gillespoire

日常考えたことを書きます

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

「池波正太郎が通った店」 〜通り一遍の礼賛でない点に共感

「京都大とノーベル賞」 〜脈々と続く京大医化学教室の伝統


池波正太郎はもちろんのこと時代小説で有名な作家です。しかし、私が池波の本で読むのは随筆関係、特に食に関係したものです。小説の方も手に取ったことがありますが、あまり読む気になれませんでした。ご免なさい。おもしろいと思う方はどの辺がおもしろいのか、ご教示いただけると嬉しいです。そういう失礼な読者ですが、今回の本は池波自身の著作ではありません。馬場啓一という方が、池波正太郎が過去に紹介した店を訪ね歩き、自分の感想を簡潔に記した本です。


 まず驚くのは池波正太郎が紹介した150以上もの店を、馬場氏は丹念に調べていることです。食べ物やさんは流行り廃りが激しいです。飲食業に従事する友人に聞くと、「個人営業で10年以上続く飲食店はかなり少ない」とのこと。飲食といってもジャンルによると思いますが、私が20代のころに行って良いなと思った店で40年後の今も営業している店なんて、片手の指に足りません。跡継ぎもいるようだし続くだろうと思った店でも、新型コロナの流行期にあえなく姿を消したところもあります。そういう意味で馬場氏の増補版の調査で、110店近くが残っているというのは相当なものです。池波は食に関してやはり慧眼であった証しかもしれません。


 馬場氏の紹介でおもしろいのは、池波正太郎の評価を必ずしも手放しで受け入れているわけでない点です。例えば神田スズラン通りにある「揚子江菜館」。この店に関して馬場氏の評価はきわめて低いです。焼きそばを注文してがっかりしたことを率直に書いています。実は私もまったく同感。この店で2度ほど焼きそばを食べた経験がありますが、まったく旨くなかったです。呆れてしまって、ここ30年以上入ったことがありませんが、今も変わらないと思います。馬場氏は「作り置きしているからでないか」と推測していますが、確かにもっちゃりした舌触りだったことを僕も憶えています。外装に京劇の扮装姿をあしらい瀟洒なビルですが、残念です。


 同じ神田の須田町にある「ぼたん」は懐かしい。お得感のあるお値段でとりすき焼きを腹一杯食べさせてくれます。ただ入れ込み式の座敷が、今はややきつい。座っていただくのは、私も膝を悪くした関係で難行です。でもまた行ってみたい店です。都内の店は圧倒的に下町が多いです。池波の自宅との関係もあるのでしょうが、彼が下町のくつろいだ雰囲気を好んでいたのは間違いないでしょう。最近の週刊誌などの食べ物やさん紹介は、圧倒的に山の手が多いです。それも恵比寿、西麻布、広尾とかのごく限られた地域の店ばかりで、こちらには遠いし敷居が高く感じられる(値段はそれ以上に高く感じられる)店ばかりで、「最近の取材ってなんでこうも偏っているんだろう」と嘆息するばかりです。


 地方の飲食店も紹介されています。ほとんどが京都・奈良・大阪の関西方面で、あとは金沢や名古屋が少し。東北・北海道や九州方面はゼロです。これはおそらく池波正太郎が小説のための取材で訪れた地域の店だからでしょう。池波の食の好みを考えると、東北には案外彼が好きそうな店が多いと思うのですが。


 地方の店で紹介される中で、私が惹かれるのは京都の「萬養軒」です(池波は「萬葉軒」と記載している)。京都にある老舗のフランス料理店です。実はこの店、名前だけは随分前から知っています。というのは大学時代に生化学の特別講義で来られた、京都大学医化学教室の教授だった早石修先生が、この店を特にごひいきにしていたと聞いたからです。早石先生の弟子のひとりであった母校の教授は、「先生に御礼をする時の接待は、絶対に萬養軒でないと駄目なんだ。」と仰っておりました。私は今に至るまで行ったことがありませんが、いつか必ず行ってみたいです。今は移転して「祇園萬養軒」というそうですが、コース料理のみしか承けないと書いてあります。何となく衰退に向かっているのでないかと感じますが、それでも一度は早石先生のごひいきに行ってみたいですね。


 馬場氏はよくもこれだけの数の店を取材したものだと感心します。自分はとても全部は行けないでしょうが、もう少し仕事が楽になったら、このガイドを手掛かりに閉店になる前に訪れてみようと思います。


 
「池波正太郎が通った店」馬場啓一著 いそっぷ社 2021.11.30