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震災に想う


都区内マンションの高騰 〜都心マンションに住みたがる心理がわからない
2024能登半島地震 〜他人事ではない


今朝駅に降り立つと、このところの暖かさとは一転してすっと冷気が忍び込む肌寒さでした。薄曇りの朝焼けに、「もうあれから12年経つのか」と感じます。あの日も東京にしては寒く、薄曇りでした。1週間前あった地震と同じようなゆっくりした大きな揺れで始まりましたが、全然止まらない。それどころかますます強くなる一方で、「ただ事ではない」と机の下に潜り込みました。しかし足がどうしても入らず、「天井が崩れて来たら助からんな」と思ったのを思い出します。


 今朝のNHK「こころの時代」は、「あなたに伝える物語~阪神・淡路大震災28年 ある家族の記録~」でした。阪神淡路大震災で被災し、1歳半の息子を亡くした高井千珠(ちづ)さんのドキュメンタリーです。夫が大阪である結婚式に出るため、一家で西宮市の実家に週末山口から戻り、その週末明けの火曜早朝に地震はありました。双子の妹は生き残れたものの、兄の将君はタンスの下敷きになって死にました。ビデオを見ても可愛い盛りの兄妹で、思わず涙が止まらなくなりました。うちの子供達がもしあのような小さい時に不慮の事故で死ぬことがあったら、もう立ち直れないくらいの衝撃を受けただろうと思います。しかし、生き残れたひとたちはその後の人生を送っていかなければならないです。高井さんご一家が、その後も現在まで癒されることがない心の傷を抱えながらも生きてこられたことに深く共感しました。


 東日本大震災では本震後も、ほとんど毎日のように大きな余震が続き、生きた心地がしませんでした。長野県とか富士山とか、東日本大震災の震源から遠く離れた地域でも大きな地震が起き、「もう東京はもたないのでは」と思ったのを思い出します。大きな地震が起こる度に寝室に家族全員集合して収まるのを待ちました。あの頃は悪夢の連続でした。地震で大きな山津波が起き、子供が土砂崩れした崖の中に埋まってしまい、赤土を手で必死にかき分けて探す夢は、何度も見ました。心が張り裂ける思いで何か叫んだ瞬間に目が覚め、静かな夜の中なかなか息が静まりませんでした。


 「こころの時代」の最後で、高井千珠さんが「(亡くなった将君に)会える日のために生きている。会ったらぎゅーっとするから逃げないで」と語っています。「会える日」とは高井さん自身が死ぬ時。高井さんが娘の悠さんと歩く姿には何とも言えぬ哀しみを感じるとともに、それでも幸せな人生を送ってほしいと祈らずにはいられませんでした。


 東日本大震災から12年経ち改めて思うのは、平凡な日常生活がいかに大切かということです。我々ひとりひとりの人生は大きな宇宙からみれば、存在しないにも等しい微小なものです。そもそも人類が将来死滅したら、ひとの喜びも悲しみも無かったも同然です。そういう儚いものであるからこそ、そこに生きるひとは自分の人生を自分のために充実させないとならないと考えます。