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刀伊の入寇 〜YOUは何しに日本へ?

半年くらい前に週刊新潮で保守派の論客高山正之氏が「大陸から日本への侵攻は元寇が初めてではない。その前の平安時代にも刀伊(とい)が大陸から来て九州に侵攻し、平安貴族制を大いに揺るがした。」と書いていました。私、日本史が好きでなかった、というか高校時代に日本史を教えられた社会科教師のせいで食わず嫌いになっており、この史実もまったく知りませんでした。


 最近「刀伊の入寇」という新書を購入して読みましたが、色々な意味でびっくりしました。まず藤原隆家を中心に軟弱と思われがちな平安貴族が兵を率いて、果敢な戦闘をおこなったことです。11世紀初頭でまだ摂関政治のまっただ中ですが、武士の時代となる鎌倉時代以前から日本は決して軟弱な文人体制ではなかったのだと知りました。実際東日本では平将門の乱など武力蜂起もたびたび起こっていましたから、平安時代が決して安穏な世界ではなかったせいでしょう。他にも色々な史実が書かれているのですが、何せ私は高校日本史の不勉強が祟って、なかなか理解できません。


 私が興味を持ったのは刀伊の出自です。当時高麗だった朝鮮の半島東側を伝って対馬、九州と来た刀伊は、今の沿海州辺りから来たようです。刀伊とはすなわち「東夷」のことで、中国からみて東側にいる蛮族のことです。当時の中国は唐が滅んだ後五代十国を経て宋(北宋)になっていました。久しぶりの漢人による統一国家ですが、北方民族の制御には苦しんだようです。この北方民族の中で比較的東側に位置したのが女真族です。女真族が史実に記される国家をつくったのが「渤海」ですが、10世紀前半にその西側に勃興した契丹に滅ぼされてしまいます。しかし女真族が部族としてなくなったわけでなく、契丹に服従した「熟女真」と昔ながらの狩猟生活で契丹に馴染まない「生女真」がいました。熟とか生とか食べ物みたい。刀伊はおそらくこの生女真族が編成した航海部隊のようです。で、刀伊は何をしに来たのか?朝鮮半島の東岸地域でも散々略奪を繰り返しながら南下したようですが、要するに「奴隷の確保」でないかと思いました。牛馬や人の殺戮もおこなっていますが、住民を大量に連れ去ったことが目を引きます。しかも朝鮮半島を北上する過程で新たに頑強な朝鮮人を捉えると、役に立たなさそうな日本の女性などは海に投じられたと出ています。これって、北朝鮮が日本人を拉致した時、老人や抵抗するひとを殺したり海に投じたりしたのとそっくりだと思いました。狩猟民族の女真族にとっては、異人も「狩りの対象」でその売買は生計に重要だったのでしょう。結局刀伊は反撃準備をしていた高麗水軍に壊滅させられ、敗走していきます。この後は二度と日本沿岸に刀伊は来なかったのですが、元寇前にこんな侵略があったとはまったく知りませんでした。


 女真族は東シベリアからオホーツク・沿海州にわたって居住するツングース族の一派です。おそらくもともと東シベリアが故郷で、ユーラシア東岸に達して海洋進出も強めたのでしょう。私が気になるのでブログ最初で述べた北海道のモヨロ貝塚の住人です。「オホーツク人」と呼ばれるアイヌとはまったく違うオホーツク沿岸に渡来した海洋民族です。彼らの出自は今もはっきりしませんが、5世紀から13世紀頃まで続いたと言われます。もしかするとこれもツングース系女真族で、北方から北海道に渡った航海部隊かもしれませんね。


「刀伊の入寇」関幸彦著 中公新書 2021.8