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佐々木 直亮(ささき なおすけ)先生(1921年-2007年)

佐々木直亮先生の存在を知ったのは、今から10年くらい前で偶然弘前大医学部のサイトで見つけました。衛生学という医学部の中でも地味な分野ですが、今は公衆衛生学と統合されることが多くなったようで、弘前大医学部でも社会医学講座といいます。弘前大が新制大学となり、「新八」に属す医学部が進学課程を設置していよいよ始動をした時期の1956年に教授として就任されています。それから定年まで実に30年近く在職されていたわけで、医学部でもこれだけ長く教授職に就く方はかなり少ないと思います。
 私が興味を持ったのは、幼稚舎から慶應義塾で学び大学医学部を卒業した佐々木先生がなぜ弘前に赴任したかです。旧制青森医学専門学校の時代に前任の衛生学教授として、高橋英次先生が着任していますが、この方は東北帝国大医学部の出身です。高橋先生が佐々木先生に声を掛けて、助教授として着任したようですが、正直よく行ったなと思います。1950年代半ばで青森といえば、急行でも上野駅からゆうに12時間はかかったでしょう(調べたら、それ以上でした)。今のように飛行機や新幹線が通っていたわけでなく、東京からみて遥か遠隔の地です。生粋の慶應生でしかも三田で生まれた佐々木先生が、いかに要請があったとはいえ、誰1人として知り合いがいない弘前まで赴任するとは相当な勇気です。一生そこに住み骨を埋める覚悟でないとできないことで(実際そうなりましたが)、ご家族とも決める前に相当話し合ったことでしょう。
 佐々木先生の弘前大赴任は、おそらく「医事振興会」と関係していると思います。医事振興会は慶應医学部の衛生学・公衆衛生学に関係した学生団体で、今も僻地医療に関して調査活動をおこなっています。今の「医事振興会」ツイッターを見ると1950年代に活動を開始したように読めますが、第二次世界大戦前から活動歴があったと私は聞いています。佐々木先生は1936年に満州開拓修練生として、満州国北安省に短期ですが滞在しています(現在の中国東北部の黒竜江省北西部)。佐々木先生がまだ医学生の時ですが、おそらくこの頃の活動が医事振興会の源流でないかと考えます。佐々木先生はこの頃から血管障害に多大な興味があったようで、熱心に研究データを集めて学会などで発表されています。戦前から脳卒中など血管障害の患者が多かった東北の地は、佐々木先生にとっては格好のフィールドワークの場と見えたのでないでしょうか。遠隔の地としても、戦前の中国東北部と比べたら大したことはなかったかもしれません。


 佐々木先生は今もネットの上にたくさんの随筆を残されています。おそらくその多くがご子息の佐々木修氏のご好意によるものでないかと思いますが、いつまでそれらが見られるかわかりません。関係者の手でなるべく早く収集保存するのが望ましいと思います。何せ最近弘前大に慶應から赴任した呼吸器内科の教授が、「弘前大には慶應の関係者は今までいなかったようだ」などと書いており、このままでは偉大な先輩の佐々木直亮先生の業績が、雲散霧消してしまいます。


佐々木先生は衛生学の研究活動の場としてだけでなく、こよなく青森の地を愛されたようです。昭和時代の雪深いこの地での庶民の生活を沢山写真に撮られています。今となると、これらはとても貴重な資料でないかと思います。佐々木先生の活動記録を見て、これからも多くの卒業生が、世界のさまざまな場に勇躍して多彩な活動をするよう、強く願っています。

胡桃(くるみ)

今朝のNHKの「うまいッ!」は長野・東御市の胡桃でした。冒頭、「日本で食べられる胡桃で日本産は1%しかない」と紹介されていて、「ああ、やっぱりそうだったのか!」と思いました。
 この前「ごりの佃煮」でお話しした金沢のお店は、胡桃のあめ炊きも販売しています。50年前に送ってもらった佃煮の中にあったくるみのあめ炊きは「オニグルミ」でした。鬼胡桃の存在は、その佃煮詰め合わせにあったパンフレットで初めて知りました。東御市などで普通に栽培される「シナノグルミ」は西洋種と中国種の雑種で、実が大きく割りやすい種類です。50年前のパンフでは「オニグルミは野生種で、身が小さいが美味しいものである」と書いてありました。確かにあめ炊きにしても独特な香気が残っており、かすかな苦みとともに特別な胡桃なんだなあと思った憶えがあります。今の金沢の胡桃のあめ炊きは、残念ながら普通の胡桃すなわちシナノグルミです。オニグルミの身は小さく、ハート型をした発生途中の脳のようでした。その点シナノグルミはヒトの成人脳の脳回のように凹凸が細かいですね。胡桃全体でも国産胡桃が1%なら、オニグルミのあめ炊きは商売として難しいでしょう。オニグルミは殻が大変固いと書いてあったので、昔のオニグルミのあめ炊きは大変に貴重なものだったのだと、今にして思います。


