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開成高校から東大理一慶応医合格するも

「東大蹴って医学部ってあり?」現役医学生が語るリアル
CASTDICE東大or医学部 迷ったらどっち? 〜CASTDICE Medicalから


本日医師向けサイトにこれまたたまたまこんな掲示板が立っていました。


開成高校から東大理一慶応医合格するも

数学・物理が極端にできる高校生は医師では無く強みを発揮出る仕事を選んで欲しいな


従兄弟と話していたら、その子供、開成高校から東大理一慶応医合格するも理学部に進学。大学院博士課程を経て、現在は物理学の最先端である核融合のベンチャーに勤めている。数は限られると思うけど、数学や物理が特別できる高校生は、医学部も良いけど、自分の強みを発揮できるチャレンジングな分野にも進んで欲しい。

これ以前の記事「CASTDICE東大or医学部 迷ったらどっち? 〜CASTDICE Medicalから」やこの前の「「東大蹴って医学部ってあり?」現役医学生が語るリアル」と関係する話題ですね。さあ、皆さんどういうコメントでしょうか。ここの方々は医師ばかりですから、バイアスが医師寄りにかかっていることは、ご承知おきください。


マジすごいヤツは、医学部選びません。

ちゃんと行くとこ行ってますよ。


医学部はそのレベルから見ると、

宙ぶらりんですね。

出来るが、切れない、光らない。


そうですよね、

って言うか、その方々はここは見ないねw。

ふふ、そうね。私もそれが正しいと思うよ。しかし、こういう意見もあります。

高校生で「数学・物理が極端に出来る」というレベルで実際に研究者として一流になり得る人なんて、1つの学年に数えるほどしかいないのでは。


現実問題として、数学・物理が極端に出来ると言われる人の大半は数学・物理を専攻してもドロップアウトするわけですから、そういう意味では数学・物理に強い=試験に強い特性を活かして医学部に進学するのは、有意義な選択肢だと思います。

東大・京大の理学部であっても、学部から入った優秀な学生でも研究者として大学に残れる割合は低く、大半は大学院まで進んでも就職していきます。早いと大学院に進む前、つまり学卒でも就職します。

私が通っていた予備校の先生で、数学ができたので現役で医学部に入学したけれど、そんな覚悟でくる場所ではないと気づいて、すぐに退学した人がいました。私が予備校で出会った当時は現代文の講師をされていました。

また直接、面識はないですが違う予備校に、段違いに数学のできるチューターがいました。慶應医学部の数学は30分くらいで解き終えたという伝説があります。その方も東大理一と慶應医に受かり、慶應医に進まれましたが、すぐに退学して、理一に入り直されたようでした。

いずれも本当に優秀な方は撤退する勇気もすごいと実感した事例です。

 私が知っている事例は「東大理一と慶應医に受かって慶應医に進み、翌年度また東大理一を受けて受かったが、結局そのまま慶應医を続けた」です。上のコメントで言及されたチューターはその後どういう人生になったのでしょうね。


自分の義兄は物理数学ものすごく出来て、東大物理出て一流企業のエンジニアやってるけど、子供に馬鹿にされるほどのコミュ症なんだよね(笑


理三もラクラクだったんだろうけどそれを本人知ってるから理一。でも飛び抜けて計算能力開発能力が高いから企業で凄く大切にされて、東京に家まで建ててもらえてる。


ど田舎開業医の自分とは対象的だな

そうか、つまりASDでも物理・数学が飛び抜けてできれば、十分成り立つ仕事があるということか。


数学物理は駿台模試で全国一桁だったが、、、、

大学(下位旧帝)での数学物理は 良可ばかりで優はなかった。


しょせん問題を解くだけが得意。

あるいは解答にのっていない解法を見つけたい だけであって 

何か新しいことを発見・開発できるような能力はない。


ゲームで言えば

解法・征服本に則って高得点はただき出せる。

あるいは新しい攻略法を見いだせるプレイヤーであっても 

新たなゲームを生み出せるクリエイターになどには到底なれない。


高3時点でそのことを悟っていた。

たとえ理Ⅰ 数学科物理学科に行ったところで 

よくて一部上場企業で課長程度で片道出向 だったろう。

大学院に進みポスドクになったら二流の大学教官にすらなれず地方予備校講師だったかもしれない。

数学物理に進んでいたなら。


そんなチャレンジする勇気は18歳時にはなかった。


まあ冒険もない人生だが。。。。

このコメントをした方はかなりの進学校に在籍していたと想像しますが、高校段階でもずば抜けてできる生徒を目の当たりにすることはあります。


地方旧帝数学科卒再受験組ですが、理学部には数学や物理がムチャクチャできるオタクがたくさんいました。かたや地方国立医学部にはせいぜい受験の数学、物理がちょっとばかりできる方しかおりません(理Ⅲとかにはいるかもしれませんが)。今教授になっている数学科の同期生は、1日14時間数学やってろと言われたら喜んでやるような方々でした。医学部にはそういう方はいないように思います。選抜試験はしっかり機能していると思います。 

これは逆の立場からみたコメントです。しかし、こういうコメントもあります。

今の地方旧帝は、数学や物理の天才はほんの一部しか居ないと思います。

北大とか2年に上がる時に進振ありますが、どちらかというと生物系や農学系や薬学系が人気や倍率高く賢い人集まり、数学科とかはかなり不人気です。

東大クラスの大学の進振りだと、逆に物理系が人気あって化学や農学は不人気らしい。 

北大の話は本当らしいです。しかし京大理学部の場合4年専攻選択時、まず物理、そして数理系に希望が殺到し、生物系は不人気で定員割れも出ます。大学によるのでしょうが、北大は異例だと思います。

高校時代に数学や物理ができたとして数学者、物理学者として大成できるのは一部なのでリスクです

試しに数学オリンピックに出てたような人がどうしてるかググっても数学者なのは皆無でした

同級生で理一に行った人達もせいぜいメーカーの研究員

なら医者のほうがはるかにましではないでしょうか?

