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慶応義塾の研究 〜医学部に内部進学できるのはどんな学生か?

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日刊ゲンダイの記事です。塾高が今夏の高校野球大会で優勝したことが前振りで使われています。慶應義塾大学の教養部がある日吉キャンパス内にある慶應義塾高校(塾高)は男子校で、とにかく生徒数が多いです。


夏の甲子園で107年ぶりの優勝を果たした慶応義塾高校(通称「塾高」)。4カ月近くたった今もOBたちの興奮は冷めず、60代の慶応大文系教授は同級生と一杯やれば必ず「慶応の応援歌『若き血』を合唱してバンザイで締めくくる」と話す。

そうそう、今年はものをよく知らない関西地元民や関係者でないと覚しきひとたちを中心にやたら叩かれましたが、優勝の快挙には塾高生でなくても爽快な気分でした。ありがとう!


この塾高、かなりのマンモス校。1学年18クラスもあり1クラス40~43人。全校生徒数は2200人にもなる。男子校なのですべて男である。文系教授が在学していた70年代後半は2400人いた。


「私より15歳以上、上の世代になってくると1クラス50人超。その時代も1学年18クラスだったので2700人を超えていた。当時の東横線は朝の時間帯、下りでも塾生たちでラッシュになっていたそうです」


?そんなにいましたかね?日吉に通う慶應の大学生たちも相当な数だから、東横線内でそんなに塾高生ばかりとは感じませんでしたが。


塾高のもうひとつの特色は毎年、相当数の留年者が出ることだ。清原和博氏の次男で甲子園の優勝メンバーの清原勝児内野手も高1を2度やっている。練習に打ち込みすぎてわずかに単位が足りなかった。現在2年生だが、規定で来年は公式戦に出場できない。


「けっこう当たり前に落第するので、みんなそれほど深刻にはとらえていない」と話すのは20代OB。たとえ留年しても「よほどのことがない限り」ほぼ全員が慶応大に内部進学する。“よほどのこと”とは2年続けて落第するケースだ。そうした生徒には「おっぽり」(=おっ放り出す)と呼ばれる退学処分が下される。以前はわざと留年する生徒も。


慶應の附属校は日吉の塾高に限らず、志木高でも留年生は割合います。女子高はまずいないと思いますが(女子だから)、藤沢はよく知りません(多少いるのでは?)。ただこれは高校ばかりでなく、中学相当の中等部や普通部でも普通に留年生はいます。中学や高校で「落第」は普通の学校では考えられませんが、慶應では普通。それでも最終的に大学進学の推薦をもらえればいいのですが、それがかなわず留年の末に退学、あるいは転校する生徒もいます。


 さてこの記事の本題は上のコメント最後の「以前はわざと留年する生徒も。」です。これは成績が不振で落ちる一般の留年生ではないのです。


「医学部への内部進学の権利を得るために3年生の途中で休学届を出して留年する生徒が同級生の中にけっこういた」と証言するのは前出の文系教授だ。70年代後半、私大最高峰の慶応大医学部に塾高から内部進学できるのは28人。理系の成績上位者から埋まっていき、見込みがなさそうだと判断すると、その年はあきらめ翌年に勝負を懸けるのだ。「由々しき事態に学校側も82年度以降こうした医学部留年を一切認めないようにした」(塾高関係者)という。


 我々の頃、塾高から内部進学で医学部に進学する生徒のほぼ半分が「留年組」だったのです。詳しくは知りませんが、塾高からの内部推薦は高校3年の成績が重視されていたようです。そのため、高3の1学期時点での成績が思わしくなく、医学部推薦が微妙なラインにいる生徒は、「急遽、病気になり」2学期以降を休学して出席数不足で留年するわけです。そして翌年度「病気が治り」復学して、高3をもう1回繰り返して成績を稼ぎ、医学部推薦を勝ち取るということです。


 しかし、こういう慣行は望ましくないといことになり、1982年度以降塾高での病気による休学は「慶應病院で診断書が出た者のみ」となりました。これで事実上、留年による医学部推薦狙いは途絶しました。当時、一般受験だと慶應医学部に限らず東大理科三類や京大医学部でもほぼ半数が浪人生でした。ですから塾高からの医学部進学者で半分が事実上の浪人組であっても別に目立ちませんでしたが、さすがに高校の教育上問題があったでしょう。


現在も医学部は理系の1番人気だが、塾高からの内部進学枠は22人に減っている。90年代以降に開校した慶応付属の新設校に割り当てられたためだ。塾高以外の医学部内部進学枠は志木高7人、湘南藤沢高7人、女子高5人、ニューヨーク学院2人となっている。


