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岡武史さん 〜読売「時代の証言者」から

そろそろ終盤に近づいていますが、今読売新聞の「時代の証言者」の連載で岡武史さんが自分の生涯を語っています。その生き方が日本人として型破りですごくおもしろいのと、日本の科学研究を考える上でいろいろ考えさせてくれるので、最近は朝真っ先にここから新聞紙面に目を通しています。


 岡さんは分光学が専門で、特にH3プラスというあまり聞き慣れない分子の吸収スペクトル解析を中心にしています。まずお育ちですが、東京市本郷区(今の東京都文京区)生まれで、生後しばらくして中国の旅順に引っ越しています。お父さんの岡俊平が東京帝国大学の助教授から満州国に新しくできた旅順工科大学の教授に赴任したからです。その後戦中まで旅順で過ごしましたが、鉱物採集とともに釣りに拘りがあったことを述べています。後年の吸収スペクトル解析でものとする波長を見つけることに、この釣りの思い出が重なるようです。1945年日本の敗戦にともなって大連に移動し、そこで1949年まで一種の抑留で過ごします。戦後の中国発展に日本の研究者たちが協力させられた結果ですが、岡さんはこの時が勉強の上で一番良かったと言っています。学校という狭い環境に閉じ込められず自由に勉強できたからだそうですが、これって岡さんだからこそ出来たのだと思います。独学で数学を伸ばせたようですが、普通の生徒ではできないことです。はっきり言って岡さんには理数系に関してものすごく才能があったのでしょう。


 1949年に帰国して神奈川の県立湘南高校に編入します。岡さんは理数系にすごく長けていますが、国語とか社会のような文系科目は得意でなかったようです。こういうのも勉強しなくてはならなかったことが、大戦中の旧制旅順中学での軍事教練と同じくらい苦痛だったようで、だから「学校教育は必ずしもためにならない」という主張になるのでしょう。折角東大に合格したというのに、湘南高校での社会の試験が不合格で、あやうく東大合格が反古になりそうでした。しかし、東大でも理学部化学科に進んでからの教授達の講義のつまらなさに呆れています。


 しかし、森野米三教授の研究室に入り、やがて霜田光一教授の研究室にも出入りするようになって人生が良い方向に急転します。霜田先生は慶應義塾大学の工学部に理学関係の学科が新設されて理工学部になる時、慶應に来られました。レーザー光学が専門だと聞きましたが、すごい教授が来てくれたと当時も評判でした。岡さんの回想でも霜田先生が一級の研究者だったことがよくわかります。


 その後岡さんは研究論文業績が評価されて、カナダの国立研究機構(NRC)に移ります。当時すでに東大助手で、結婚して家族もありましたが、単身で赴任しています。当初は留学程度のつもりだったのでないかと思いますが、やがて研究が認められて専任研究員となり、帰国しないことを決めています。今もそうですが、日本の科学研究界でこれだけ巨大な基礎科学を展開していくのは、至難です。岡さんはカナダそしてその後アメリカで研究を続けてきたからこそ、このような宇宙解明にも結びつく壮大な研究をできたと思います。


 あと岡さんが実験装置を手作りで作成し、研究を進めていたことにも感銘を覚えます。我々のような分子生物学中心の研究だと、どんどんキット化が進んでいます。当初は手作りだった実験も、企業が開発した試薬や酵素をセットにしたパッケージキットの方が再現性よく実験できるからです。また遺伝子を中心にパテント化が進み、企業から購入しないと実験を始めることすらできない状態となりました。その点岡さんの研究は世界的にも数少ない研究者しかいない世界ですから、良くも悪くも企業化できないということもあります。ですが、研究に関して大切な心構えを教えてもらった気がします。


 残り数回となりましたが、最後にどのような提言をされるのか楽しみにしています。