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さて一番最初に述べたように杉晴夫先生は筋収縮の生理学を専門とされております。今回はその本分の筋収縮の生理に関する研究についての話題です。ですから杉先生は本書の中でも一番重視している内容でないでしょうか?


 しかしながら、ここの書き方はいただけません。杉さんはこれ以外でも自分と関係がある関係者の話題はイニシャルで表記していますが、意見があるならそういう仮名でなくはっきり記載すべきです。たとえ批判であっても、学問上の議論なら対象を明確にすべきです。O大学のA教授とB君とは以下です。
O大学=大阪大学・基礎工学部
A教授=大沢文夫氏(大阪大学基礎工学部教授、名古屋大学理学部教授 2019年死去)
B君=柳田敏雄氏(大阪大学基礎工学部教授 現名誉教授)


 問題となっているのは、「ミオシン頭部の運動の原理はどうなっているのか?」です。生理学の教科書をみると、筋収縮はアクチン格子をミオシン分子の引導で開閉する原理になっています。図は借り物で失礼します(「アナトミーストレッチ」より)。

この格子開閉運動はミオシン頭部の運動によりますが、多くの生理学の教科書は「ミオシン頭部の首振り運動」で説明しています(「mechanobio.info」より引用)。


この首振りは能動運動ですから、エネルギー供与が必要でATPを使用します。従ってミオシン頭部は一種のATPaseとして作用し(ATP分解酵素)、ATP分解で発生するエネルギーでアクチン格子を閉じる、すなわち筋収縮が起こると説明します。この首振り運動が舟のオール漕ぎに似ているので、「パワーストローク説」といいます。杉先生は基本的にこの説を採用しています。


 ところがこの通説に異論を唱えたのが、大沢文夫氏とその弟子柳田敏雄氏です。「ルース・カップリング説」です。柳田敏雄氏が示した解説サイトから引用します。


まずブラウン運動ですが、熱力学でいうランダムな粒子運動です。


コロイド粒子は、ランダムに起こる周辺の分子(水分子)の熱運動に押されて動きます。従ってコロイド粒子は水分子と衝突する度にジグザク当て所もない動き方をします。このコロイド粒子が上記のミオシン頭部に相当します。しかしそのままではミオシン頭部はアクチン線維の上をあてどもなく漂う運動しかしません。そこでATPのエネルギーが「1方向だけ」の運動選択に利用され、このブラウン運動からアクチン格子を締める運動が抽出されるという説です。この説だとミオシンとアクチンの接触はきわめて緩く、上記した「パワーストローク」みたいな機械運動になりません。そのためloose couplingloosely coupledという表現も欧米では使われている)というわけです。なるほど、こういう微細な分子の運動はブラウン運動の変形なのかと、はたと膝を打ちたくなる仮説です。


 ところが、杉先生は上記の柳田ルース・カップリング説は、「アメリカ・ヨーロッパでは、完全に否定されている。少なくとも信用する研究者はいない。」と断じています。杉氏は「2000年12月に米国の著名な学術誌に柳田説に重大な疑義を投げかける寄稿がなされた。その中で「柳田氏は魔術師なのかそれとも学問の撹乱者なの?」と問われている。」と記載します。柳田氏の肖像もデカデカと掲載されていると書いているので、調べました。そうしますと、杉先生の言とは違い、イギリスの著名な科学ジャーナルNatureに寄稿されている記事が見つかります。時期的にも内容的にもこれで間違いないでしょう。なおこの記事の著者デイヴィッド・シラノスキー(David Cyranoski)はNatureの編集者の一人で、中国・日本など東アジアの研究問題についての報道を得意とします。大阪大学・微生物研究所の杉野明雄教授の研究不正と助手・川崎泰生氏の自殺についても報じています。


「柳田敏雄氏は、筋収縮に関する従来の生物物理学的説明を否定している。 彼の技術的天才性を誰も疑わないが、彼が始めた議論は結果的にこの分野の発展を停滞させる可能性があるのか? デヴィッド・シラノスキーが分析する。」
(Nature volume 408, pages 764–766 (2000))


日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか 杉晴夫著 光文社新書 2022.04