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最初のニュータウン ・大阪・千里 〜「よみがえる新日本紀行」



私の高校時代の秀才の同級生は当時、「好きなテレビ番組は新日本紀行です」と言ってましたね。普通の高校生なら、そこは歌謡番組とかドリフみたいなお笑い番組とか言うところなんですけど。「新日本紀行」はかつてNHKで放映された紀行番組で、今調べると1963年〜1983年とかなりの長寿番組です。だいたい昭和中期〜末期に相当し、昭和時代後期の日本各地を映し出していました。当時もなかなか良い番組とは思ってましたが、上の秀才くんほどにはのめり込めませんでした。最近、この新日本紀行の再放送と「その後」の現在を短くまとめた番組が「よみがえる新日本紀行」として放映されています。年取ったせいか今はほとんど姿を消した昭和の日本を振り返れるので、好きな番組になりました。日本の高度成長期のむんむんとした熱気を久しぶりに思い出せます。


 今回はいわゆる「ニュータウン」の先駆けとなった大阪・千里ニュータウンを漫才トリオ・かしまし娘3姉妹の次女・正司照枝(しょうじてるえ)がレポーターとなって放映した回です(1979年(昭和54年)放映)。いつもの新日本紀行は固い感じの局アナウンサーがナレーターをしますが、正司さんは親しみやすい張りのある声で新鮮でした。千里ニュータウンはまったく馴染みがないけど、同時代に団地に住んでいた私としては親近感を持ちました。今回なぜかしまし娘が担当したのか?というと、彼女一家がこの千里ニュータウンに移り住んだからなんですね。しかし彼女自身は団地族ではなく、100坪の一戸建てを建てて引っ越してきました。


 正司照枝は早速近所の団地族のひとつを訪問してレポートしてくれますが、突撃型の芸能レポーターのノリです。その前にアパートの増改築が進行していることを紹介していましたが、いや狭いこと狭いこと!2Kなのかな、一番びっくりしたのは風呂場に脱衣場がなく、リビングとドアひとつで隔てられていること。これ、家族といってもリビングをハダカで出入りすることになり、いくら何でもお互いに嫌でしょう。他の部屋もほとんど一体で、今のワンルームマンションより多少広いといっても使いにくいことおびただしいです。この下の間取りに近かったです。



これじゃあ増築は当然ですが、一体これだれが設計したアパートなの?折角広い土地に建てるなら、もう少し住む家族のことを考えるべきでした。偶然なのかどうか知りませんが、紹介された2組の家族は両方とも夫婦・子供一人の3人家族でしたが、この間取りでは4人以上はあらゆる意味から無理です。少子化に拍車をかける設計だったとも言えます。そんなウサギ小屋(死語)団地生活を紹介するのが、100坪の豪邸に住む正司照枝さんとは、少々皮肉です。そんな狭い家なのに、ピアノを置いているのもびっくりです。そうですね、高度成長期の当時の団地では、なぜかピアノがはやった。団地住まいでピアノ入れるの、あんな薄い壁なのに問題にならなかったのかな?そう、1974年に平塚の公団アパートで「ピアノがうるさい」と言って、隣人家族の母子3人を刺殺するという恐ろしい事件がありました。今調べたらこの犯人、1977年に死刑確定した後46年も経つ今もまだ執行されず生きています。遺族からすると居たたまれない思いでしょう。


 しかし千里ニュータウンに住むひとたちはそれなりに幸せだったようで、何処の家族も「静かで住みやすい場所」と称賛していました。多くは大阪の狭い下町で、「文化住宅」みたいなところから引っ越してきたのでしょう。文化住宅にはなかった風呂がついているだけ、随分ましだったのかもしれません。


 正司照枝が千里ニュータウンに移住してきたのは大阪万博開催(1970年)の7年前と言ってましたから、1964年(昭和39年)です。うちの家族が新築アパート群の公務員住宅に移ったのと同年です。「万博開催のときは、今も見える太陽の塔がある当時の会場に赤や青の明かりがチカチカ光るのがきれいだった」と言ってました。万博・・・懐かしい。当時小学生だった私は大阪万博に行く前に、雑誌で一生懸命予習していました。「会場となる千里は一面竹林だらけで何もない場所だった」と書かれていました。正司照枝もまったく同じことを言っていて、「竹林しかなかったところにあっという間に家が次々建った」そうです。


 庄司照枝が出ているこの回の新日本紀行は1979年(昭和49年)放送で、終了した万博の跡地はもう公園になっていました(万博公園)。「アメリカ館」の跡地にはアメリカ館と書かれた石のプレートが埋められています。「お墓みたいです」と正司が言いますが、ほんとにそう。万博公園内のエキスポランドでは、らせん状の回転をするジェットコースターが映されていましたが、この後の2007年の脱線死亡事故で廃止されました。2009年にはエキスポランド自体が廃止されました。見ながら「もう、日本の高度成長の時代は完全に過去のものとなったな。」と感慨がありました。


 千里ニュータウン内に取り込まれてしまった旧住民が住む「上新田地区」も紹介されてました。昔の旧家の街並みが続く地区ですが、地価が以前の40倍に上がってしまったせいか次々と壊されてマンションなどの宅地開発が進んでいます。調べてみると上新田の旧家街は今もある程度残っているようですが、相当縮小されています。正司照枝が住んでいる千里ニュータウンの高級住宅街でも、あちこちで小さく分割されて小さな建て売り住宅を建築する様子が紹介されていました。「相続税」の問題が日本の住宅事情に大きな影響を与えていることがよくわかります。


 最後の「今の千里ニュータウン」の紹介は、なんと正司照枝その人でした。御年90歳とのことで白髪の小さなお婆さんになっていますが、声は44年前と変わらずはつらつとしていて、これもびっくりしました。住む家も44年前とまったく変わらず、そして紹介された広くてきれいな庭が目を引きました。正司さんが「家より庭の方が大事」と言ってましたが美しい庭で、うらやましかったです。しかし、その豪邸に住むのは今は照枝さんただ一人。一軒おいた近所に住む妹の花枝さんが食事をつくって運んできてくれます。花枝さんは「美味しいもまずいも何も言わないお姉さん」と言いますが、「まずいと言ったら持って来るのに悪いでしょ」と照枝さんは憎まれ口を叩きます。仲良いですね。今も新しく千里に移り住む若い人たちが紹介されていましたが、昔と変わらず「静かで暮らしやすい街」と言います。


 正司照枝はがやがやする外に出るのが好きでないそうで(芸人だったのに意外)、現在は家で静かに過ごしています。お風呂上がりの晩酌でウイスキーソーダを飲みながら一人でテレビを見るのが、最高の楽しみだそうです。番組最後に「ではみなさん、いつかどこかでまた会いましょう。さいなら!」とお別れを告げました。久しぶりに昭和の雰囲気を思い出す良い番組でした。「「いつかどこかで会いましょう」か・・あ、そうね、いつか、そして「あそこ」でだな。」と静かに思いにふけりました。