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日常考えたことを書きます

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年を重ねた先に超越が待っている 〜そうだなと思う

先週号の週刊文春の阿川佐和子の対談は、「小林武彦」氏でした。著書「生き物が死ぬわけ」は未読ですが、この対談を読んで読んでみようと考えています。


 その本は措くとして、対談最後の方に語られる高齢者たちの「幸福感」の話は興味を惹かれました。スウェーデンや日本の85歳以上の高齢者たちにアンケートをしたところ、
1 幸福感に満たされている
2 自己肯定的
3 他者に対して尊敬の念をいだく
4 宇宙や自然との繋がりを強く感じる

そういう気持ちのひとが多いそうです。これを「老年的超越」というそうです。


 阿川さんが小林氏に「なぜそうなるのか?」と問うていますが、お答えは
人間は反省する動物で、それを基に将来に向けて行動改善を努力してきた。しかし、超高齢者になるとやりたいこと全部やったから、もういつ死んでもいいという心境になる。だから成長は必要なく、反省も不要になる。後悔も反省もないという状態が、ある意味一番の幸福でないか
でした。小林氏は
「僕はまだその域に達してないから、あくまでも想像ですが」
と述べています。


 私はよくわかるな。小林氏もあと数年で東大・定量生命科学研究所の教授を定年退職になるはずですが、そうすればわかるでしょう。今の大学教員は常に評価対象で、あれが良くない、これを改善しろと言われ続けます。そして改善に向けての計画の立案にも時間を割かないとならないし、計画を実行した結果の評価がまた待っている。研究の評価というのは「常に他人との相対的な位置づけの確認」です「自分さえ納得していればOK」じゃ、研究費はいただけません。早い話が科研費の研究費申請書なんかもPDCAサイクルに則って書く流儀になってるから、もう四六時中そのストレスが掛かっているといっていいでしょう。はっきり言って疲れる。疲れないひともいるのかもしれないが、少なくとも私は楽しくない。ですから、上の超高齢者の心境は、小林氏と近い年齢ですが、よくわかります。


 小林氏はこうも言っています。
死が怖い人は、自分が死んだら周囲に迷惑をかけてしまうことを恐れている。なぜなら死んだらパートナーや子どもが悲しむので、それが困るから。
だそうです。これって、私はよくわからない。だって今まで永遠に不死のひとなんて居ないのだから。考えてみると、私の兄弟とか親は病気とか非常に恐れていて「死」の話題がちょっとでも出ると、ものすごく不愉快になるようです。私は高峯秀子のように「死ぬときゃ死ぬんだよ」と思ってるので、ああどうした、それが?と思ってしまうのですが。


 高峯秀子がトキの保護活動を難じて書いた文を引用して死を論じた日経掲載のエッセーを掲載しておきます。

日本では絶滅したはずの「トキ」を中国から借り受け人工繁殖したものを野生化させて自然繁殖したトキの巣から雛が何羽飛び立ったと大騒ぎです。江戸時代「トキ」は全国にいたらしいのですが美しい「羽毛」が災いして激減し絶滅してしまいました。小職が子供の時代には石川県の能登半島には僅かでしたが野生の「トキ」が残っており、佐渡ヶ島と共に二ヶ所、全国最後の生息地になっていました。最後に残った能登の「トキ」を佐渡ヶ島へ捕獲して移したりしましたが結局佐渡ヶ島で残った時も「トキ」も絶滅しました。たくさんいるときは「羽毛」を取っていたくせに減少して絶滅しそうだと言うと急に「保護」するようになるのは人間の身勝手だと思います。最近以前「トキ」が生息していた「能登」へ行くことが何回かありましたが「トキ」は「朱鷺の台」というゴルフ倶楽部の名前に残っているだけでした。今でも「トキ」ではありませんが姿、形の似た「白いシギ」が田んぼのドジョウを突いていました。同じ「能登」で「シギ」が野生のまま何ら「保護」を受けずに生き延びているのに「トキ」だけが絶滅したのには「トキ」にも原因があるように思えてなりません。


 厳しい批評家でもある大女優「高峰秀子」さんは「どうすんだ、そんなにトキを増やして、カモ南蛮の次はトキ南蛮でも食べるのか。わざわざ連れてこなくていいんだ。死ぬときゃ死ぬんだよ」とおっしゃったそうです。日本中が保護されて生まれた「トキの雛」の巣立ちを固唾を呑んで見守っているときに貴重な「金言」だと思いました。人間の「生活保護」も含めて他人に「保護」されるようになったら「おしまい」だと思います。保護を受けなかった「シギ」が生き残り「トキ」が絶滅したことは「死ぬときゃ死ぬんだよ」が最も相応しい表現のように感じました。「トキ」は生き延びる為に「生きているドジョウ」を飲み込み「雛」に与えトンビやカラスその「雛」を狙う、これが自然の摂理であり、ここに人間の助けがないと生きてゆけない者は「黙って消え去るのみ」なのだと思います。絶滅するとものにはそれなりの理由があるのだと思います。

 小林氏は横浜・日吉で育ったのに、なぜ慶應に行かなかったのかと、慶應卒の阿川さんが訊いています。「通勤電車が嫌いだったから」はまんざらウソでもなさそうです。あの頃は電車の混み具合の問題だけでなく冷房がなかったから、夏の通学・通勤は「地獄」でした。wikiによると、1982年神奈川県立外語短期大学付属高等学校(現神奈川県立横浜国際高等学校)卒業、九州大学理学部生物学科入学となっています。変わった経歴です。研究論文は知りませんが、DNAの構造やゲノム解析がご専門のようです。著書は早速読んでみたいと思います。