 さて、番組では胡桃の収穫が紹介されていました。乾燥させて熟成すると美味しいようですが、生の胡桃はあまり日持ちしないと紹介されていました。生で食べられるのは数日ということですが、そうだったのか!10月末から11月はフランスでも生の胡桃のシーズンです。大学院時代の指導教授がパリに来た時、パリ第五大学の教授が我々を昼食に招待してくれました。サンジェルマン通りに面したレストランだったと思いますが、前菜として出たのが「胡桃のサラダ」でした。フリゼと呼ぶ野菜(苦チシャと日本では言いますが、細かく縮れているのでこの名がある)の上に、生の胡桃・洋梨そして青カビチーズのロックフォールは掛かっていました。実に美味しいサラダで、フリゼの苦みに3つの味わいが混然となり、「これがフランス料理か」と思いました。特に生の胡桃の苦さがフリゼの苦みと合わさって、まさに大人の味でしたね。
 その頃はパリでの生活にまだ慣れておらず、夜帰宅しての食事もRU(restaurant universitaire:大学食堂)に世話になることが多かったです。さすがに飽きてきた週末、初めて食材を買いに近くの店に行った時、偶然この生の胡桃が目に入りました。女主人が「今は、これのシーズンですよ」と勧めることもあって、早速洋梨やチーズと一緒に買いました。クルミ割りはどうしたんだか忘れましたが、とにかく割ってサラダ再現です。美味しい。チーズはロックフォールみたいにピカンテに限ります。簡単にできるので、その後何度もつくりました。フランスでは当時からポピュラーだったマンゴーを洋梨の代わりに使ってみましたが、これも良かったです。


 胡桃は日本全国にあるようですが、どちらかというと北のイメージです。今夏の北海道旅行で網走監獄に行った時、構内に胡桃の木がありました。家族から「これ、何の木?」と訊かれ、ヌルデみたいな葉を見て「胡桃」と即座に返事しました。半信半疑そうな顔だったので、地面を探すとすぐに去年の胡桃の殻が見つかりました(家族に面目が立ちました)。盛岡は胡桃の美味しいお菓子が多いですね。盛岡というと宮沢賢治ですが、彼の童話「銀河鉄道の夜」に化石の胡桃の話が出て来ます。「プリオシン海岸」で化石となった胡桃の実をカンパネルラとジョヴァンニが見つけます。これ、賢治が実体験として北上川で見つけたオオバタグルミのことですね。オオバタグルミは北半球に広く分布していましたが、今から100万年前くらいに絶滅しました。化石としてしか見つからないのですが、日本では宮沢賢治が初めて発見したそうです。このオオバタグルミは原性種の胡桃より相当大きい実のようで、「銀河鉄道の夜」にこんな記載があります。


「おや,変なものがあるよ。」カムパネルラが,不思議さうに立ちどまって,岩から黒い細長いさきの尖ったくるみの実のやうなものをひろひました。「くるみの実だよ。そら,沢山ある。流れて来たんぢゃない。岩の中に入ってるんだ。」「大きいね,このくるみ,倍あるね。こいつはすこしもいたんでない。」「早くあすこへ行って見よう。きっと何か掘ってるから。」二人は,ぎざぎざの黒いくるみの実を持ちながら,またさっきの方へ近よって行きました。


 日本ではその後オニグルミと置き換わったようですが、なぜ絶滅したんですかね。マンモスの化石と一緒に出土することもあるという記載があるので、今の胡桃より寒冷地の気候に適していたのでしょう。氷河期の終わりとともに、マンモスなどの寒冷地大型獣と一緒に絶滅したのでしょうか。


