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飲食店にマヨネーズ持ち込んだら...「店長にブチギレられた」 〜昔も有名人でそういう人いたよ

このJ-castニュースを読んで、まず「へずまりゅう」だろうと思いましたが、案の定。これです。


ふーん、ジンギスカンにマヨネース入れたの?味ヘンでしょ?いやー、炎上商法ですが、これってお店は激怒なんてもんじゃないでしょう?お気の毒に(お店が!)。ところが、J-castニュースを読むと、色々な感想が出ています。引用します。

へずまさんは、「味には好みがあるんだから客の自由にさせろよ」と訴えると、「旅行で札幌に来てたまたま寄った店だからいいけど店名や動画を出したら訴えるってキモすぎだろ。もう二度と行かん」と店側の対応に不満を爆発させた。

 ユーザーからは、へずまさんの主張に対し、「事前に聞くのがマナーってもんだろ?? 」「焼いてる鉄板だからアウトなんじゃない?」「マヨネーズが付いたら掃除が大変になるからね」「飲食店に自前の食材や調味料持ち込むのはダブーだろ」「モラルやマナーの問題」などの声が寄せられた。 

 こうした反応を受けてか、へずまさんはサブアカウントでも4日夕、「うーん。今度から聞くようにする」と投稿。「やけどブチギレ方が異常やったんよね。周りの客も動画撮りよるぐらい騒がれたから」と振り返った。

 そのほか、「これは共感する!味の好みは人それぞれ!」というコメントに対し、へずまさんは「だよないちいち言う必要ないよな」と応えている。

もうたまらん!全員、出禁!外食なんて二度とすんな!です。


 しかし、大昔これと同じことをやった奴がいた事を、思い出しました。それもフランスはパリの一流料理店「トゥール・ダルジャン」でやらかしてくれた男がいます。その名も「北大路魯山人」。古今東西の食通の中でも随一に名前が知られている御仁ですが、とんでもないことをこの店でしたのです。「あおぞら文庫」に記載があるので、ちょっと抜き書きします。

すき焼きと鴨料理――洋食雑感――

北大路魯山人


かねて日本を出発する前から、フランスの鴨料理について、やかましく聞かされていた。

 それというのも、一方的な西欧礼賛が多く、ほんとうのところは分ったものではないと、私はひそかに考えていた。フランスがどうの、アメリカがどうのと、親切に話してくれる人たちが、日本のこととなると、実はよく知らないのだから、話が初めから狂っている。

 日本人にして、日本を知らない連中が向こうへ行くものだから、外国へ行っても日本のことを教えることができない。

 これは日本のために大変な損失である。また外国のためにも損失である。

 名物と言えば、フジにゲイシャ、奈良では鹿にセンベイをやることしか、自慢し教えないのだから、向こうの人間は日本について知る由もない。いわんや、日本料理など分るわけがないのである。

 例えば、ニューヨークのすき焼きが昔から有名であるが、行ってみると、すき焼きでもなんでもない。桶のようにふちの高い鉄なべの中で、菜っ葉を山のように盛り、見るからに不味そうな肉の幾片かを載せ、グチャグチャ煮ている。それを日本通のアメリカ人がよろこんで、家鴨が餌を食うみたいにガボガボ食っている。

 主人なる男は新潟在の出身で、どこをどうやってか移民船にもぐり込み、ニューヨークで人夫などしているうちに、人の入れ知恵で、すき焼き屋を始めたらしい。

 話してみると、新潟の町も東京も知ってはいない。そんな具合だから、道具などなにも持ってはいない。店構えはとみれば、まるで田舎の博覧会みたいに飾りたて、部屋にはいかがわしい複製の錦絵などを貼りめぐらしてある。

 主人を呼び、私がほんとうのすき焼きのつくり方を教えると、

「ヘエー、すき焼きというものはそういうものですか」

 と、感心している始末であった。

 フランスの鴨の話にしても、話す人間が話に聞くだけで、実際に行ってはいないらしい。なにしろ一羽一万円するのであるから、初めから敬遠しているのである。趣味も食道楽もあったものではない。向こうで日本人が行くところと言えば、場末の居酒屋みたいな小さな店である。しかも、その小さなお店で“学ぶ”という気持だから、自由な注文も質問もできはしない。

