父親の佐竹憲吾の異常さが際立つ事件でした。ここでいう「私立の有名中学」とは東海中学です。中高一貫校で、東海高校は中京地区屈指の進学校です。なかんずく、医学部進学者が全国最多であることは有名です。


 この事件の裁判公判で、おおたとしまさ氏が以前書いた文章で文春オンラインに掲載された記事を引用します。佐竹被告の妻Mさんの陳述です。

佐竹被告は子煩悩な父親だった。しかし崚太君が中学受験塾に通い始めた小学4年生くらいから、崚太君に暴言を浴びせ、暴力を振るい、崚太君が大事にしていたゲーム機を壊すなどするようになる。勉強させるためだった。

妻のMさんが止めに入ると、「中学受験をしたこともねえヤツがガタガタ言うんじゃねえ」とキレた。Mさんは「大声を聞いた誰かが通報してくれないかと思って、わざと家の窓を少し開けていた」とも証言している。夫婦の会話はほとんどなくなり、食事も洗濯も別々に行うようになっていた。


 あるとき手元にあったカッターナイフを持ちだしたところ、崚太君が怯えて勉強し始めたことに味をしめた。それがあるときからペティナイフになり、包丁になった。犯行に使われた包丁は、普段台所で使用していた包丁ではない。崚太君を脅す目的で購入した包丁だ。


中学入試本番が迫るとともに、佐竹被告は焦り、崚太君への態度はエスカレートしていった。2016年8月13日(犯行8日前)、崚太君の額近くの頭髪が丸くごっそりなくなっているのをMさんが見つけた。最初は「ぶつけただけ」と説明していた崚太君だったが、Mさんが問いただすと佐竹被告にやられたと打ち明けた。


 Mさんは「ママとおうちを出よう」と提案するが、崚太君は「パパとママといっしょがいいから嫌だ」と言う。Mさんが食い下がると、崚太君は「8月いっぱいまで答えを待って」と言った。なぜ8月いっぱいなのか。あるいは夏休みの成果を試すテストで自分がいい成績を取ればすべてが丸く収まると考えていたのかもしれないと私は想像する。

 ここでもし逃げ出して警察に訴えていたら、最悪の展開は避けられたかもしれません。お父さん思いの崚太君のためらいが、可哀想で仕方ありません。


 佐竹被告の実家は祖父の代から薬局を営み、被告人本人も被告人の父親も被告人の弟もみんな同じ東海中学高校の出身だそうです。以下は同じく文春オンラインに出ていたおおたとしまさ氏の記事引用です。太字は私が重要と思ったところです。

2019年6月24日、被告人の父親T氏(被害者の祖父)が、弁護側の証人として証言台に立った。以下はそのやりとりの一部抜粋。


弁護人:孫である崚太君はどんな存在でしたか?

T:家の跡継ぎですから、大事な孫でした。

弁護人:証人も被告人と同じ中学・高校を卒業していますね。

T:親の言うとおりに受験して、進学しました。

弁護人:証人の父親はどんなひとでしたか?

T:しつけの厳しいひとでした。親を敬えとか、勉強中叩かれたり、同じような間違いをくり返したときには竹のモノサシで手を叩かれたり。窮屈で自由のない子ども時代でした。

弁護人:勉強は楽しかったのですか?

T:受験勉強は楽しくありませんでした。親の言うとおりにやっていただけです。高校生になっても窮屈でした。勉強部屋から出られないように、外から閉じ込められたこともあります。

弁護人:薬剤師になったのは自分の意志ですか?

T:薬剤師にはなりたくありませんでした。本当はサラリーマンになりたかった。でも、祖母に頼まれて、薬剤師になりました。

弁護人:2人のお子さんにはどういう職業を望まれましたか?

T:長男の憲吾は薬剤師、次男には医者になってもらおうと望みました。小さいころからそれとなく伝えていました。子どもの付きたい職業にならせてあげたいと思ったことはありません。

弁護人:証人は被告人に対してどのように接していましたか?

T:私がされたのと同じように、非常に窮屈な思いをさせたと思います。我慢強い子でした。

弁護人:被告人に中学受験勉強をさせようと思ったきっかけは?

T:薬剤師にしたいという願望から、無理やりやらせました。

弁護人:被告人の中学受験勉強を見てあげたのですか?

T:薬局の仕事の合間の空いた時間に参考書を予習して、学校から帰ってきた憲吾に教えました。

弁護人:被告人は勉強を楽しんでいましたか?

