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欧米流への憧れ やめよ 〜慶応義塾長 伊藤公平氏


読売新聞の論壇「あすへの考」で、今回は慶應義塾塾長の伊藤公平氏です。伊藤氏は慶應を幼稚舎(小学校)から過ごすいわば慶應の生え抜きですが、理工学部の大学院卒業後1992年カリフォルニア大学バークレー校より修士号(材料科学)取得、1994年同カリフォルニア大学バークレー校より博士号(材料科学)取得とアメリカ留学を経験しています。その後ローレンスバークレー国立研究所特別研究員を経て、1995年理工学部助手となりました。2007年教授となり、さらに2017年理工学部長、そして2021年5月慶應義塾塾長に就任しました。塾長就任時55歳で、近年にはない若さで塾長になったことも注目されました。


米国の大学院で博士号を取得し、日本で量子コンピューターを研究してきた慶応義塾大の伊藤公平塾長は「本当の危機は、欧米の指標や価値基準で自分たちの研究や大学を評価していることにあるのではないか」と疑問を投げかける。欧米流の競争社会を後追いすることばかりに目を奪われ、コツコツ努力して協調する日本社会の長所を見失っていると指摘。日本の価値観に基づいた社会・教育システムを作り上げることが、大学、ひいては日本の危機を脱する方策になると訴えている。

日本の基礎科学力は半導体の産業化以前から、非常にレベルの高いものでした。自然科学分野で日本人研究者が数多くの発見や発明を行い、ノーベル賞の受賞を続けていることがこれを裏付けています。日本人の多くが真に受けた「創造性がない」とする批判は的外れです。

〜中略

結局、欧米の批判や価値基準で自分たちを評価し、欠点ばかりに目を向けてしまっているのです。


 そもそも日本と米国では価値観が大きく異なります。

 イソップ童話「ウサギとカメ」は、日本では、昼寝して怠けたウサギに比べ、たゆまずに進んだカメが主役とされます。才能ではなく努力で勝つという話です。一方で、米国では、足の速いウサギが、遅いカメになぜ負けたのかという視点で語られます。導かれる教訓は「相手を見くびるな」。つまり、ウサギが主役なのです。

 今、日本が追いつこうとする欧米の競争社会は、優秀な「ウサギ」が主役となり、国や経済を引っ張る社会です。伸びる子は徹底的に伸ばし、格差は気にしません。企業の従業員は主役となれる場を求めて転職を繰り返し、成績が悪い場合は解雇されます。世界中の優秀な「ウサギ」が集まる環境整備が優先されます。

 競争社会が悪いと言っているわけではありません。ただ、このような価値観が日本になじむのでしょうか。

科学界では競争することによって、より高度な研究が生まれるという考え方は日本でも暗黙の了解です。伊藤氏はこの潮流に真っ向から疑問を投げかけています。

私は米国の大学院で学び、慶応大で95年から教職に就き、欧米と日本の違いを約30年間見てきました。私の研究室は留学生が半数を占め、当初は、米国で経験したような実験装置を奪い合って研究する貪欲な実力主義の集団になると思っていました。

 

 しかし、日本人の学生たちは、留学生が加わる度に、学生証の受け取り方から買い物の仕方まで教えました。実験装置も順番を守って使います。すると、留学生たちも感化され、同じように後輩の面倒を見て、日本人の英語の論文執筆を手伝うようになりました。空気を読んで和を保つ文化も身につけます。ラグビーの日本代表のような、日本流を保ちながら 切磋琢磨 する研究室になったのです。


 結局、日本のスタイルは「和をもって貴しとなす」の精神であり、コツコツ努力する「カメ」の姿勢だと感じました。一歩一歩階段を上り、気がついたら誰よりも高い頂に立っていたという「カメ」的な美学は日本の真骨頂ではないでしょうか。「ウサギ」が成功モデルとは限らないのです。


 少子化や研究力の低下など様々に指摘される大学の危機ですが、その根本は、大学の存在意義を教職員や学生らが共有できず、論文の被引用数やランキングなど「ウサギ」用の指標で自分たちを評価してしまっていることです。

慶応義塾を創った福沢諭吉は、開国したばかりの日本で「非西洋国の近代化」を実現する方策を模索し、欧米と日本の長所・短所を指摘し続けました。今の私たちも欧米の価値基準をただ後追いするのではなく、自分たちの価値基準に基づき、競争と協調を組み合わせた社会・教育システムを新たに作る必要があると考えます。