 鴨料理の店「ツール・ダルジャン」のように堂々とした造りで、正装のボーイが鷹揚に構えているようなお店では、声も出ないのだろう。

 私が「ツール・ダルジャン」を訪ねたのは、画家の荻須高徳氏夫妻、それに小説家大岡昇平氏といっしょの時であった。見渡したところ、フランス人よりも外国人の方が多いようだった。こちらは旅先のことでもあるし、高いと言ったって、一羽とって皆で分けて食べればいいというつもりで入って行くと、タキシードを着用に及んだボーイが、銀盆の上で丸裸の鴨をジュージューやってスープを取っている。

 早速、ボーイが私たちのところへ持って来た鴨は、半熟にボイルしてあり、二十四万三千七百六十七番という由緒を示す番号札が添えてあった。ボーイは見せるだけ見せると、番号札を残して鴨を持ち去った。

 私は案内の者に、

「あんなことをしていちゃあ美味く食えない。食ったところで肉のカスを食うみたいなもので、カスに美味い汁をかけているに過ぎない。ほかの客のはあれでよかろうが、こちらは丸ごと持ってこいと言ってくれ」

 と頼んだが、案内人の荻須氏の言葉を聞いたボーイはただ笑っているだけで、ボーイ長に伝える気振りもない。重ねて、

「料理屋で、身銭を切って食べるのになんの遠慮がいるものか。こちらがお客だ。もっと堂々と言ってくれ給え」

 そこで、私は生まれて初めてのお芝居をやった。案内人を通じて、

このお客は日本の東京近郊に住んでいて、家の前に大きな池があり、その池に大中小の鴨を何千羽も飼っている。音に聞えた鴨の研究家で、鴨の食い方、鴨の料理にやかましい人だ。特に研究家としては有名だが『自分ではあの焼き方が気に入らぬ』と言っている

 と、通訳してもらった。

 上手に言えたかどうだか分らないが、ともかく、存外素直に持って来た。果せるかな、半熟でちょうどうまい具合に処理してあった。

 これでよし。私はポケットに用意していた播州竜野の薄口醤油と粉わさびを取り出し、コップの水でわさびを溶き、卓上の酢でねった。私の調理法がどうやら関心を買ったらしく、タキシードに威儀を正したボーイたちがテーブルの前に黒山のように並んで、成り行きいかにと見つめていた。敢えてうぬぼれるわけではないが、かかる格式を重んじる店で、こんな仕方で調理したのは前代未聞のことであろう。並んでいるボーイ連中の関心も当然のこととうなずかれる。

 大岡氏は長らくニューヨークに滞在した後だったので、

「久し振りの日本の味だ。蘇生の思いがした。日本趣味のよさを改めて考えさせられた」

 と、たいへんよろこんでいた。

〜後略


この話は1954年の話なので、今から70年近く前です。これねぇ、相当怒っていたと思いますよ、先方は。第一店にそんな調味料持ち込むのはルール違反だし、相手の料理法の否定です。それに当時は第二次世界大戦が終わってまだ10年経たない時代で、インドシナ仏印への日本軍侵攻には相当に悪感情が残っていたと思います。よく叩き出されずに済んだものだと、聞いている方が冷や汗が出ます。さきほどのJ-castニュースへのヤフコメにこんなのがありましたが、それをまさにやったのが北大路魯山人なのです。


 魯山人は毀誉褒貶が多いひとで、特に身近な人ほど彼を嫌っています。確かにわさび醤油は鴨に添えるのも一考です。しかし店でそれやったら、上のへずまりゅうの行動と大して違わないレベルだなと思います。絶えず他人の目を気にして、バズってみせる。魯山人は書や食器の作成でも名がとどろいていますが、人間としてはクズだったなと改めて思います。