T:いいえ。仕方なく、一生懸命やっていました。

弁護人:被告人を叩いたり、怒鳴ったりしたことはありましたか?

T:ありました。態度が悪いときや、つまらないミスをしたときに、腹が立って。

弁護人:被告人が志望校に合格したときはどんな様子でしたか?

T:たぶんうれしかったと思います。野球部に入って野球をやれることを喜んでいました。

弁護人:被告人は野球部に入ったのですね。

T:はい。でも、中1の1学期の中間試験でひどい成績をとってきたのでやめさせました。

弁護人:被告人はそのときどんな様子でしたか?

T:我慢して従ってくれました。悔しそうでした。

弁護人:被告人は大学に進学しましたか?

T:大学へは進学していません。

弁護人:それでは薬剤師になれませんよね。

T:中学校を卒業するころに、一生懸命諦めました


 本人の意志を無視して何でもやらせてきたT氏が、ここで被告人を薬剤師にする希望を諦めたというのが意外に思えたが、次男に期待をかけたのではないかと私は想像する。逆にいえば、被告人はこのとき父親から見放された。

「中学受験生の親はそれほど必死になるものだから……」


 高校生になると父親とはほとんど目も合わせなくなり、いっしょに食卓を囲むこともなくなった。それでも被告人が自由になることはなかった。「帰る時間を制限して怒ったり、子ども部屋のドアを外して好き勝手ができないようにした」とT氏。


 T氏は、補聴器を使用しており、ときどき質問を聞き返すことがあるが、弁護人からの質問には間髪を入れず答えていた。弁護人が「一呼吸置いてから答えてください」と諭す一幕も。頭の回転が非常に速いことがうかがえる。見た目にも、品のある老紳士である。


弁護人:被告人は大学に行かず、どうしたのですか?

T:働くといって家を出て、一人暮らしを始めました。

弁護人:新居の敷金礼金や家賃などはどうしたのですか?

T:私が経済的に補助しました。

弁護人:被告人はどんな仕事をしていたのですか?

T:飲食店や運送会社で働きましたが、長続きはしていませんでした。

弁護人:被告人は結婚してから、事件の起きたマンションを購入していますよね。資金はどうしたのですか?

T:私の父のお金や私の祖母からもらっていたお金を使いました。

弁護人:被告人にとって崚太君はどんな存在でしたか?

T:かわいくてかわいくて、大事に大事に、しっかり育ててやろうと思っていました。(※このとき、いつもは表情を変えない被告人が、眼鏡を外し涙を拭ったように私には見えた。)

弁護人:被告人は崚太君にどんなしつけをしていましたか?

T:一般に出て恥をかかないようなしつけをしていました。厳しく育てたと思います。

弁護人:被告人の収入で、私立中学の学費や中学受験塾の費用を負担できたのですか?

T:私立中学の学費を払うことはできなかったと思います。塾の費用は私が払うと、私から提案しました。

弁護人:被告人の崚太君に対する態度について、被告人の妻のMさんから相談を受けたことはありますか?

T:事件の一年半くらい前から5~6回ありました。

弁護人:それでどうしましたか?

T:憲吾には荒い言葉はできるだけ使うなと言いました。Mさんには叱られた崚太をケアしてあげてほしいと言いました。

弁護人:被告人の崚太君に対する態度をどう思っていましたか?

T:憲吾は、宝物の崚太のために必死だったと思います。

弁護人:被告人が持っていた包丁で崚太君が亡くなってしまいました。やり過ぎだったとは思いませんか?

T:中学受験生の親はそれほど必死になるものだから、やむを得ないと思います。

弁護人:被告人の社会復帰後どうサポートするつもりですか?

T:私も憲吾も猟奇的なところがある。精神科医の先生にお世話になってしっかり治癒してほしいと思います。(このとき、Mさんがむせび泣く声が法廷に響いた。)

愕然となる陳述です。中学受験は必死になるものだから、親が庖丁で子どもの胸を突き刺してもやむを得ないことなの??どう考えてもこの父子(憲吾とその父親)は普通でないと感じたのは憶えています。しかし、その異常性の根源が私にはよくわかりませんでした。裁判も「異常に独善的な父親」に対して懲役13年の実刑判決を下して終わりました。「教育虐待」などと書き立てられていましたが、真相がよくわからないなという思いがあれからずっとありました。
 しかし!本日FRIDAYデジタルにこんな記事が出ていました。