 例えば、「カメ」に必要なのは「好きな科目や趣味が追究できる」「そのことが尊敬される」「得意分野を互いに教え合う」環境です。学年別で学習内容が固定され、個別に進んだり、とどまったりできない義務教育は改善が必要です。また、大学では、コツコツ努力する「カメ」型の留学生を、世界中から推薦してもらう方策や評価する指標があればいいと思います。欧米視点の大学ランキングに参加し、「ウサギ」型の学生を奪い合うことが得策なのか疑問です。

確かに伊藤氏が言うように「一歩一歩階段を上り、気がついたら誰よりも高い頂に立っていた」なら理想的に思います。しかし、先例がないので、現時点では何とも言えません。ちなみに、伊藤氏自身の研究者としての評価はwikiによると、こうなっています。

物理学者としては日本の量子コンピューター研究で先駆けの一人[2]として知られる。共著を含めて300編超の論文を執筆し、被引用数は慶應義塾長就任の2021年5月28日時点で8,329回、科学者の研究に対する相対的な貢献度を示すh指数は44[5](なお、2005年までの20年間にノーベル物理学賞を受賞した研究者のh指数の平均値は40程度と言われる[6])。

自分は完全に専門外ですが、相当頑張っているのでないでしょうか。慶應は早稲田と違って「国際卓越研究大学」には応募していません。これについてどう考えているのか。こちらは、「朝日新聞Thinkキャンパス」からの引用です。

――慶應義塾大学は文部科学省の「国際卓越研究大学制度」に応募しませんでした。10兆円規模の大学ファンドで研究支援を受ける制度ですが、東大や京大も応募した中で、結果的に東北大学が初の認定候補に選ばれました。なぜ、慶應は応募しなかったのですか。


意図的に応募しなかった一番の理由は、慶應の研究は7割が人文科学、社会科学系だからです。

私たちは、国が国際卓越の研究大学をつくること自体には賛同しています。ただ、そのやり方を学内で徹底的に議論する中で、いまある理系を中心に大学の姿を示す形では、慶應のフルパワー、スポーツに例えれば本当のオールスターを使えないという結論になりました。一部の選手だけを使って応募して、もし通ったとしても、それが「慶應義塾国際卓越研究大学」です、と我々が定義するのは避けたかったのです。


――それでも長期にわたって年間数百億円の助成を受けられるのは大きなメリットではないですか。年3%の事業成長が難しいという判断もあったのでしょうか。


これだけの支援金は、慶應としてもほしいですよ。3%の事業の成長はそれほど大変ではありません。我々は通常も基金の運用などは行っていますからね。それよりも、国際的に何を卓越と評価するのか。政府からの評価ではなく、世界からの評価に関して、慶應はどこで卓越を狙うのか。 慶應全体のフルパワーを出せるようにするには、どうするのがいいのか、ということです。もちろん、その議論は今も続いています。

確かに国際卓越研究大学の視点は理系、特に理工学と医学に大きく傾いている印象があります。またそれ以前にこの制度は明確に政府による大学コントロールを目的としており、私学にはまったく馴染まないと私は考えます。ただ伊藤氏は「意図的に応募しなかった一番の理由は、慶應の研究は7割が人文科学、社会科学系だから」と述べているものの、伊藤氏が指名した塾常任理事10名中、3名・医学部、1名・理工学部出身と従来と比べて理系出身者の割合がかなり多くなりました。


 また大学入試についてはこのように述べています(同じく朝日新聞Thinkキャンパス)

——国の施策とどう向き合うかという点に関しては、慶應は大学入学共通テストに参加していませんが、どうしてですか。また、AO入試をいち早く導入した大学ですが、総合型選抜についてはどう考えていますか。


共通テストは「世界共通のテスト」ならいいのですが、例えば偏差値にしても日本の中だけで見たときの数値です。我々は世界に視野を広げて、中長期的な将来を考えながら、どんな入試がいいのかを議論しています。総合型選抜は文学部、法学部などで行っていますが、我々は学問の府ですから、根本になる学力を測るシステムをいかにつくるかが重要だと考えています。

予備校が実施する模試の偏差値は、ここ数年ほど慶應に対して早稲田がやや優位になっており、入試改革に意欲的な早稲田の姿勢がかわれているとも言われます。伊藤塾長が推進する塾の改革が成功するかどうか、その評価にはまだ数年以上かかるでしょう。是非輝ける塾の将来を切り開いていただきたいと思います。