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手塚治虫 〜水野英子氏「時代の証言者」から


水野英子(みずのひでこ)氏という漫画家は、僕にとっては「少女漫画家の元祖」くらいの認識です。現物のマンガはまったく知りません。知っている少女漫画家は一条ゆかりとか去年亡くなった土田よしこあたりからです。さて、その少女漫画の大御所水野先生が何を語るか、読売の「時代の証言者」連載を興味深く読んでおります。水野先生の生い立ちが複雑であることは、初めて知りました。さてここで述べたいのは、手塚治虫について本日の証言者で論じていたことです。


 複雑な関係の実の母からもらうお小遣いで、水野先生が手塚治虫の漫画を買い集める切っ掛けになったのは、「漫画大学だった」と述べています。またしても古すぎて名前しか知らないのですが、手塚治虫が漫画の描き方を指南した指導書のようです。描き方はともかく、水野先生は手塚治虫の漫画の豊かな文学性に驚嘆したと述べています。

それまでもいろいろなマンガを読んでいましたが、みんな絵がヘタだと感じました。「こんなにきれいな絵のマンガは見たことがない」と思ったのは「漫画大学」が初めてでした。しかも、読んでみたらすごく奥が深い。文学性豊かな物語ばかり。そのことにも驚きました。

 私のような浅学非才があれこれ言うべきでないですが、水野英子のような大御所であっても、手塚治虫の才能に感服したことに驚きました。

《手塚の代表作の一つ「ジャングル大帝」は、「漫画少年」で、50年11月号から54年4月号まで連載された》

 最終回のことは忘れられません。本屋で「漫画少年」を買って家まで待ちきれず、店先で読み始めました。吹雪のムーン山で、レオがヒゲオヤジを助けるために自ら身をささげ、毛皮となる場面では、感動でポロポロ涙がこぼれました。親が死んでも泣かなかった子が、手塚先生のマンガにこれほど泣かされたんです。

僕たちの世代だと「ジャングル大帝」はテレビ放映のアニメで知ったと思います。まだ白黒テレビ時代ですが、粗いアニメ技術ながらアフリカの自然を感じることができました。しかし、後年漫画でジャングル大帝を読んだ時、その深いテーマ性に驚嘆しました。そう、このラストシーンには、私も思わず涙が出ました。

手塚マンガは世界を変えた。私は今でもそう思っています。

水野先生はそう仰ってますが、僕は手塚治虫の漫画を読むことで人生が変わった人は漫画家だけでないと思います。僕らの世代の医学部入学者だと、「ブラックジャック」に感化されて医学部を志望したひとは相当多いです。同級生でも何人かいましたし、他ならぬ僕もそうでした。たくさんのエピソードがあっていちいち述べることができないですが、ひとつだけ挙げるなら、「復しゅうこそわが命」でしょうか。


誤ってテロの爆弾を仕掛けられ家族を殺された女性ですが、テロリストの首魁はブラックジャックに救命を求めます。承諾したブラックジャックは、爆弾でズタボロになった女性に懸命の手術をおこないます。その結果一命を取り留めた女性ですが、怪我で失明してしまいます。爆破前の電話でブラックジャックをテロリストの首魁そのものだと勘違いした女性は、リハビリの過程で何とかブラックジャックを殺そうとします。ところがブラックジャックはその復讐心を逆に利用して、リハビリを続ける克己心を引き出します。回復した女性にブラックジャックはついに真相を話します。「あなたの身体のパーツは、殺されたあなたの家族の身体を使って再生したものだ。」と。ラストが秀逸でした。女性は治療を終えて、母国に帰ります。そしてひとりとなった自宅で食事をするとき、ラジオが「テロリスト首魁・ブラックジェードがついに死んだ」と告げます。そう、人違いだったわけです。驚き、そして泣く彼女。やがて食事を始めると、「ママどうぞ」「パパ。今噛んでいるのよ」「おちびちゃん、どう?美味しい?よく味わってね」と言って、今は自分の手足や口となった家族達を思いやるのです。盲目の彼女には死んだ家族たちがイメージとして現れてきます。このシーンには手塚治虫の深い家族愛が感じられ、泣けました。


 後年、僕がもっと強く感動したのは「きりひと賛歌」です。主人公の青年医師・小山内桐人は直情径行で、M大医学部第一内科の竜ヶ浦教授に疎まれます。やがて竜ヶ浦教授の陰謀で、小山内医師は徳島県犬神沢に奇病「モンモウ病」の調査に行かされますが、モンモウ病に冒されてしまい、「犬男」となって運命を翻弄されます。非常にスケールが大きい展開で、医学部の封建的な医局体制だけでなく、世界的に拡がっていた学生運動や左翼過激派のテロなど当時の世相が随所に盛り込まれています。このM大学は、手塚治虫の母校の大阪大学医学部が色濃く投影されていると言われます。ひとが懸命に努力してもどうにもならない人の運命がある。それが冒頭に出てくる、小山内の手当にもかかわらず灼熱の大地で衰弱死していく赤ん坊です。次々と耐えがたい試練を受ける小山内桐人は、言うまでもなく「おさないきりひと」すなわち幼いイエスキリストをなぞらえています。


 この漫画は、今「北の大地」医学部で学生生活をおくる息子にも送りました。一挙に読み通したようですが、果たして将来にどのような影響を与えるでしょうか。手塚治虫の影響は、おそらく今後100年以上は続く予感がします。