高校までの数学と大学の本格的な数学には壁があると思います。


そのため、入試数学で無双状態でも、結局大学数学科で開花せずに予備校講師になる人もいます。


本人に、自分は高校どまりだという自覚があるのであれば、東大医学部に行く選択肢はありだと思います。

友達は理1から理学部物理

院 ポスドクまでやったけど

その後特任助教と不安定な身分しかなく

国立医学部に編入学しました。

物理じゃ食ってけないから医者になると

数物系では研究者として本当に才能があるかどうか見極めるには、大学院博士後期課程まで進まないとわからないということだと思います。


息子は理一に進み大学で材料工学を研究していますが、給料が安いです。

ERATO(科学技術振興機構)の戦略的創造研究推進事業のプロジェクトをやっています。

企業の研究所へ行けばいい給与をもらえるでしょうが、研究が最先端過ぎて難しいです。

研究者に救いの手を下さい。

ERATOのプロジェクト課題を任されるのは、研究者としてかなり有能かつ有望だということです。それでも給与が安いのか。


ここに書かれたコメントはあくまでも今すでに医師として仕事をしている方々からです。今後少子高齢化の進行で日本での医師の需要は漸減すると予想されています。韓国のようにいきなり医学部定員を激増させて地滑り的変動を起こすことはないとは思いますが、国の施策変更を含めて見通せないことが多いです。いずれにしても楽な道を考えるのは失敗の元で、あくまでも自分が将来どういう仕事をしたいのかを優先すべきでしょう。そしてどう選ぶか最後に決めるのは、自分自身です。しかし、こういうひともいますね。


私は東大理学部を目指して東大に入りました。東大入試で物理は満点でした。しかし東大を中退しました。研究者になっても給料は低く、生活に苦労することを知ったからです。また東大卒の研究者の中には自殺者やホームレスになる人もいます。東大を中退してIT企業に入り顧客とやり取りしながらお金を稼ぐのが楽しかったです。同期にはホリエモンがいます。IT企業より楽に儲けられる仕事として医師があることを知り30すぎで医学部に入り、今は医者をしています。勤務医です。自由診療は抵抗があったので保険医をしています。年収3000万です。税金で半分以上を持っていかれますが、開業する労苦を考えると今の楽な環境でいいかなと思って甘んじています。家庭があり、子どもたちにはたくさんの経験をしてほしいし、奉仕活動でお金を使ったりしているので、とにかくお金がいるので研究者なんてやってられないと思いました。東大出て物理の研究者になる人々にもちゃんとした給与が保証されるのであれば、わたしの場合は東大やめてなかったですね。ちなみに私欲のためにはあまりお金は使いません。子どもたちや奉仕活動なんかで使いたいんですよね。


なお、昔(1960年代〜1970年代)の医学部の難易度については以下のコメントがありました。

自分は1988年入学です。学生時代に部活の顧問の先生たち(40~50代)は、理1類が無理だったから理3にした、と言っていました。「時代が変わったねー」って。

これに対して反論コメントがすぐ出ました。

これは事実と全く異なるので書いておきます。

少なくとも1970年には医学部はどこの大学でも超難関であり、東大では理3の方が理1より圧倒的に難関でした。(優秀な落武者が受験する)2期校だった群大、弘前大の医学部は理2より偏差値が高く、理1なみでした。京大では経済学部のトップ合格者でも医学部合格最低点以下という(科目が少し違うとは言え)有様。日本ではもう50年以上もったいない人材の医学部への流入が続いていると言えるでしょう。

理3の人気が上昇した一因として、それ迄進振があって10名は医学科にいけませんでしたが、1960年代後半から?合格者が100名から90名となり、理3に合格さえすれば全員が医学科に進学できるようになったことがあげられます。なお理2から10名、理1から1名医学科に進学出来ました。

これはちょっと微妙な話です。というのは、自分も父親から「昔は今と違って医学部は人気がなかった」という話を聴いたことがあるからです。しかし、それは第二次大戦直後の1950年代の話です。簡単に言うと当時から2年間修業年限の長かった医学部は金がかかるし、金を稼げるようになるまで年数がかかったからということです。また恩師のひとりは名古屋大学理学部卒ですが、「受験当時、名大理学部は医学部より難しかった」と述べていました。恩師は、1960年代初頭に入学しております。1949年に湯川秀樹はノーベル賞を受賞し、1965年に朝永振一郎も受賞した結果、この時代理学部を希望する学生が殺到したと聞きます。私の受験時代(1980年前後)に関しては後者の反論の状態でした。おそらく1970年前後に転換点があったのでないかと思われますが、当時は現在の偏差値のような物差しはなかったので、検証が難しいです。しかし理三に受かっても10%は医学部に進めない時代があったのか!何か意地でも進振り制度を維持したかったのでしょうが、それだと理三受験をためらう学生もいたでしょうね。