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梅毒 〜古くて新しい性感染症

医歯協(東京医師歯科医師協同組合)の定例マガジンが届いたので、今朝の通勤車内でめくってみました。なぜか「梅毒」関係の記事が2つあります。考えてみると、近年梅毒感染者が日本で急増していることはよく知られています。医療界の注目事案のひとつでしょう。僕らが学生の頃、「梅毒は過去の病気」扱いで症例も珍しい感じでしたので、近年の増加には驚きます。しかし、その急増原因はまだはっきりわかってないようです(コンドーム使用低下は言われていますが)。


 ひとつは歯科の方からの報告(福山市民病院歯科口腔外科の目瀬(めせ)浩氏)で、口腔病変とのからみです。梅毒第二期で軟口蓋に「butterfly appearance」という左右対称性の白斑が見られるという話は、初めて知りました。口内炎かと思って来院されるようです。梅毒はSTD(sexually transmitted diseases)のひとつで、性感染症であることは言うまでもありません。STDの多くは外性器・内性器とその周辺の局所病変に留まりますが、梅毒はAIDSと並んで血流に乗って全身感染が起こります。第一期は陰部の初期硬結(肉芽腫による)や無痛性横痃(おうげん)という鼠径部リンパ節の腫脹に留まりますが、第二期になると全身のバラ疹などが起こります。このステップ初期で軟口蓋の白斑が見つかるとのことです。患者の年齢分布グラフも出ていましたが、女性は若年層中心ですが、男性は若年層から中高年層までプラトー状態です。「男性の場合、検査結果で梅毒感染可能性を告げると怒り出す人が多い。個室で複数の医療者で説明など工夫が必要。」と書かれています。自分に責任があるのに、怒るとは何事?もし歯科医を軽く見てのリアクションだとすれば、よろしくありません。最近胎児感染による先天性梅毒も増加傾向とのことなので、家族関係も考えると由々しきことです。


 もう一つの話題は戦国時代の武将、加藤清正の梅毒感染で、日大病理学の早川智教授の紹介。そういえば加藤清正は徳川政権になってから名前が出なくなりますが、どこでどう死んだのか知りませんでした。秀吉の朝鮮出兵では猛々しくふるまい、関ヶ原の合戦では東軍について奮闘。その後、家康と秀頼の対面に腐心した後、所領の熊本に戻る船中で発病し熊本について間もなくして死んだそうです(1611年)。はっきり梅毒の症状は書かれていませんが、「小西行長が唐瘡(=梅毒)で死亡し、清正も同じ。両人とも好色だったから」と書かれているとのこと。


 梅毒、実は大学入試の世界史の問題でも時々出ます。私がこの問題を知ったのは、大学受験で駿台の全国模試を受けた時。文系の出題でしたが、当時の駿台予備校の人気講師、大岡俊明先生が模範解答解説で丁寧な説明をされていました。梅毒はもともとカリブ海地域の風土病で、1492年のコロンブスのアメリカ到達でヨーロッパにもたらされました。驚くべき事にコロンブス一行がスペインに戻った時ただちに拡がったそうで、一行のだれかが現地人の女性と性交渉したことは明白です。その後スペインからイタリア(コロンブスはジェノヴァ出身)、フランスそしてイギリス、ポーランド・ロシアの東欧に瞬く間に拡がりました。ちょうどルネッサンスの時代に入り、遠洋航海とともにヨーロッパ内でも人々の移動が激しくなっていました。特に戦争ですね。イタリアにはスペインから来たので、「スペイン病」。フランスにはフランス軍のイタリア侵攻によってもたらされたので「イタリア病」、イギリスにはフランスから来たので「フランス病」と名付けられました。その後もポーランドは「ドイツ病」、ロシアは「ポーランド病」と、自分の悪行を棚に上げ相手国を非難するおろかしい行為の連続です。ここまででおおよそ1500年で、つまりわずか10年足らずでヨーロッパ中に広まったのです。アジアにはバスコダガマの喜望峰回り航路の発見とともにもたらされ、早くも1512年には大阪で記録されています。これは琉球経由だったので「琉球病」、もととなった琉球にはポルトガル人がもたらしたので「南蛮病」と、これまたヨーロッパと同じ責任のなすり付け合い。パンデミックはいろいろな感染症で紀元前からありましたが、梅毒のパンデミックは当時の旅行手段を考えると、20世紀までは史上最速だったでしょう。畏るべし、人間の性欲!


 ところで講義しながら、「なぜ「梅毒」という名称?」と昔から思ってました。「梅の花マーク」はじゃれついてきた時の犬の足跡くらいしか思いつかん。これ実は「楊梅」という中国語から来たそうで、日本でいうヤマモモ(山桃)のことだそうです。6月実りますが、桃とは違って小さくて赤いつぶつぶした実です。これが梅毒第二期に出る「バラ疹」と似ていることからとのこと。東京周辺でもヤマモモは海沿いの地域でよく植樹されており、私も先月はヤマモモの木の下に一面に散ったヤマモモの実をたくさん見ました。梅雨時なので雨に打たれてすぐ真っ黒になっちゃいますが。あまり甘くない酸っぱい実ですが、煮てジャムにしたりアイスや飲み物に入れると爽やかです。ヤマモモの自生が多い伊豆半島を旅行すると、あちこちの売店でヤマモモの土産品がありますね。