加害者である佐竹憲吾は、薬局の息子として生まれた。薬剤師だった父親は、長男の憲吾を薬剤師にして店を継がせ、次男を医者にさせようとしていた。そのため、父親は子供たちにスパルタ教育をしていたそうだ。


憲吾は英才教育によって愛知県の名門・東海中学へ進学した。ただ、後にASD(自閉スペクトラム症)と診断されるように、彼は当時から様々な生きづらさを抱えており、同級生と適切な関係が築けず、途中から勉強に熱が入らなくなった。そして高校卒業後は大学へ進学せず、トラック運転手になった。


父親は期待を裏切った憲吾を「負け組」と罵ったが、成人になっても金銭的支援を惜しまないなど甘やかす一面もあった。憲吾はその金でマンションを購入して結婚。生まれたのが、後の事件の被害者となる崚太だった。


憲吾は峻太がまだ小さな頃から厳しく接しており、小学4年になると、自分と同じ東海中学へ入れるために受験勉強を本格的にスタートさせる。そして自ら指導を買って出て、崚太に勉強を教えた。


親子での勉強は毎日行われており、憲吾の指導は暴力を伴う厳しいものだった。自分が教えた通りにできなければ激昂し、物を投げる、殴りつける、蹴りつけるは当たり前、時には刃物を振り回すこともあった。これらはすべてかつて自分が父親からやられていたことだった。

  そういうことだったのか!父親の佐竹憲吾はASDだったのか!そしてそれは遺伝して曾祖父・祖父・父と連綿と続いたと思われる負の連鎖。まったく
結婚の息子が絶縁要求「毒親」と 〜発達障害の子供とどう向き合うか?
と同じ展開を感じます。親は子どもを愛してなかったわけでない。寧ろ子どもを愛しているがために何とかしたいという思いが痛切にあるのです。しかし佐竹憲吾の場合は、とてつもない悲惨な結果を生みました。母親のMさんの言葉に現れる救えなかった我が子を悔やむ気持ちが胸を打ちます。

「パパに憧れて、褒められたくて、認められたかった」


 2019年7月11日の法廷では、被告人の妻Mさんは以下のように述べた。

<崚太と被告しかいないところで命を奪われた。被告は話せない。だから何もわからない。

私には被告が崚太を怒鳴りつけ、押さえつけ、突き刺した瞬間が浮かんでなりません。

 できるなら被告にも崚太と同じ思いをしてほしい。でもいちばんは、崚太が帰ってきてほしい。8月21日から止まったままです。

 被告は、崚太が自分から受験すると言い出したかのように話しますが、パパからの話を聞いて、パパに憧れて、パパに褒められたくて、パパに認められたかったからのはず。被告は「やめさせたかったが、崚太が続けたがった」と言いますが、勉強をやめたいと言えないような空気だったからではないでしょうか。ドライブレコーダーの声を聞けばわかります。

 事件のあと、刃物でえぐられた机、傷ついたノート、プリント、教科書を見ました。ホワイトボードには戦国武将の名前と、崚太の文字で「お願いですからT中学校に合格させてください」と書いてありました。つらくてやりきれない。

 崚太は「どうしてパパは僕を傷つけたの?包丁を突きつけたの?」と何度も思ったのではないでしょうか。自分を守ってくれるはずのパパに命を奪われた崚太はどれだけつらかったか。私はやりきれません。

 髪が抜けていると気づいた夜、どうして強く家から出ようとしなかったのか。8月末まで出ようとしなかったのか、悔やんでも悔やみきれない。このとき、刃物で脅しているなど、気づいていれば、崚太を引っ張ってでもあの家を出ていた。逃げ出せばよかったといまでも思います。

 精神科医の先生の話で、被告は記憶に蓋をせねばならぬほど、崚太を殺してしまったことによるショックを受けたとわかりました。いまも後悔しているという被告の言葉は本当だと思います。崚太が死ぬのを望んでいなかったというのも本当だと思います。でも、包丁を崚太の体に突きつけ、崚太の心臓に達し、崚太のいのちを奪ったことに変わりはありません。

 あなたは崚太の気持ちがわからなかったかもしれないけれど、崚太は間違いなくあなたの心に寄り添ったことを忘れないでください。


読売新聞の「人生相談」を担当した藤原智美にもこれを読んでもらい、心の底から猛省することを願ってやみません。