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映像の世紀「ベトナム戦争 マクナマラの誤謬」〜誤謬だったのか?

久しぶりの懐かしい名前です。ロバート・マクナマラ。小学生時代テレビニュースで「マクナマラ国防長官」の名前はしょっちゅう聞きましたが、その後まったく忘れていました。考えてみるとかなり変わった名前です。McNamaraですから、ケルト語で「Namaraの息子」となりますが、Arthurの息子=McArthurやDonaldの息子=McDonaldほどには聞かない名前です。今調べてみるとアイルランドのマンスターのケルト部族酋長から来たようですので、マクナマラ家も19世紀のアイルランド移民急増の時代にアメリカに渡ったのでないでしょうか。ロバートは平凡な家庭に生まれたようですが、UCバークレーからハーバード法科大学院に進んでおり、優秀であったことは間違いないです。


 正直言って1960年代のベトナム戦争当時、マクナマラ国防長官には小学生ながらあまり良いイメージはありませんでした。今回の放映で、第二次世界大戦末期の日本攻撃に使われたB29は、彼の進言を取り入れて大量生産されたことを知りました。B29がおこなえる高度1万メートルからの爆弾投下では、高射砲が対応出来ないことを見越してのことです。しかし番組内でははっきり言ってなかったと思いますが、高高度からの爆弾投下は人口密集地域では無差別爆撃になるため、マクナマラ自身は日本空襲に使うことは反対だったようです。


 陸軍退役後は自動車のフォード社に入社して、功績をあげていきます。1960年にはフォード家出身以外で初めてフォード社社長になりますが、翌年早々アメリカ大統領に就任したジョン・F・ケネディの要請を受けて国防長官に就任します。これはケネディだけでなくマクナマラにとってもキャリアパスとして成功するかどうか、大きな賭だったと思います。あとで述べますが、核兵器整備についてケネディとマクナマラは最初から意見対立があったようですが、キューバ危機やベルリン封鎖などを何とか乗り越えていきます。


 しかしベトナム戦争では結局失敗しました。body countという言葉は初めて知りましたが、要するにベトナム敵兵の死者数がアメリカ兵士の死者数を常に上回っていればいずれ戦争に勝利するという発想です。そのために殺したベトナム兵士の数を逐次報告するように、マクナマラは派兵したアメリカ軍に指令しました。死者数が10:1になることが勝利の目算だったようです。しかし1963年のケネディ暗殺後にリンドン・ジョンソンが大統領となっても、ベトナム戦争の状況は一向に好転しません。南ベトナム政府の脆弱化で寧ろ悪くなったと言っていいでしょう。ジョンソンは北ベトナム空襲を繰り返し強硬発言を繰り返す中、マクナマラはアメリカ軍の撤退を進言していたようです。しかしジョンソンは受け入れず、北爆を繰り返します。1968年マクナマラは突如国防長官を辞任しますが、放映されたその時の記者会見は奇妙なものでした。辞任の理由を記者に問われて、「その話はまた別な機会にしよう」と言ってはぐらかします。隣に居たジョンソンとの軋轢は相当なものだったのでしょう。


 放映では詳しく述べられていませんでしたが、このbody count戦略はソンミ村虐殺事件などの民間人大量殺傷につながったことは想像に難くありません。兵士だろうが民間人だろうが、「死体は死体」なのです。ソンミ村事件は当時小学3年生だった自分もはっきり憶えています。しかしこれだけの大量殺傷にも関わらず、北ベトナムは果敢に抵抗し、ついに1975年対アメリカ戦争に勝利しました。マクナマラの誤算は、科学的な計算に基づく戦争作戦に、人間が持つ情念を入れてなかったことと結論されています。アメリカの残虐な行為はベトナム人の自尊心を激しく煽り、戦意喪失とは逆の方向に向かわせたのです。第二次大戦後、戦犯として絞首刑になった日本陸軍大将・山下奉文(ともゆき)は辞世にあたって、「戦争敗因はサイエンスのなさ」と述べたと言われます。しかしサイエンスだけですべての勝負が決まるわけでもないと言えます。


 僕はこれを視た時、「もし第二次大戦末期、日本がアメリカに降伏しなかったらどうなっただろう」と思いました。当時天皇御前会議で阿南惟幾などは徹底抗戦を唱えており、もし彼らが主導権を取ったら、沖縄だけでなく日本全土が戦場化したでしょう。このifはSF小説家の小松左京が「地には平和を」で小説化していますが、あり得ないことではなかったと思います。そうしたら日本はベトナムみたいにアメリカ軍に勝利したか?いやいや、それはないと思います。その最大の理由が「核兵器」です。広島・長崎と複数の都市に投下された原爆は、「戦争を続けるなら、今後も投下するぞ」というアメリカの意思表示です。もし日本が戦争続行したら、広島・長崎だけでなく東京も京都も大阪も名古屋も消滅し、当然私は生まれてこなかったでしょうね。


 マクナマラの行動を見ていると、核兵器は常に頭の中にあったとみえます。これについては番組でまったく触れられていませんでしたが、キューバ危機ではアメリカ本土の核攻撃が現実化しました。しかしマクナマラは強硬派を説得し、核戦争をかろうじて回避しています。第二次大戦中と異なり、1949年にはソ連が、1966年には中国が核兵器開発に成功しています。マクナマラには核兵器の応酬が続けば世界が破滅するという認識はあったのでしょう。1951年の朝鮮戦争ではマッカーサーが中国東北部への原爆投下を主張して、トルーマン大統領に解任されたのとは対照的です。確かにベトナム戦争でのbody countは間違っていました。しかし原爆をベトナム戦争で使うことをしなかった点には彼なりの計算があり、間違った選択でなかったと思います。


 今ロシアが侵攻するウクライナでもしも原爆や水爆が使われたら、どうなるでしょうか?もはや我々も無事ではいられません。今朝も北朝鮮弾道ミサイル発射でJアラートが発出され、改めて戦争の危機を考えます。