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小池真理子氏の死生観 〜「夫と妻の死生観」



金曜の日経夕刊一面コラムの「あすへの話題」です。小池真理子氏の亡くなった夫とは誰だったか?調べて、藤田宜永(ふじたよしなが)氏だったと思い出しました。


 藤田宜永氏が大の病院嫌いで、ほとんどの検査を受けてこなかったと言います。その結果、見つかった肺腺癌はすでに末期状態で、手術なしで亡くなったことが書かれています。お二人はとても仲が良かったご夫婦のようで、この記事とは別なインタビューで、小池氏が
藤田宜永を失った時の喪失感の大きさについて2021年に語っています。文春オンラインのインタビューから引用します。


小池 悲しい気持ちは易々と他の人には言えない、もう何も言えなくなってしまった、ってみなさん書いてこられました。死に別れた直後は、どれだけ泣こうが嘆こうが、受け入れてもらえたけど、半年、1年、2年たつうちに、個人の喪失体験は完全に過去の出来事になってしまうんですね。当事者にとっては未来永劫続く悲しみなのに、他者からは、いつまで悲しんでるの、元気出さなきゃだめじゃない、と言われてしまう。たとえつらい胸のうちを明かしたところで、経験のない人を困らせるだけだし、とんちんかんな励まし方をされるだけだとわかっているので、どうしても遠慮してしまう。それがふつうだと思います。


 日経のコラムで、小池氏は藤田氏の病気への向き合い方を否定してきたが、今になって正しかったかもしれないと言います。

彼のような考え方は、時に人生の残り時間を安楽なものにしてくれることがある。

と言っています。受診して異常がわかれば、診断を確定して治療を試みなければならない。しかし、治療しても助かるかどうかわからないこともあるだろうし、不安が強く出るでしょう。そういった強い不安が自分だけでなく家族も共有することになり、不幸の連鎖が長引いてしまう負担がつらいということでしょうか。続けて小池氏は言います。

なぜ当時、彼の考え方を認めることができなかったのか。おそらく、私の中にも彼と似たようなものがあるからだ。だからいやだったのだということに、最近ようやく気づいた。

やや謎めいた言い方で、少し考えました。ひとは王侯貴族であろうと貧民であろうと、皆等しく最期は一人で旅立ちます。それは厳然として昔から同じです。死ぬ運命となった時、いかに最期までに残された時間で寄り添おうと、最期は一人で行かねばなりません。死という型で引き裂かれるまでの時間が短ければ、残された者は近づく別離を想像する苦しみを味わう時間も短いでしょう。愛する相手になるべく負担をかけたくない。確定的な死が目前に迫るまで、自分にも相手にもそれがわからないでいたい。でも残された者に死後も続く悲嘆を、死ぬひと自身が感じることは最早ないです。また残される相手に自分が死ぬまでの不安をなるべく分かち合わせたくないというのは、どんなに一心同体の夫婦であったとしても所詮別の人格なのだと認めることになる。そういう矛盾した心境の葛藤でしょうか?


 実はごく最近、教え子が亡くなりました。11月末まで次年度の講義打合せを時候の挨拶を交えながら、普通にメールやり取りしました。ところが年明けて今月末いきなり逝去の知らせをもらい、あまりの急変にただただ茫然としています。12月に入り体調が急速に悪くなりすぐ受診したものの、すでに末期状態。悪性腫瘍であってもそういう急激な転帰を遂げることがあるのか。彼とはそのメール以降一度も話をすることなく、終わりました。最後に「またデータが集まってきたら、是非相談に乗ってください」と言っていた彼は、いまだに生きているかのように感じてしまいます。ぎりぎりまで死の訪れをだれも知らない。「(それが)時に人生の残り時間を安楽なものにしてくれることがある。」か。少なくとも教え子(今となれば親しい同僚ですが)はぎりぎりまで、未来の自分を想像し続けることができていたのだと信じたいです。研究仲間は夫婦のようなパートナーとは違います。しかし研究生活は普通のお勤めとはまったく異なり、ある意味パートナーと過ごすより遥かに長い時間を共有します。これは実験系ラボを経験した者なら、だれもが肯くでしょう。


 ひとは生きたようにしか死ねない。これは僕自身のモットーです。生きる時間を大切にすることが、死ぬ瞬間を限りなく輝かせると考えます。「大切に」とはくそ真面目にやるという意味でなく、自分を大切にし、そして人生をエンジョイすることです。