gillespoire

日常考えたことを書きます

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか2(8)〜日本の科学と大学

日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか2(1)〜理研CBS(BSI)の功罪
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか2(2)〜ヒトゲノム計画と分子生物学
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか2(3)〜コロナワクチン開発と日本
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか2(4)〜筋収縮の生物物理1
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか2(5)〜筋収縮の生物物理2
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか2(6)〜筋収縮の生物物理3
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか2(7)〜生理学の重要性


杉氏はこの著書で一貫して、現在の日本の科学政策を批判しています。最初の方で明治後期〜昭和初期の科学者の活躍を紹介したのも、今の日本の科学政策がいかにまずい状況に陥っているかを示すためと思えます。


 文部省から文科省への変遷
以前もゲノム計画推進で述べたように、旧科学技術庁は2001年に旧文部省と統合され、文部科学省(文科省)となりました。これは科学技術庁が原子力行政で隠蔽など数々の不祥事を起こしたことによる懲罰的な措置もあったと聞きます。そもそも科学技術庁は1956年に創設された新参の官庁でした。そのため文部省だけでなく、他の官庁の権限も科学技術推進に関して既得権を握っていました。wikiによると

実際の科学技術行政の大半は厚生省、農林省、通商産業省、運輸省、郵政省、建設省等の業所管官庁がすでに所管しており、科学技術庁の所掌事務は主に宇宙および原子力関係行政であった。組織および予算の半分以上は原子力に関するものであった。

となっています。その原子力行政で失敗したわけです。また科学技術庁の官僚に関しては以下のように書かれています。

官庁では次官職や局長職への就任機会の少ない技官を処遇するために設立された色彩も濃く、実際に、事務次官を筆頭とする本庁幹部職員の多くに技官が就任した。


もともと総合職で入る文系キャリアに比して不遇な理系の技官職を何とか救済する意味合いも、科技庁設立にはあったのです。こうなると文部省との統合で弱小官庁の科技庁の役人の運命は風前の灯火となったと考えるのが普通でしょう。ところがどっこい、科技庁の役人たちは文科省になってから研究系の部局を一手に握り、かつ研究の主体となる大学、特に国立大学の運営に関与し始めたのです。その中の最大の施策が2004年4月実施された「国立大学の独立法人化」です。


 国立大学法人の成立とその凋落
科技庁の役人が持ち込んだのは「競争原理」でした。民間企業と同じような効率化を目指し、独立法人化した国立大学に中期目標を決めさせ、その達成度によって「運営交付金」の支給をするというものです。科学研究と企業の効率化には違う側面があると思いますが、まあここまでは理解できる範囲です。ところがその後やってきたのが、「運営交付金」の削減でした。これは文科省というより財務省の施策のためですが、毎年どんどん運営交付金の削減をおこない、20年経った今およそ20%以上削減されました。まさに「二階に上がって梯子をはずされる」状況でした。国立大学の法人化を推進した有馬朗人文科相はまさかこうなると思っていなかったと後で悔いたようですが、財務省の高笑が聞こえてきそうな展開でした。運営交付金の支出で大きいのは「人件費」です。おかげで制度上存在するポストでも人件費がないため補充できなくなる事態が全国の国立大で、今も続いています。これでは大学運営が成り立ちません。慢性的に欠員補充がすぐにできない状態が、ここ10年ほど恒常化しています。


 競争的研究資金の導入
その代わりといっては何ですが、公募で募集する研究費の拡充がおこなわれたことになっています。実際には上記の運営交付金減額に見合っていないのですが、とにかく科研費などの競争的研究資金の増額はなされました。しかしここで旧科技庁の役人たちが暗躍して、「すぐに結果が出る研究」への集中投資が図られたのです。しかし科学研究には10年以上のスパンでみないといけない領域も多々あります。実際明治後期からの日本の科学研究はそういう効率化とは無縁な状況で、数々の成果を生み出しました。投入されたお金は明治期とくらべて莫大ですが、かえって科学研究が死に体になってしまったのでないでしょうか。


 大学人事での業績評価
上記とも関係することですが、大学教員の業績評価でのインパクトファクター導入の弊害です。インパクトファクターとはあるジャーナルに投稿された論文がどの程度の回数その後の他の論文に引用されるかという平均値を2年間で計算したものです(英語論文に限る)。本来はそのジャーナルの対外的評価という位置づけですが、今はそこに投稿された論文の価値と同等に扱われています。同じジャーナルに掲載された論文だからといって引用回数が同じになるはずがないので、奇妙な発想です。また引用回数が多くなるのは「トレンドに乗っている」論文です。2年間という短期で引用回数を評価するので当たり前ですが、当然トレンドに乗る論文を収録するジャーナルのインパクトファクターが高くなります。また研究者が多いトレンド領域の研究なら当然同業者の引用回数が多くなります。こうなると、インパクトファクターの高い論文を求めるのは「現在時流に乗っている研究」を求めるのと同じことになり、ファッション流行とそっくりです。目まぐるしく変わる流行の上に科学研究の進歩があるわけでないのに、猫も杓子も皆同じ方向に走り出す結果となります。今日Natureを中心にCellなどもシスタージャーナルを続々刊行して、論文取り込みを図っています。Natureに関していえば「商業誌」です。専門の学会を背景に持たず、まさに「時流に乗った」研究の紹介を展開しており、こういうジャーナルのインパクトファクターが異様に上がり、かつ研究者も無批判にそれを受け容れている現状はかなり異常です。研究者が研究の価値評価を他者に丸投げし、自分で判断していません。現代数学ほどではないにせよ自然科学の研究も専門化が進み、他領域の研究について理解しにくくなっているのは事実ですが。


 杉先生はこういう指摘をおこない、日本の科学研究が超近眼的な評価依存に陥り、奈落の底に向かっていると警告しています。杉先生は最後にその解決策を提示していますが、残念ながら紹介する気になりません。どれもこれもごもっともな提言ですが、今の日本で到底実行されそうもないからです。もはや精神論で鼓舞するのでは無理な状況になっています。


 杉先生の著作紹介はまる1年がかりとなってしまいました。とてもおもしろい本で、自分もいろいろ考える良い機会となりましたが、結論として明るい展望をますます持ちづらくなった印象です。


日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか 杉晴夫著 光文社新書 2022.04