「各校の生徒数に応じて決めている。これ以上、内部進学枠を増やしてしまうと外から優秀な学生がとれなくなってしまうので妥当なところ」と慶応大医学部教授は話す。


 そうですね、内部進学者の比率はもうぎりぎりなところまで来ています。ちょうど今の時期、慶應の各付属高校では期末試験が終了して、成績が返されます。まだ3学期がありますが、ここまでの成績で推薦を何処にするかほぼ決定です。あとは生徒が推薦願書を出し、高校が成績をみてどの学部に推薦するかを決め、各学部が受け入れ学生を決めていきます。


 医学部推薦は志願者が必ず定員を超えます。医学部推薦を高校から受けられなかった生徒はどうなるのか?多くの生徒は昔だと第2志望が経済学部でした。従って理系から180度方向転換して、経済学部に進みます。しかし、納得できない学生は慶應義塾大学進学後に医学部を再受験しました。慶應の医学部に受かる例はあまり聞いたことがなく、北里大や慈恵会医科大、順天堂大、日本医大、東邦大といった私立の医学部は聞いたことがありました。ただ慶應の附属高では大学一般入試に備えた勉強をまったく教えないので、再受験するならいちから自分で始めることになります。医学部推薦を落ちて経済学部などに進学してしまうと、ほとんどの学生は医学部進学を諦めます。


 慶應の附属高校で大学を外部受験する生徒もいますが、そのほとんどが医学部志望です。外部受験を希望する場合、内部推薦を受けることはできません。この層の生徒は上記の推薦狙いで学校の成績を稼ぐ者はおらず、早い時点で一般受験にシフトします。宇宙飛行士で有名な向井千秋さんがそうですね。読売の「時代の証言者」でも向井さんが述べています。


東京都立日比谷高校、私立慶応女子高校、私立雙葉高校に合格しました。


私は日比谷高校から国立大学の医学部を目指したかった。でも、学生運動の影響を心配した母が、慶応女子高校を選びました。


 《1960年代半ば以降、ベトナム戦争反対などで学生運動が激化。60年代末には全国の大学、高校などにも広がった》


 68年4月、東京・三田の慶応女子高校に入学しました。生徒の半数は中等部からエスカレーター式に上がってくる。残りが外部からの受験組。その7割が慶大医学部志望だったみたい。


 入学試験の時に意気投合した静岡県出身の友人と、原宿駅に近い東郷女子学生会館に寄宿して通学することになりました。


 受験勉強が本格化するまでは、青春を 謳歌 したって感じだったよねぇー。友人と一緒に映画や演劇に出かけ、欧州に短期留学もした。4人組の男性アイドルグループ「フォーリーブス」のまねをして歌ったり踊ったりすることもあった。ホント、楽しかった。


 食べ歩き中心のサークル、「家庭科同好会」にも入りました。その時の顧問が家庭科の高比良信先生。しつけにとても厳しかったけれど、なぜか私のことを気に入ってかわいがってくれた。お茶、お花、懐石料理。いろいろ教えてくれたなあ。


 2年生の時に、受験勉強に本腰を入れるために友人との同居を解消することになったのね。そうしたら、その年に定年退職された高比良先生が「私の家に下宿したら」と言ってくれた。先生の家から通学するようになりました。友人たちは、びっくりしたけれどね。


 猛烈に勉強したかって? 他の人がどれだけ勉強したかわからないからなぁ……。でも特に他の人よりも大変だった、ってことはなかったと思う。


 《当時、向井さんが母の内藤ミツさんにあてた手紙にこんな表現があった。「慶応大学医学部という7文字に苦しめられています。私がほっとするのは、1日のスケジュールを終えて電気を消して寝る時です」。ストレスに耐えていた様子がうかがえる》


 71年に慶応大医学部に合格しました。


 向井さんは現役で合格しており、すごい頑張りです。ではなぜ外部受験して慶應医学部に進んだのか?「時代の証言者」ではその理由が書かれていませんが、wikiにその間の事情が述べられていました。


慶應女子高校時代は、医学部進学を目指して、7人もの家庭教師をつけたという“伝説”が生まれたほど勉学に勤しんだ。当時慶應女子高校から医学部への内部進学枠は定員3名と極めて狭き門であり(現在は定員5名に増えたが依然として難関)、歴史や漢文、体育のリトミックを苦手としていたことから内部進学を高校2年時に断念し一般入試に切り替えた。その結果、現役で慶應義塾大学医学部医学科に合格を果たした


今も昔も慶應の附属高校に外部受験で入学する生徒は、「医学部推薦」を考える者が半数を超えると言われています(!!!)。中には開成高校などさらに上位校に合格しながら、医学部推薦を狙って慶応附属高校に進学する者もいます。しかし、内部進学で慶應医学部に進もうとすると、それこそ芸術や体育といったすべての科目で高得点を出さないとなりません。こういうオールマイティを発揮できるのもある種の才能ですが、理数系の学科試験成績が重視される医学部の一般受験とはまったく異なります。


 今でも外部受験組はかなりの覚悟をもって受験することになりますが、学力はもともと高いので、東京医科歯科大や千葉大医学部など首都圏を中心に国立大医学部に進む者も多いです。