 そろそろ近くの駅のJA物産店でも、胡桃が出回る時期となりました。あれ、フランスみたいに生で売ってくれないかな。残念ながらいつも火が通ったもので、生胡桃の味を知る者にはちょっと残念です。でも鮮度が良いからきっと美味しいサラダができるでしょう(日本はフリゼが手に入りにくいですが)。またつくってみますか。

明石焼き




 関西は「こなもん文化」と言いますが、この「明石焼き」はどの程度の浸透度なのでしょうか?たこ焼きの亜種ですが、関西でもたこ焼きほどポピュラーなようには見えません。


 僕が明石焼きという食い物の存在を知ったのは、かれこれ40年近く前だと思います。何かの食い物の本に、「明石焼き」が紹介されていました。おおよそたこ焼きみたいなものだが、卵が入った生地でふんわりしている。しかもそれをソースでなく、薄口の出汁でいただくと書いてありました。「へえ、どういうものか知らんが美味そうだな。一度食ってみたい」と思いました。30代になってから、神戸は時々学会で行く機会がありました。明石焼きは大阪より神戸で多いと聞きましたので、ま、きっとその辺にたこ焼きの店のようにあるのだろうと思いました。ところがどっこい、そうそう見掛けません。しかも外に食べに出るのはだいたい夜ですから、わざわざ明石焼きを探すよりとりあえず居酒屋系に行く方が先決だったこともあり、いっかな明石焼きを食べる機会がなかったです。そのうち神戸の学会も行かなくなり、明石焼きは現実からすっかり遠ざかってしまいました。
 しかし「明石焼き、どんなものだろうか。卵の入った生地ということは薄黄色をしているのだろうか。出汁に入れたら、上品なお雑煮みたいな味わいになるのだろうか?」と、空想というか妄想というか、頭の中で「明石焼き」のイメージが年を追うごとにどんどん膨らんできました。
 今夏久しぶりに関西に行く機会がありました。今回は仕事でなかったので、昼から外で食事できます。今回は何としてでも、明石焼きを食いたい!久しぶりに明石焼きを思い出し、新神戸に着く前から、明石焼きの店を検索しました。そうしますと神戸に明石焼きの店が多いといっても、犬も歩けば棒に当たる式に何処でもある訳でないことを知りました。しかも駅周辺というより、ちょっと歩く街中に多いことも初めて知りました。で、その中で「たちばな」という店が有名そうだとわかりました。よっしゃ!ここだ!


 新幹線を下車して地下鉄でJR三宮駅に向かいます。そして三宮駅から元町駅に着いて降りると、死ぬほど暑い。しかも蒸し暑い。歩いているとくらくらしましたが、何としてでも今回は明石焼きをGET!という思いで、歩きました。関西の商店街は東京方面ではあまりなくなった、庶民的な気安さがあります。気取らず、控えめな街並みで、「ふーん、街も薄味テイストなのかな」と思いました。「たちばな」はすぐ見つかりました。待ちに待った明石焼き!ここはほぼ明石焼き専門店で、先客たちも皆明石焼きです。下駄を履いたまな板みたいな木板に、薄黄色の明石焼きがずらりと並んでいます。それを横目で観察しながら、「うむ、想像通りだな」と思いました。我々の明石焼きもそう待たずに出て来ました。お出汁も添えられており、テーブルにあった説明を読むと出汁に浮かぶ緑色はネギでなく、三つ葉だそうです。早速、いただきます。ふんわり大ぶりな生地で、咬むと歯切れ良い蛸が出て来ます。お出汁の具合は何とも言えず、生地に馴染みます。「嗚呼、想像していた通りの味!」と思わず心の中で叫びました。10個に並んでいますが、あっと言う間に完食。今度いつ食う機会があるかわからないので、お代わりを注文(太るわあ)。「関西人はこんな美味いものを、いつも食ってるのか。ずるい!」と思いながら、ばくばく食いました。


 明石焼き、どうして東京で出してくれないのでしょう?こんなに美味しいものなら、爆発的に売れるのでないか?と思うのですが。しかし、関西でもそんなにあちこち店がある訳でないので、好む客層はある程度限られているのでしょうか。だれかご存じなら、是非教えていただきたいです。